私のダイモーン(2)
それにしても、なぜ私はこのような精神状態になったのだろうか。
特にナンダというわけでもない。ただまったりとして、でもグータラな感じでなく、何かが研ぎ澄まされ、鋭敏になっている。
行動、言動が何か変わった、とは思えない。感性みたいなもの、自分の中の「動き」が機敏になったような感じがする。
ツレアイの実家に行ったのがきっかけだったろうか。行くまでは、こんな感じではなかった、鬱々とした、げんなりした気持ちが大きく占めていたはずだったが。
ソクラテスのダイモーンについて考えたのが良かったようだ。「~せよ」でなく、「するな」という声。ソクラテスにしか聞こえなかった声。
何かしよう、という気持ちは絶え間なくある。掃除をしよう、歯を磨こう、部屋の整理をしよう。どんな気持ちであれ、それを私はすることができる。
「それをするな」という声を、私は聞けるだろうか。よく、私は耳を澄ました。自分の内に向かって。
だが、この声は、聞きたくて聞けるものではなかった。ソクラテスも、その声を期待していたと思えない。おそらく不意に、自分の意思・意志に反し、思わぬところから不意に、「それはやめろ」と彼のダイモーンから言われたに違いない。
「やめろ」と言われるまで、彼は自分の思った通りに、やりたいことをやり、他者との議論に専心し(正しいこと、真理のようなものを相手と一緒に見つけるために)、「自由」であったはずだ。
自由。彼は、ダイモーンが「それはするな」と言うまで、全き自由であったはずだ。
だが彼はその声が聞こえると、それに従った。
彼はその声に対して何の不平不満も覚えなかった。従順に、こどもみたいに素直に、その内なる声の「命令」に従った。
このような生き方でいいのではないか。私は、ソクラテスのダイモーンについて、曲がりなりにも考えた結果── 自分の不登校がまずそれだった、と案外簡単に気づいた。
私は、自分が、学校に行かなくちゃと思っていても行けなかった、この自分がイヤでイヤでたまらなかったが… 私は、私のダイモーンに従っていた。
周囲に大迷惑が掛かる。この自責から、私は私自身を殺そうとした。でも私は生きた、私のダイモーンに従って、そのままに。
周囲には周囲のダイモーンがあった、とは思えない。彼らは、ただ「こどもは学校に行くもの」という常識に囚われていただけだ、と思う。
私も囚われていた。「学校に行かなくちゃ」に囚われていたが、それを私のダイモーンは制した。ただの、それだけの話なのだ。
しかし悩み苦しむというのは、その時はもうまさに苦しみ以外何もないような時間だけれども(厳密にみれば四六時中苦しんでいたわけでないにしても)…
直近では、スマホのことがある。SNSで自分の書いたものをアッピールするという、そういった営業活動(!)が大切です、と何かのサイトにあったからだ。
そうだろうなぁと思う。
でも、私には抵抗がある。スマホを持ってTwitterやらLINEやら、そういうことをすることに。
で、しない。
した方がいい、と確かに分かっているつもりだが、それ以上に確かに、不確かだけれど確かに、「しない方がいい」という私の知らない私に従っている。
これは何とも、理由のない反抗だ。私の中の客観から見れば、抗っている、かのように見える。だが、私は私に従っているだけなのだ。
不便を感じることも多い。QRコードでどうのこうのとか、アプリでどうのこうのとか、それをやればトクをする場面に少なからず逢着する。ちょっと悔しい思いもするが、仕方ない。
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自意識、私の中の鏡を見れば、目つきが悪くなった?ような気がする。ほんわかと、もともと少しタレ目であった気がするが、だから柔和な印象を相手に与えていたかもしれないが、何かキビシク、なってしまったような気がする。
だが元々、怒っても怒っていないように見られる始末だったから、そんな険しい顔になっていないかもしれない。
これも仕方ない。これが今の顔なんだ、私の。
あとはどうとでも受け止めよ、他者たちよ。
── 私は矛盾している。盾と矛が、私の中にあるだけだ。いいではないか、それで。矛だけ、盾だけになるほうがよっぽど恐ろしい。私はそんな、人に害を及ぼす人間でないよ。そんな人間になりたくない。「やめろ」と私のダイモーンが必ず言ってくるだろう。言ってこなければ、それもそれだけの話だ。
しかしダイモーン、私自身がダイモーンそのものになってしまったら、何もしなくなる…? いやそれは、断じてそんなふうにはならない。なれない。
主体。たぶん私は主体的な動物なのだ。ダイモーンは、私の主体の、日常をいとなむ私の主体の、おそらく重要な場面にあらわれるだろう。
その「重要」は、たぶん私の知らない重要であろう。
そうだ、私が私のダイモーンについて考えた時、私は今のような何か落ち着いた精神状態になった。
それまでの過程はある。兄の、「あ、ソクラテス、そうだったんですか」と、「~するな」というダイモーンの声について私が話した時の、兄の意外な反応。こないだ会った、絵を描く友達との時間。ツレアイの実家で、義父母と、また東京駅で義姉と会った際の私の態度等、過ぎたことを思い出す。
その過ぎている時間の真っ最中に、私はどのような私であったか、何が私に引っ掛かったか。ぜんぶが、今に至る過程である。
ぜんぶが私の、私を知るというような、今に至るきっかけだった。
で、また変化していく… のかな。
それもヨシだ。そりゃ、ずっと今に留まっているわけにいかないからね。
