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【雑記】死んだじいちゃんにもらった100円玉の話

みなさんこんにちは!!
中小企業診断士のみやけんです。

今回は、いつもふざけ倒している雑記とだいぶ違う感じです。
もしかしたら、人によっては不謹慎と感じる場合もあるかもしれませんので、そこは断っておきます。

🔻こちらの企画にも入れます。いろんな人に読んでほしいので。

🔻雑記シリーズまとめ。




前置きが長くなります。ごめんなさい。

この企画、元々は『初任給で親に飯を奢った』みたいな話を書く予定でした。

でも、急遽事情が変わって、忘れていた『はじめてのお金』の話を思い出したので、その話を書くことにします。




一昨日の5/14夜、じいちゃんの訃報が飛び込んできた。
享年94歳。大往生だった。

ここ数年、施設に入っていたり、ちょこちょこ体調を崩したりはしていたけど、直近は元気になっていたこともあったので、本当に急だった。

そんなだから、親族だれも死に目には会えなかった。
病院の話を聞いても、本当に、老衰って感じだったんだと思う。

昨日、顔を見に行ってきても、ありきたりな表現だけど、本当にただ眠ってるみたいだった。
いつもみたいにデケェいびきを、今にもかきはじめそうだった。

「ああ、苦しんだりせずに、天寿を全うしたんだな。」

そう感じさせる、安らかな顔だった。

94歳ということもあって、ある程度覚悟はしていたし、直近は身体もかなり自由が利かなくなってきていたから、親族一同、悲しくて泣く、というよりは「94年間、お疲れ様でした」って感じだった。

そして、親族でじいちゃんの話をポツポツしていた時に、ふいに昔の話を思い出した。
じいちゃんの店の手伝いをして、100円玉をもらった話だ。

それまで、すっかり忘れていた話だけど、今思うとじいちゃんが大切にしていたお金と考え方が詰まった話だ。
なぜ忘れていたのか、不思議なくらい。

せっかく無職が『はじめてのお金』に関する企画をしてくれているから、「これも何かの縁だ」と思って、ここに書くことにする。

冒頭でも書いた通り、不謹慎かもしれない。
まだじいちゃんが死んで2日しか経ってないし、それを記事にして、企画に投げるなんて…そんな声もあると思う。

でも、あのじいちゃんなら、絶対笑ってくれるし、書くことで私の整理もつく。
そしてなにより、あのじいちゃんの生き様と私の覚悟を、文字として残しておきたい。

そのためには、今、書くのが一番だ。そう思って書くことにします。




じいちゃんは酒屋を営んでいた。
今どきのオシャレな酒屋とかじゃなく、町に根差した、昔ながらの、普通の酒屋。

じいちゃんは、今年94歳になったので戦争を経験している世代。
ろくに食うものもなく、人は死ぬ。学校なんか、当然まともに行けない。
本当にろくでもない時代だった、とじいちゃんは言っていた。

そんな背景だから、当然経営なんて、ちゃんと学んだわけじゃない。
それでも、酒屋はとても繁盛していたように思う。

いつも常連さんがビール瓶の箱をひっくり返したとこに座って飲んでたり、近所の人が酒を買いに来たり、飲食店に卸したり、忙しそうにしていた。

実際、横浜市内にデケェ庭のある昔ながらのデケェ日本家屋を建てている。
にぎわっていた証拠だろう。

そんなじいちゃんの酒屋で、昔お手伝いをしたことがあった。
たしか、小学1年生とか、2年生とか、そんな年の頃。

もちろん、そんなガキの頃だから、実際には邪魔にはなっても手伝いになんてなってなかったと思う。

それでも、常連さんにお酒を運んだり、お釣りを渡したり、「これもおいしいよ!!」なんて飲んだこともない酒のオススメをしたり…とにかくそんなお手伝いをさせてくれたのだ。

そして、その駄賃として、じいちゃんが100円玉をくれた。
「これが自分で働いて稼いだお金!!」と、子供ながらに嬉しくなったことを覚えている(忘れてたんだけど)。

なんだか、他の100円玉とは違って、輝いてるように見えた。

もったいなくて、大切にしたくて、なかなか使えなくて。
お小遣いが入っている財布とは分けて、小さいころにやりがちな『お宝箱』にしまって保管していた。
たしか、嬉しくて毎日毎日、何度もとりだしては眺めていたように思う。

