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【ジジとババと、みなさまと私】#創作大賞2026に応募した日

はじまり、はじまり。



プロローグ



父は、「うるせえ。」しか言わなかった。母は、私の9割を否定していた。私は、話す気にも、聞く気にもなれなかった。

仲のいい家族ではなかった。

だから私は、家を出た。

仕事を持ち、自分の家族を作り、実家とは適度な距離を置きつつ、利用して生きてきた。それが、いちばん楽だった。

……でも、父が倒れた。母一人では支えきれない。私が動くしかなかった。

母と私が変わらなければ、動けなかった。

普通でなかった家族は、ほどけていくのか。

私は父と母を許し、自分を許し、まるごと自分のことを好きになれるのか。

わからないから、書く。書いたら、手放す。そう決めた。


第一章 「お父さんの最善も、一緒にね」の日



父の体調が急に悪くなった。一か月のあいだに、どんどん悪くなっていった。

母は、頑張っていた。たぶん、頑張りすぎていた。

そして、最終的に、娘である私のところに連絡が来た。

現実が、やってきた、と思った。

さあ、どうしようか。

そのとき私が考えていたのは、父のことでも母のことでもなかった。

自分のことだけだった。
自分の家族を守らねばならない。
しかし、私ひとりでどうこうできる話ではない。

だから、母の最善を祈った。そして、家族の最善を祈った。「あとは、みなさん、お願いします」それくらいの距離で向き合おうとしていた。

そんな話をKさんにしたら「お父さんの最善も、一緒にね」と言われた。

そこで気づく。

私は、父の最善を祈る気持ちを、持っていなかったらしい。

それが、今までの父と私の関係性だった。

ありがとうを言わない人。うるせえしか言わない人。だから距離を置いてきた。だから祈れなかった。

でも、気づいてしまったから。そこからは、母の最善を、父の最善を、そして私たち家族の最善を祈る、でやってみることにした。

病院での検査の日まで、四日間実家に泊まり込むことになった。

四日間は、思っていたよりも長かった。母は、限界だった。母を休ませて、私が父と向き合うことになった。

ーーー

四日間、母のマイナスの言葉に付き合うことになった。正直疲れすぎた。「どうなりたいの」という私の問いに、「お父さんが一番良い場所にお世話になることが決まれば良い」と母は言った。
私は紙に「お父さんが一番良い場所にお世話になることが決まってよかった」と書いた。
そして、「これだけを祈ろう」と、だけ言った。

それ以上、聞く余裕は私にはない。


第二章 「ありがと」を言った日



父は、だれに対しても「ありがとう」を言わない人だった。

急に痛みが強くなり、手が動かなくなった父のために、母はお粥を作った。母には父のペースに合わせる余裕がなかった。父は、そんな母にいら立ちをぶつけ、文句を重ねた。だから「代わるよ」と、私が声をかけた。

母は、何も言わずに部屋を出て行った。

部屋には、父と私だけが残った。
父が自分で食べようとするのを、手助けした。

「もういい」と言ったあと、小さな声で、「わるいな」と言った。悪いことはしてないわ。言うなら、「ありがとう」だわ。
そう言うと、父は、ちょっとおどけるように、「ありがと」と言った。

「ババに、言わなくちゃねー」

「はい、リピートアフターミー。ありがとう」

「はい、はい」

ごまかす父に「言ったこと、ある?」「聞いたことは、ないけど」と畳みかけるように、つっこむ娘。

そりゃ、怖いよね。

ーーー

入院先の病院で、良い先生に巡り会えた。父の「痛みを取ってほしい」という願いは、叶った。
やがて父は、病院にお世話になるには良くなりすぎた。次の段階、ショートステイに移ることになった。めでたい。
うん、めでたい。


