朝顔が、もう巻く場所がないと言った夏
夏と言えば、花火、蛍、セミの声、かき氷。
そして、植物。
みなさんは、子どもの頃の夏の思い出と言われたら、何を思い浮かべるだろう。
私には、今でも忘れられない植物との夏の思い出がある。
小学生の頃の話だ。
学校で、向日葵や朝顔を育てる授業があった。
『植物の成長を観察しよう』
そんな内容だったと思う。
専用の鉢に種を植え、水をあげ、成長を記録する。
夏休みには観察日記を書き、最後には写真を撮る。
どこの学校でもあるような、夏の宿題だった。
ただ、私の場合。
少しだけ……いや、かなり熱の入り方が違った🤣
私は以前の記事にも書いたことがあるが、小学生の頃、用務員さんと仲が良かった。
……と言っても、友達のように遊ぶという意味ではない。
私は、用務員さんの後ろをついて回る子供だった。
学校のことを誰よりも知っている人。
花壇の花のこと。
季節ごとの植物のこと。
道具の場所。
私にとって用務員さんは、学校で一番詳しい人だった。
そして家では、母親が大の植物好きだった。
庭には季節ごとの花が咲いていた。
一年で終わる植物もあれば、冬を越すために手をかける植物もあった。
母は土のこと、肥料のこと、植物の育て方をよく知っていた。
そんな母が、よく言っていた。
『しずくさん、花は言葉を発さない代わりに、愛情込めたら答えてくれるよ』
『一見枯れたように見えても、根っこは生きていることがある。だから、すぐに抜いたらだめ。待つことも大事』
その言葉は、子どもの私の中に残っていた。
だから私は、朝顔にも向日葵にも、本気だった。
「育てるからには、元気に大きく育てたい!」
ただ、それだけだった。
毎日水をあげた。
少しでも周りに草が生えれば抜いた。
土の栄養が、ちゃんとこの子に届くように。
そして、毎日話しかけた。
朝、学校に来た時。
休み時間。
帰る前。
「今日は元気?」
「大きくなってるね」
そんなことを言いながら眺めていた。
すると、ある日。
私は気付いた。
「あれ……?」
私の向日葵、他の子より大きくない?
そして朝顔も。
どうやら、普通の成長ではなかったらしい。
もちろん、私は用務員さんにもこっそり相談していた🤭
日当たりのこと。
水やりのこと。
土のこと。
(もしかして……用務員さん、こっそり肥料を与えてくれていたのでは?)
今でも少し疑っている🤣
ただ、一つだけ。
本来なら、学校で決められた場所に鉢を置いて観察するものだった。
でも私は、時々こっそり鉢を移動させていた笑
「あれ……ここ、少し日当たり悪くない?」
「もっとお日様を浴びた方が、この子は元気になるんじゃない?」
そう思うと、私はそっと鉢を陽の当たる場所へ移動させた。
今考えると、勝手に動かしてはいけなかったのかもしれない🤣
でも、その時の私には、
「決まり」よりも、
「この子が元気に育つこと」
の方が大事だった。
夏休み前。
向日葵は、とうとう私の背丈を越えた。
他の子の向日葵より、明らかに大きかった。
「……これ、どうやって持って帰るんだろう」
子どもながらに思った。
そして問題は朝顔だった。
学校から配られた鉢には、輪っか状の支柱がついていた。
普通なら、そこに沿って綺麗に伸びるはずだった。
……はずだった。
しかし、私の朝顔は違った。
「まだ伸びたいんですけど!」
そんな声が聞こえるようだった🤣
輪っかでは足りない。
上へ伸びる場所がなくなると、隣の鉢へ。
それでも足りないと、近くにあったビニールハウスの鉄枠へ。
どんどん、どんどん伸びていった。
気付けば朝顔は、まるでメドゥーサ状態🤣
担任の先生が、その姿を見た時の顔は今でも覚えている。
『……え?』
本当にそんな顔だった。
夏休み前。
みんなは自分の鉢を持って帰る。
でも。
私の向日葵と朝顔は、小学生が徒歩で持ち帰るレベルではなかった。
ここで父の出番だった。
車で学校まで来てもらい、巨大化した植物たちを乗せて帰った。
家に着いて、それを見た母。
口をあんぐり開けていた🤣
「日当たりと、お水と、毎日話しかけてたら、こんなに大きくなったの!」
母はしばらく黙った後、困ったように笑った。
そして庭へ移し替えてくれた。
朝顔がもっと自由に伸びられるように。
向日葵がしっかり立てるように。
支えを作り、環境を整えてくれた。
家に帰ってから、朝顔はさらに伸びていった。
「まだ伸びてもいいんだ!」
そう言っているかのように。
あの夏、私は朝顔と向日葵を育てた。
でも、今思う。
もしかしたら、育ててもらったのは私の方だったのかもしれない。
毎日見ること。
小さな変化に気付くこと。
すぐに諦めず、待つこと。
言葉を話さないものにも、ちゃんと向き合うこと。
それを、植物たちは教えてくれた。
ただ……
愛情を注ぎすぎると、時々こちらの想像を超えた成長を見せてくれることもある🤣
あの夏の朝顔と向日葵は、今でも私の中で忘れられない思い出である。
