大好きなフジファブリックについて
音楽
音楽が大好きだ。
祖父は昔楽器を少しやっていて、宮川泰に弟子入りしようとしたレベルだったらしい。
父親はバンドマン、家に大量にギターとアンプがある。
やはりそんな環境だと音楽に興味は沸くもので、小学生の頃は母親のipodでサカナクションと星野源を聞いていた。
特にサカナクションが好きで、家族でカラオケに行き『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』を踊りながら歌いドン引きさせた記憶がある。
毎日サカナクションを聞いていた毎日だったが、長くは続かなかった。
2020年頃からサカナクションが活動休止したからだ。
新しい音源も出ず、ライブはやっているけど行けない。
そんな中だと興味は薄れていくもので、結局ほとんど聞かなくなってしまった。(今は聞いている)
分岐点
音楽抜きのゲームまみれの日々を終え、中学校に入学した。
中学校では給食の時間に音楽が流されるのだが、その中で一つとても気に入った曲があった。だが毎回バンド名と曲名を聞き忘れてしまうので、次こそはちゃんと聞き取ろうと決めていた。
後にそれがフジファブリックの銀河と知るとは思ってもいなかった。
中学入学と同じタイミングで姉が高校に入り、軽音楽部に入った。
すぐバンドを組んだらしく、9月ごろにライブをしていた。
フジファブリックの「若者のすべて」だった。
家で練習していたり、学校で弾いた時の動画を見せてくれたりしたのでそこでフジファブリックという名を知ることになった。
なんか独特な名前だけど覚えやすい名前だなあなんて思っていたら興味は沸くもので、ある日の夜にWALKMANでサカナクションを聞きながらアーティスト一覧表を見ていたら『フジファブリック』の名を見つけた。
「あのフジファブリックだ!聞いてみよう!」
とりあえず若者のすべてを聞き、ああいい曲だなあなんて思いながら曲の一覧を見ていたら「銀河」という名を目にした。
なぜこの曲を再生しようと思ったかはわからないが、とりあえず聞いてみようとなったのだと思う。
再生ボタンを押した瞬間、頭の中にとてつもない衝撃が走った!!
何これ??????
謎なギター、やけにねっとりとした歌声、「タッタッタッ タラッタラッタッタッ」という聞いたこともない歌詞、イカれたギターソロ(褒めてる)、気持ち悪い転調、すべてが初めてだった。
「何これ!もう一回!」
もう一回聞いても意味が分からなかった。
でも一つ確信したのはこの曲を作った人は天才だということ、そして絶対にこのバンドは自分に合うということだった。
とりあえず寝て、普通に学校に行った。
通学途中も昨日聞いたあの音楽が頭の中で流れている。
給食の時間に給食を食べていたら、昨日の音楽が流れ出した。
「え???」
ずっと気に入っていた音楽は銀河だったのだ。
「多分これは運命だ、ずっと聞いていこう」
まだ14年しか生きていないが、ここが絶対に人生の分岐点だと思っている。
沼に
そこからは一瞬だった。
フジファブリックのYoutubeチャンネルの人気順から聞いていき、それで気に入ったらWALKMANのプレイリストに曲を入れていくことにした。
赤黄色の金木犀のイントロを聞いた時、「秋だ」と思った。
陽炎の最後のキーボードを聞いた時、「夏だ」と思った。https://youtu.be/xE91j-zDgLQ?si=g2oquPmDPuDJm95I
桜の季節を聞いた時、「春だ」と思った。
https://youtu.be/gBkPaCnQ8_g?si=vsR7fIGj18d3HdUX
本当に季節を表現するのが上手い人だと感じた。
初めてMVを見た時、志村正彦という人物にえらく感動した。
全てを吸い込んでしまいそうな大きな目でこちらを見つめ、素晴らしい歌声を聞かせてくれる。
「こんな人になりたい!」こう思ったのは人生で初めてだった。
経歴を調べていくと志村正彦も中学生の時に奥田民生を見てこれになりたい!と思ったからボーカルになった事を知った。
それと同時にボーカルの人が2009年に亡くなったことを知った。
知った時、とてつもない喪失感に襲われた。
もう15,6年前の事とは言えようやく好きになれた人がこの世にもういないことを知ってしまい、一時期「フジファブリックに出会わなければよかった」なんてことを思ってしまった。(とても失礼なのは分かっている。今はそんなこと思っていない)
そんなこと思っても仕方ないと立ち直り、とにかくフジファブリックを聞き狂った。(今も)
志村正彦という人間