第三章  「それでも、行く」と決めた日


父のショートステイの場所が遠かったら、「遠いから」という理由で、悩むこともなかった。
行かない、じゃなくて行けないだ。

でも、車で30分。遠くはない。

そうなると今度は、「行くべきか」という気持ちが出てくる。でもこれ、「会いたい」とは、ちょっと違う。

普通の娘だったら、週に2回くらい面会に行くのかな、とか。自分で思う「普通」って、なんだろう。

父のことが大好きな娘に、なりたかったのかな。でもさ、私はそういう娘になってない。そうさせてくれなかったのは、あなたじゃないか。

いろんなことが、もう、めんどくさい。今まで父に対して怒ってきたことも、結局、まだここに残ってる。この黒い私が、嫌なんだよね。疲れる。

でも、私はもう、私を許したい。

いい人間になりたいのか?いい娘になりたいのか?うーん、そんなに私、悪い人間じゃないのよ、って言いたい。思いたい。めんどくさいものを脱いで、軽くなりたいのよ。

ま、私、自分に優しいんじゃない?「あー楽になってよかった〜」って、決めた。

………頭の中は、ぐるぐるしてる。行って、何を話すんだろう。

ただ――時期は、年末とお正月をまたぐ。それは、私だったら、きっと少し寂しい。

だから私は、1月4日に家に帰ってきて、みんなで集まる計画を立てた。うちの家族だけでなく、全く顔を見せない弟にも連絡することにした。反応は、予想通り。それでも、いい。