結局、その100円玉を何に使ったかっていうと、大好きだった駄菓子屋の割りばしで練る水あめを買った。

まさにこれ
少し包装は変わったけど、まだ売ってるんだな。

じいちゃんにも分けてあげたら、随分喜んでくれて、自分も嬉しくなった。
なんだか、いつもよりもおいしい気がした。


そんなじいちゃんは、昔の話をすることはあまり多くなかった。
戦争を経験し、自分で酒屋を立ち上げ、夫婦で切り盛りし、立派な家を建て、娘3人を立派に育て上げたんだから、今考えれば苦労が無かった訳はない。

それでも、昔の話はほとんどしなかった。
じいちゃんは、陽気な人で、楽しいこととおいしいものが好きだった。

きっと苦労話なんかするより、親族で集まって、楽しくおいしいものを食べる時間を大切にしたかったんだろう。

そんなじいちゃんだけど、働くことの大切さと大変さは、よく話をしていた。

「世のため人のためになる仕事をしなさい」
「大変でも、誠実に働きなさい」
「人様をだますようなことは絶対にするな」

そんなことをよく言っていた。
80歳になって店を閉めるまで、実際、じいちゃんは本当にその通り仕事をしていた。

『仕事』に対して、本当に素晴らしい姿勢を持っていた。

だからじいちゃんの周りには人がたくさん集まったし、じいちゃん自身も誇りをもって、楽しく仕事をしていたように思う。

当時はよくわかってなかったけど、30年生きてきて、改めてじいちゃんの言うことにこうして向き合ってみると、本当に大切なことを言っていたのだと、今、腹に落ちた。

改めて言語化できていなかっただけで、誠実さは普段から心がけていたし、世のため人のためになる仕事をするようにも心がけていたつもりだ。

でも、こうして自分の源流を再発見し、見つめなおし、言語化できたことは、大きな意味があると感じる。
改めて、これからも、この姿勢を曲げずに、信念をもって生きていこう、そう思わせてくれる。

私はじいちゃんを尊敬している。

大変な時代を生き抜き、0から店を切り盛りし、日本の隆盛に貢献したじいちゃん。

立派な家を建て、娘たちを育て上げ、孫、ひ孫にいたるまで大切にかわいがってくれたじいちゃん。

遊びに行くたびに、旨いものを山ほど食わせてくれたじいちゃん。

肝臓がキモいほど強くて、90になっても正月には1人で一升瓶を数本開けてたじいちゃん。

医者に酒は一杯までと言われて、バカみてぇにでけぇジョッキに業務用のウイスキーをなみなみ入れて、ストレートで煽ってたじいちゃん。

いくつになってもタバコを1日に何箱も吸っていたじいちゃん。

死ぬ数週間前でも、誕生日にうな重とケースをペロリと平らげ、美味いなぁと笑っていたじいちゃん。

ボケもせず、施設でも明るく、職員さんからも好かれていたじいちゃん。

腕相撲をするたび、手を組んだ時点で分厚すぎる手の平で脳内に『負ける…』の文字を浮かばせてくるじいちゃん

・・・

あなたは、その分厚い手で、本当に多くの苦労を乗り越えてきたのでしょう。

それでも、そんな苦労話をすることはなく、下の世代の苦労を減らそう、楽しく過ごさせてやろうと、努めていたのでしょう。

この年になって、じいちゃんが死んで、今になって、ようやくそれがわかりました。

もっと、感謝の気持ちを伝えればよかった。

今さら、そんなことを思う。
けど、めそめそしたって、あのじいちゃんが喜ばないことはわかっている。

だから、私は、これから今まで以上に、誠実に、真摯に、人に向き合って、仕事に向き合って、生きていきます。

それがじいちゃんへの花向けになると、信じています。


じいちゃん、あなたの人生は、私の知るだれより尊敬できるものでした。

そのデカすぎる背中を超えられるよう、俺も頑張ってみるよ。
あの時もらった100円玉のうれしさと、ねりあめのおいしさを胸に。

じいちゃん、ありがとう。
94年間、お疲れ様でした。

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