キルケゴールの日記から
「… 私に欠けているのは、私は何をすべきか、ということについて私自身に決心がつかないでいることなのだ。
それは私が何を認識すべきかということではない。私の使命を理解することが問題なのだ。
神(自分の内部に在る自己自身 *)は本当に私が何をなすべきことを欲したもうかを知ることが重要なのだ。
私にとって真理であるような真理を発見し、『私がそれのために生き、そして死にたいと思えるようなイデー』を発見することが必要なのだ。
いわゆる客観的真理などを探し出してみたところで、それが私に何の役に立つだろう。
どんな生きる意味を説明できたところで、この世のあらゆる現象を解明できたところで、それが私自身と私の生活にとって何の意味も持たないとしたら、それが私に何の役に立つだろう。
論文や哲学でひとつの世界を構成し得たところで、私がその世界に生きるわけでなく、ただ他人の供覧に呈するにすぎないのでは、私にとって何の役に立とう?」
キルケゴールの日記には、このようなことが記されているらしい。
膨大な量の日記の、ほんの一部だろう。
この『私がそれのために生き、そして死にたいと思えるようなイデー』(イデーとは理念と訳されるか)のところが、ひどく心に食い入る。
そう、こういうことを軽く、やって行ければいいのだ。
( * ぼく(かめ)の解釈)