私は、会いに行く理由を、ひとつ持った。


第四章  「おめでとうございます」の日



父がショートステイに落ち着いて3、4日たった頃。まぁ様子でものぞいてこようかと、電話をしてから出かけた。

ちょうど昼ご飯が終わったところで、父の個室へ案内された。

トントン。

「おーい」と声をかけながら部屋に入ると、父は相変わらず、ベッドに寝転んでテレビを見ていた。

「おいおい、昼間からベッドに寝ちゃいけないんじゃなかったっけ?」

私がそう言うと、父はニヤニヤしながら体を起こす。

食後のコーヒーを買ってきていた。父に渡すと、ぐいぐい飲んで、あっという間に飲み干した。

少し落ち着いたところで、私は聞いた。

「ねぇねぇ。今日って何の日か知ってる?」

父は少し考えてから答えた。

「今日は……12月の◯日だなぁ」

日にちの感覚は、まだあるらしい。

私は言った。「今日ね、私の誕生日。」

父は一瞬、ポカンとした。それから「あ……」という顔になって、手で目を隠し、うなだれた。泣いているわけじゃない。ただ、しまったという顔だった。

やっぱりね。まぁ、うちの父が娘の誕生日なんて知っているわけないか。

「大丈夫、大丈夫。そうだと思ってたわー」
「うちの家族にはちゃんとお祝いされてるから」

そう言いながら、自分でもわかっていた。これはちょっと意地悪だ。

心の奥から、むくむくむくっと黒いやつが出てくる。まだ全部は許していない。ちょっと困らせて、傷つけたい。だから、わざと言っている。

でも、あまりにも困った顔をするので、少しかわいそうになってその話はさらっと流した。

すると、父が「……おっ」と言った。手を顔から外し、きちんと座り直す。少し照れた顔なのに、変に改まって、めちゃくちゃ丁寧に頭を下げて言った。

「…おめでとうございます。」

父からきちんと「おめでとう」と言われたのは、初めてだった気がする。ちゃんとプレゼントをもらった気がした。

私もきちんと頭を下げた。「…ありがとうございます。」

あれっ、私、ちょっと泣きそう。黒い私が、皮一枚ふわっと消えて飛んでった。

顔を上げると、父は少し照れた顔で、そのまま黙っていた。

まぁ、今日は、許してやろう。

……私、ここに、生きているしね。

誕生日、ありがとう。


第五章  「あの弁当の話をした日」



会いに行く理由をひとつ持って、ショートステイにいる父に会いに行った。

「1月4日に、みんなで会うよ」と伝えると、父は「そうか」と言った。

「正月は、ここなんだな。」

少しだけ、寂しそうな気配がした。

ひとまず報告が終わると、もう、話すことがない。何を話そうかと考えたとき、また、例の”悪いむくむく”が出てきた。

「ねえ、覚えてる?」

父は、こっちを見る。

「あのさ、めっちゃジジに怒れた時、あったんだよね。」

少し間を置いて、続ける。

「あのさ、弁当作ってたじゃん。あの黒いジャーのやつ。味噌汁とご飯とおかずが入ってるやつ」

父は、「おう、あったあった」と言った。

「私さ、ババが仕事してたから、ジジの夜勤の弁当、作ってたんだよね。高校生の時。」

父は、黙って聞いている。

「でもさ、ジジさ、私が作った弁当に、めっちゃ文句言ったんだよ。」

「覚えてる?」

そう聞くと、父は目に手を当てて、隠しながら、
「そんなこと、言ったかなあ」と言った。

「ジジがさ、文句言ったからさ、私、ジジの目の前で、作った弁当、全部ゴミに捨ててやったんだよ。」
(高校生の娘が、夜勤の弁当を作ってくれてるんだよ。中身がどうとかじゃなくて、その行為自体が、ありがたいって思わないのかよ)
※これは、当時言いたかった、言ったかも?
 黒い私の心の声。この時はいくらなんでも、
 ここまでは言っていない。

「それから、一切作らなくなったんだよ。」

私が、そう言うと、父は下を向きながら、「弁当、あったなあ。」とだけ言った。

覚えてないんかい!

私は、めっちゃ怒ったんだよ。

父との記憶は、本当に数えるほどしかないけれど、これは、めっちゃ覚えてる。

昔は、何を言っても話が通じなかった。私は、話をする気にも聞く気にもならなかった。
だから、言えなかった話を、今、している。
父は、聞いている。
目を隠しながら、聞いている。

その姿を見ていたら、黒い私が、また、皮一枚ふわっと離れていった。

目の前にいるこの人、うるせえも言わずに、おちゃめなポーズしてるだけで、

……なんか、力が抜けた。

あんなに怒って、ずっと抱えていたのに、私の方が、ちょっとバカみたいだ。

まあ、今日も、許してやるか。


第六章  「母が変わった日」



母が、私に言った。

「以前は、あなたの9割を否定していた」と。

そんなことを娘に言う母親って、どうなんだろう。もうちょっと違う言い方あるでしょう。普通なら、きっと傷つく言葉。

でも私は、そのとき——怒りより先に思ったんだ。

めっちゃ素直な人やなあ、って。

思い返せば、私は不器用で、何をやらせても、うまくできない子だった。お皿を洗えば割ってしまうし、母からしたら「自分がやったほうが早い」そんな存在だったと思う。

母はいつも上から目線で、私の名前を呼び捨てにして、何かを教えねばならないと思っていた。何でもできて、私よりずっと上手で、父の役割も家庭の中で一人で担い、必死にやってきた人。そんな緊張の中で、子どもを育てていた人なんだろうな、と。そして、娘が働いている間、孫の世話を引き受けてきた人。

母が変わったきっかけは、私の側に起こった。

約30年続けた仕事を辞めることにした。その理由も、そこに至るまでの出来事も、母には一切気づかれないようにしていた。母の方が、私よりずっと神経が細やかだから。もし知ったら、きっと母の方が参ってしまう。それは、自分を守るための選択だった。

でも最近になって、やっと——仕事を辞めたことも、その理由も、すべて話すことができた。

私の話を聞いた母は、「強い子だね」と言って、涙を流した。「私にはできない。強い子だね」と。

そのあとに出てきたのが、あの言葉だった。

「以前は、あなたの9割を否定していた」と。

過去の告白であり、これからを変えるための言葉だったのだと思う。それから母は私のことを「さん」で呼ぶようになり、「ごめんね」「ありがとう」そんな言葉を口にするようになった。

