母が『子育てとは…』の本を読んでいた理由🤣
今思えば。
母は、私の子育てについて何度も悩んでいたと思う。
なぜなら、よく「子育てとは……」みたいな本を読んでいたから🤣
当時の私は、そんな母の気持ちなんて知らず、
今日も元気に何かへ夢中になっていた。
私は昔から、ほどほどという言葉を知らなかった。
楽しいと思ったら、とことん。
気になったら、最後まで。
でも、誰かに見てもらいたかったわけじゃない。
褒められたかったわけでもない。
ただ……
「どこまでできるんだろう?」
それを知りたかっただけだった。
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ある時、私は玉乗りにハマった。
理由は覚えていない🤣
ただ、
「乗れるようになりたいな」
と思った。
そこから毎日、庭で練習。
乗る。
転ぶ。
また乗る。
転ぶ。
当然、何度も失敗した。
結果……
膝は青タンだらけ🤣
でも、
「痛いからやめよう」
とはならなかった。
「次はどうしたら乗れるかな?」
そればかり考えていた。
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ローラースケートも同じだった。
最初から滑れたわけではない。
何度も転んだ。
膝も打った。
でも、怖さより、
「滑れるようになりたい!」
が勝っていた。
転んだ分だけ、少しずつできることが増える。
それが楽しかった。
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そして、それは学校でも同じだった。
体育の時間の跳び箱。
普通なら、高く積み上がっていくほど怖くなるのかもしれない。
でも私は逆だった🤣
段が増えるほど、
「飛んでやる!」
という気持ちになった。
助走をつける。
板を踏む。
バン!
跳ぶ。
気づけば8段まで跳べていた。
男の子に混じって挑戦していた。
でも、誰かに勝ちたかったわけじゃない。
ただ、
「どこまでできるんだろう?」
それを知りたかっただけだった。
今思えば、母はかなり心配していたと思う。
いつも膝は青タン。
何かに挑戦しては転ぶ娘。
きっと、
『周りから見たら、どう思われるんだろう』
と思っていたんじゃないかな🤣
もしかしたら、
『ちゃんと見ていないと思われたらどうしよう』
なんて考えていたのかもしれない。
でも母は、私の「やりたい」を全部止めることはしなかった。
ただ……
『しずくさん……』
と、ため息をついていた🤣
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縄跳びにも夢中になった。
二重跳び。
何回続けられるか。
それが知りたかった。
練習して、練習して……
50回跳べた。
自分でも驚いた。
でも次に思った。
「じゃあ……三重跳びは?」
挑戦した。
結果。
無理だった🤣
でも悔しいより、
「ここが今の限界なんだ」
と分かったことが面白かった。
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そして、シャボン玉🫧
最初は、お店で売っている小さなシャボン玉だった。
でも、すぐに物足りなくなった。
もっと大きくできないかな。
もっと割れにくくできないかな。
本を読んで調べた。
そして、自分でシャボン玉液を作った。
……作りすぎた🤣
家の中で盛大にこぼした。
普通なら、
「しまった!」
で終わるところ。
でも私は思った。
「まだ使えるやん」
と笑
床に広がった液。
そこへストローを少し刺してみる。
すると母。
『しずくさん……』
『拭くのが先……』
ごもっともだった🤣
でも、私には「こぼした液」ではなく、
「まだシャボン玉を作れる液」に見えていた。
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そして、また新しい疑問が浮かんだ。
「もし……」
「吹くんじゃなくて、一回吸ってからフーってしたら……」
「口からシャボン玉が出るんじゃない?」
試してみた。
結果。
口からシャボン玉は出なかった🤣
代わりに、盛大にむせた。
科学の道は、そんなに甘くなかった🤣
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でも研究は続いた。
大きなシャボン玉を作る。
その中に、もう一つシャボン玉を作って入れる。
さらに小さなシャボン玉を入れる。
気づけば庭は泡だらけだった🫧
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今振り返ると、私は昔から変わっていない。
やってみたい。
知りたい。
できるようになりたい。
その気持ちだけで動いていた。
でも、そんな私の隣にはいつも家族がいた。
父は、
『危ないからやめろ』
ではなく、
どうしたら安全にできるかを考えてくれた。
母は、
暴走する私を現実へ戻してくれた🤣
そして、きっと一番悩んでいたのも母だったと思う。
青タンだらけの膝を見て、
『この子、大丈夫かしら』
と思っていたに違いない。
それでも、私を止めるだけではなく、
見守ってくれていた。
今思えば。
私の「やってみたい」は、
家族に受け止めてもらって育ったものだったのかもしれない。
私は昔から、ほどほどを知らなかった。
でも。
夢中になれるものがあることは、
幸せなことだったんだと思う。