初めて「Clock」を聞いた時、え志村すごくね???????????何喰ったらこんな曲思い付くの????????と素で思った。
「明日になればきっと よくなるなんて希望
持てれるものならば とっくに持ってるよ」
とにかく志村正彦の書く歌詞が大好きだ。
特にCHRONICLEに入っている曲の歌詞は人の心の弱い部分に刺さってくるようなものを書いてくる。
それはおそらくCHRONICLEの曲の歌詞はすべてノンフィクションだからだと思う。
──歌詞はまさに、志村さんの本音をそのまま正直に吐露した内容になってますね。
志村:昨年の春に、今後の活動をどうするかっていうことに悩んで、しまいには、6月を完全休養にしてもらったんです。その時に、「僕は、いわゆる体裁の整った、様(さま)のよろしいロックを作ることが合ってないんだな」って思ったんですよ。そこですごく葛藤して、一時期、曲ができなくなっちゃったんですね。身の丈に合わないことを歌おうとして、曲作りで煮詰まってしまったんですよ。それで、6月の完全休養の日が終わったときに、「もう、今思ってる気持ちをそのまま歌うしかないんだな」ってことに気づいて。だから、ノンフィクション
の歌詞を書こうって思ってました。
6月を完全休養にした理由は志村の夢「地元の文化センターでライブをする」が叶ってしまい、曲が作れなくなったからだという。
富士吉田で夢をかなえてしまって、暗黒の6月に入ります。
楽しそうに日記書いてますけど、「仕事したくない。病気を治すのに専念したい」っていうのがあって。ポリープじゃないほうの、電車に乗れないとかの病気です。丸々オフにしてもらって、曲作りもしてたんですけど、この日記が唯一の吐き出し口でした。
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1か月オフなんて、普通ならあり得ないですよね。メジャーデビューのときとかって、休みなんて1年で3日ぐらいしかなかったですし。でもそれくらい追い詰められてて。「もうバンドやめたい」って言ってたんで。解散するまでは行かないけど、「フジファブリックを抜けたい」って言ってたんで、そこまでなんだったら休みを取らせようみたいな感じでした。
相当疲れてたんです。リリースしてツアーして、言いたいことなくて。言いたいこと言ったはいいけど、ミュージシャンっていうのはまた探さなきゃいけないんですよね。それで言いたいことを探すために自問自答してると、疲れちゃうんですよ。自分の嫌なところもたくさん見えるし。毎日自分と見つめ合ってる感じで。
とても繊細で真面目な人だと思う。
真面目過ぎるまであると思う。
普通夢が叶ったら次の目標に向かって進み続けるものだと思っていたがそうじゃない人もこの世にはいるのだと思った。
ただ志村、この2,3か月後に曲作りのピークに入ります。
バンドやめたいなんて言っていたのになぜ?
理由はポリープになってしまい、手術をするにあたって声が出せなくなるかもしれないかもしれない、そうなればバンドをやめるしかなくなるので、もしものことがあってもいいように、20曲くらい曲を作ったという。
だんだん曲作りのスランプを脱してきて。
それは何でかって言うと、ポリープの手術を夏フェス終わりにすると決めたので、もし手術が失敗したら声出なくなるかもしれないってことで、そしたらバンドやめるしかないじゃないですか。だから、そうなってもいいようにじゃないですけど、もしもの事があってもいいように、デモテープを全部自宅で作って、アレンジとかも全部して、歌詞作って歌入れして、メンバーに渡しておいたんです。自分からやろうとすると曲って出来るもんで、人から「曲作れ曲作れ」って言われてもできないんですけど、自分の声がもう最後になるかもしれないんで録っとかなきゃと思ったら、どんどんどんどん、20曲くらいできて。ROCK IN JAPAN FES.が終わって、スピッツの「ロックロックこんにちは!」に出て、ポリープの手術に向けて作曲をして、デモテープ作って、満を持して手術っていう。
やはり音楽を続けたいという気持ちはあったらしく、それはメンバーもわかっていたそうです。
RIJF2008の映像はこちらから見れます。富士五湖文化センターの時よりかは声出てますが、それでもやっぱり声出しづらそうです。
まとめ
本当はもっと語りたい(曲ごとの話とか、志村個人の話)のですが、これ以上書くと内容の薄い長い文章ができてしまいそうなので、いったんここまでにします。
読んでくれてありがとうございました。
出典
東京、音楽、ロックンロール