否定されていた時間は、きっと消えない。それでも今、同じ場所に立って話せている気がする。


——そんな母が、限界になった。

四日間の泊まり込みが終わり、実家を出る日。母は「ごめんね。助かった」と言った。「はいはい、大丈夫です」と私は返した。

母が歳をとったんだな。そうなったんだな。

変わった母より、変わりかけている私のほうが、落ち着かない。

でも、まあ。そのうち慣れるんじゃない?

実家を出る時、母は夜ご飯のおかずを持たせてくれて、「Hさんにも、みんなにも、ありがとうって言ってね」と言った。

「はいはい、ありがとう」と私は言った。「まぁ、ゆっくり寝なね」と母に言いながら、帰ってきた。


——でも、それで終わりではなかった。

父の手続きや書類が一気に増え、私は母と一緒にケアマネージャーさんの話を聞くことになった。

説明を受けている間、母は落ち着かない様子で席を立とうとした。それが、なぜか私は嫌だった。

全部、私に任せたいのか。もう限界なのはわかる。疲れているのもわかる。でも、私はあくまで”助ける立場”でいたいのだ。

思わず母を引き止め、強い口調で「ちゃんと話を聞いて」と言ってしまった。母は、はっとして私を見た。ケアマネージャーさんも母に視線を向け、もう一度説明を始めてくれた。

まだまだ、あなたはやれる。やってくれなきゃ、私は困る。


第七章  「1月4日」



1月4日。父が帰ってくる日だ。
朝10時にショートステイ先に迎えに行くことになっている。

父と歩行器(コロコロ)を乗せられるように、車を片付けた。後部座席の荷物も、どかして準備完了。
家族には「お昼ごろにはババの家にみんな集まってね」と伝えて家を出た。

ショートステイ先に着いたら、父は玄関の近くでコロコロと一緒に待っていた。もう準備万端だ。
職員さんに鍵を開けてもらい「行ってらっしゃい」と見送られて外に出る。

コロコロを車の近くに寄せて、父が自分で車のヘッドレストの棒を持ちながら体を移動させるのを見守る。
病院から帰ってきたときより、ちょっとスムーズに動くことができている。ありがたいことだ。

コロコロを車の後ろに積んで出発した。

動き出した車の中で父がおもむろに話し出した。
「今日なぁ、みんな来るんだろ」
「そうだよ。うちも弟の家も、みんな来るよ」

すると父が、
「ほだろ、俺な、挨拶せなかん」


……はい?挨拶?

正直、私には、父という人間が挨拶するとか、自分の気持ちを言葉にするとか、そういうイメージがゼロだ。人前で話さないというか、話せない人なんだと子どものころから思っていた。
だから、返答をすべて「うるせえ。」で返すのだと自分の中で理由付けをしていた。
そうでなければ、普通の家族の会話ができない状況が理解できなかった。
本当は、近所のお姉さんとおじさんのように、私も父と会話がしたかったんだと思う。

そう言えば、結婚式の挨拶……記憶がない。



その父が、80歳を過ぎて自分から
「挨拶せなかん」と言っている。びっくりだ。

と思っていたら、そのまま車の中で練習を始めた。

「今日は俺のために、みんな集まってくれてありがとう」

……いやいや、最初から面白い。

今日の集まりは、父が一時帰宅する日に状況確認をしつつ、みんなで正月に集まりましょうという企画ではあった。
「俺のため」かと言われると、こちらサイドのためでもあったが、まぁ、結果的にそうか?と思いながら、黙って聞く。

ショートステイ先で考えてきたのかなぁ。
思っていたよりずっとスムーズに、話している。

運転しながら聞いていたら、ちょっと涙が出そうになった。

ああ、この人、ちゃんと考えてる人だったんだなと思った。
なら、もっと早く披露してくれればよかったのに。

母と私の間で、口を出す隙間はなくなってしまったのか。話すのをあきらめたのか。

これは、スピーチの内容での涙なのか、
それともモヤモヤした感情の涙なのか。
たぶん、両方だ。

……運転中ですよ。これ以上は危険だ。

涙を拭きながら、私は言った。
あんまりにもよかったから言った。

「わかった、じゃあ私が振るからね。ちゃんとみんなの前で喋ってよ」

父はうなずいた。
この日を父も、楽しみにしていたんだな。


ーーー

家に帰る前に、父の室内シューズを買うことにした。ショートステイ先から歩行器(コロコロ)で帰ってくる父に、滑り止めは必須だ。靴下だけで歩かれて滑ったら怖い。近くのショッピングセンターに行った。父に履かせてみないとわからないから。

ショッピングセンターの駐車場に車を止めてコロコロを下ろす。父にとっては久しぶりの外の世界だ。どれぐらい歩けるかちょっと心配していたが、段差もないし思ったよりスムーズに歩いている。

靴売り場に行くと、丸い椅子があったので父に座ってもらい、足に合う靴を探す。

父のこだわりが強い。靴の後ろは横しまのなみなみ、「これが滑らんだ」と言う。こだわりの強さは私並みだ。父の足のサイズは25から26。履きやすくてグリップのいい靴を2、3足履いて試していた時、通りかかった知らないおばさんが言った。

「まぁ、親子で買い物、いいわね」

パッと見て親子に見えるんだ。私はちょっとショックだった。父と2人で買い物に出た記憶がない。家族みんなでラーメンを食べた記憶はあるけど、父と2人で買い物に行った記憶は本当にない。だからこれがはじめての2人での買い物だと思っていた時に、そんなことを言われるんだ。

どこをどう見たら私と父が似ているんだろう。似ているのか、仲良く買い物しているように見えるのか。なんだか本当に、人生びっくりすることが起こるなぁ。まぁでも、悪いことではない。いいことなんだろうが慣れない。こちょばゆい感じだ。

さぁ、父が満足する靴が決まった。父とコロコロを乗せて、母の待つ家に帰ろう。母のことだ。きっと帰りが遅いと、玄関先を行ったり来たりしているんだろうな。


ーーー


実家に着いた。父にとって約2ヶ月ぶりの家だ。

車から降りると、父がコロコロで歩いているのを見て、Sさんが走ってやってきた。「おかえり、よかった、よかったね」と自分のことのように喜んでくれた。

いつもは、ぼそぼそとしか言わない父が、「ありがとう」とちょっとよそ行きの顔で、でも嬉しそうに答えた。以前の父とえらい違いだ。

母が玄関先まで出てきて、扉を大きく開いた。「おかえり。」父は「ただいま。」と、もぞもぞっと言った。

これが、内向きの顔。

スロープの斜度が思ったよりきつく、父には難しそうだった。脇の砂利の平坦なところから家に入る。

「こたつには座れんだ」と心配していた父のために用意してあったのが高級椅子。以前母が父のために買ったものだが、その時は「こんなん座ったら腰が痛い、いらんわ」と盛大に文句を言っていた代物だ。今回は私が座り心地を試して、腰に硬いマットを入れ込んでスペシャルバージョンに改良した。

コロコロと帰ってきた父は、そのスペシャルな椅子に座ってほっとしたように、あちこちをゆっくり眺めていた。

父が「こんなんあったかなぁ」とふざけたことを言うので、母はどうしても一言申したくなってしまう。
「あんた、あんなに文句ばっかり言ってたのに」
まぁいいじゃないか。座っている姿は、まるでどこかの王様か親分だ。

ーーー

そうこうしているうちに、一族が集まった。

うちの家族がやってきた。ピンポーン。そして弟の家族も集まった。久しぶりにこの家に一族が集まる。いつぶりだろう。10年以上経ってるなぁ。子供たちがまだ小さかった頃だ。

居間に母がシミュレーションした通り食卓テーブルを並べ、頼んでおいたお寿司、旦那さんの実家からお土産で持たせてもらった鈴廣かまぼこと伊達巻、焼豚を母が盛り付けたオードブル、近くの美味しい中華屋さんの唐揚げとサラダ、そして飲み物を並べて準備完了。

父と母と旦那さんと弟が食卓テーブルに座り、お嫁ちゃんと娘と孫たちはこたつに集合。

さぁ、私の出番だ。司会をします。

「はい、それでは皆さんお久しぶりです。まず、ジジから挨拶があるそうなので聞いてください。ジジ、お願いします」

父は車の中で練習していた時よりも少しモゾモゾしながらも、息を吐いてから、ゆっくりと喋りだした。

「今日は、みんな、俺のために、集まってくれて、ありがとう。
俺は…体が痛くなって…みんなに心配……かけました。
今は痛くないし、だいぶ…動けるようになりました。

ありがとう、ございました。

……みんなも、…体には、気をつけて、過ごしてください。」

めっちゃ素晴らしいスピーチだ。本人も時々うるっとしている。隣で聞いている母もウルウルしている。私は練習で聞いた時もウルウルしたけど、本番もウルウルしてしまった。最高な挨拶だ。
みんな拍手をした。

挨拶の後、「それでは皆さん、写真撮影をします」と私が言った。弟は「そんな写真なんか」と言ったし、うちの子も「えー」と言ったが、こんな素晴らしいスピーチと、久しぶりの一族集合を記念して、写真に残しておくのはいいと思った。

文句顔の2人はいたけど、構わず写真を撮った。その後、「撮るわ」という弟と代わり私も入った。それからはみんなでご馳走を食べた。

「ジジ、外面がいいから、ショートステイ先でも何とかやっているよ」と、お寿司を食べながら、お嫁ちゃんに話した。その話を聞いていた甥っ子がぷっと吹き出して、弟の方を指差して言った。

「一緒」

弟も外面の方がいいらしい。親子って似るのね。


この話には、後日談がある。

母は、父のスピーチを、私が言わせたものだと思っていたそうだ。「あんたに言わされたスピーチでも、あんなにしゃべれると思わなかった」

父の名誉のために、あのスピーチは、父の自発的な申し出だと母に伝えた。母は、何回伝えても、「信じられない。信じられないわ。いい話だったわ」とぶつぶつ言っておりましたとさ。

思い返すと、このスピーチがきっかけだった。こんな面白いネタを忘れたらもったいないと思って、noteに書き始めた気がする。やっとここまで残せた。

つづきは、また。


エピローグ


私は、介護はしていない。介護している母をフォローして、母の意向を父に伝える役割だ。父をネタにできる状況に感謝している。そして、この状況が続くことを祈っている。

今まで父と母から、距離をとることで心を守ってきた。嵐に巻き込まれないように、雨のかからない場所で、しっかりとカッパを着込んで、傘を手にしたスタンスで。

でも今は、反対の手に非常ベルを持っている。
母に持たせてもらうおかずを当たり前でなく、「ありがとう」と、もらうようになった。
「美味しかったよ」と言えるようになった。
私自身も相当ヤバイやつだったことに気づいたからだ。

たぶん親のことを全て許せてはいない。早く許せるようにならなきゃとも、思っていない。そう考えること自体、手放すことにした。


黒い私も私だ。これからまだまだ出ると思う。でも、そんな私にも、私は優しくすることにする。

途中の私も、私は応援するんだ。

まだ続いている。

今日も、ジジとババと、みなさまと私の一日。


創作大賞2026応募作品はここまでです。
罫線のあんぱんはジジの大好物です。
今までの記事をまとめました。
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Misuz.

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