産まれてこなければよかった、と母に告げた日
(コンテスト作品 正直になってよかったこと)
「正直に言うこと」は、時に残酷な凶器になります。 けれどあの日、17歳の私が母の胸に突き刺した「本音」は、今思えば私たちが別々の人生を歩き出すために必要な、大きな境界線を引いた日でした。
守られなかった場所、気づかないふりをした母
私は、自分を守る術を知らないままに
大人にならざるを得なかった。
12歳で施設に入れられ、
14歳で母のもとへ呼び戻された家には、
母の連れ込み男がいた。守られるはずの家で、
私は大人の欲望の「おもちゃ」にされました。
子どもだった私は、
それが「おかしいこと」
だとさえ分からなかった。
母は、見て見ぬふりをした。
自分の寂しさを埋める男と、
目の前で心を亡くしていく娘。
母が選んだのは、いつも自分の
孤独を埋めるほうだったのです。

15歳の逃走
私は15歳で家を出ました。
行くあてなんてなかった。
頼れる大人もいませんでした。
あるのは、
「ここにいたら壊れる」という直感だけ。
最初の一年は、ほぼ路上生活でした。
公園のベンチ。
大阪の電車(環状線)
スーパーのフードコート。
お風呂は友達の家でもらい
この身を転々とする日々に
正直、疲れ果てていました。
大きなビルと物置裏の隙間に
段ボールをしいて夜を過ごす。
誰も来ず、匂いも無くてまだ
寝れたほうでした。
夜はいつも怖かった。
寒さよりも、人の足音が。
それでも家には戻らなかった。
あの家に戻るくらいなら、
外のほうが全然ましだったから。

16歳、自分で立つと決めた日
16歳になった私は、
友達の住所を借りて仕事を始めました。
本当は未成年の住所貸しなんて
頼めた話じゃないのはわかってる。
ですが、生きるためには仕方がなかったんです。
友達のお母さんに事情をいい
「仕事場」からの確認電話に
出てもらい、協力してもらった。
朝から晩まで毎日働いた。
とにかく働いた。
昼の仕事を終えると、
18時から21時まで
時給1100円の日払いバイト。
その帰り、
スーパーの半額弁当(300円前後)を買い、
一泊2500円のレディースサウナで
風呂に入り、朝7時まで眠った。
それが、毎日の暮らしだった。
外で眠っていた私にとって、温かいお風呂と
リクライニングチェアーは、
鍵を気にする不安はありながらも、
久しぶりに安心して眠れる場所だった。
「誰かに守られる」人生は終わった。
「なんで私だけこんな目に……」なんて
思える余裕がその時、なかった。
とにかく生き延びるしかなかった。
そして3か月目。
やっと、自分の部屋を借りた。
鍵を受け取ったとき、
手が震えた。
あれは、安堵の震えだったのか、
自分の居場所ができた喜びなのか、
こころの奥底からの震えだった。
畳の匂いがする、六畳一間の
何もない部屋。
でもそこは、雨風をしのげて、
誰に気兼ねすることもなく、
やっと心から休める場所だった。
17歳になる前に、
私は自分で「生きる場所」を手に入れた。
それから一年後。
逃げ続けてきた母と向き合うため、
私は会いに行った。
母は家にいなかった。
パチンコ店にいた。
声をかけると、母は気まずそうに目を伏せ、
「……やめるわ」とだけ言った。
私たちは、そのまま
いつもの喫茶店へ向かった。

喫茶店の午後 — 境界線が生まれた日
喫茶店のドアを押した瞬間、
コーヒーと煙草のにおいが混じった空気が流れ込んできた。
母は目を合わせないまま言った。
「レーコー、2つちょうだい」
席に座ると、落ち着かない手つきで煙草に火をつける。
灰皿の中で、灰が崩れていく。
沈黙が続いた。
やがて母が、小さな声で言った。
「元気にしてたん?」
目を合わせないまま言う。
「別に」
沈黙が落ちる。
私は切り出した。
「また、パチンコしてるん?」
母の手が止まる。
「通っただけや」
「座ってしてたやん。」
母の口元が歪む。
「1000円だけや。すぐやめる
つもりやったんや。」
「やめる言うてたやん」
その瞬間、母の声が尖った。
「人のこと責めんといて!」
「責めてへん。事実やん」
母はコップの水を一気に飲み干した。
そして吐き出すように言った。
「あんたかて好き放題してるやろ。家出て、勝手にして」
頭の奥で、何かが切れた。
「好きで出た思ってんの?」
母は黙る。
私は身を乗り出した。
「家に男おったやろ」
母の目が揺れる。
「……昔のことや」
「私は昨日のことみたいに覚えてる」
声が震える。
「家に帰るん怖かった。
夜が来るん怖かった」
母はうつむいたまま何も言わない。
「わかってたんやろ?」
空気が凍る。
隣の席の食器の音だけが遠くで鳴った。
母は顔を覆った。
「……やめて」
「なんで助けてくれへんかったん?」
答えない。
沈黙。
その沈黙が、すべてだった。
胸の奥に溜まり続けたものが、濁流のように溢れ出す。
「なんで私を産んだん?」
母が顔を上げる。
「……え?」
今まで見たことのない表情だった。
私は止まらなかった。
「生まれてこんかったらよかった!!」
店内の時間が止まった。
母の顔が崩れた。
「なんでそんなこと言うの…」
ぽたぽたと涙が落ちる。
「なんで…そんな…」
——足りない。
それでも、全然足りない。
そう思った自分に、はっとした。
こんなにも、私は傷ついていたのだ。
そう思った。
でも次の瞬間、
別の感情が静かに広がった。
目の前にいるのは、
私を苦しめてきた「母親」という
絶対的な存在ではなかった。
寂しさに耐えられず男にすがり、
不安から逃げるようにギャンブルに溺れ、
娘の痛みを直視する強さも持てなかった人。
その瞬間、
長いあいだ胸を焦がしていた怒りが、
音もなく消えていった。
私はようやく理解した。
この人には、
私を守る力がなかったのだ。
そして同時に思った。
もう期待するのはやめよう。
この人の人生は、この人のもの。
私の人生は、私のもの。
あの日、私の中に一本の線が引かれた。
それは憎しみの線ではなく、
自分を守るための境界線だった。

小さかったあなたへ
声を上げられない子どもが、今もどこかにいる。
家の中で起きていることは、外からは見えない。
沈黙は、守られている証拠ではない。
助けを求める声が、届いていないだけかもしれない。
もし、あの頃の私のように
苦しさを飲み込んでしまった
「かつての子ども」がいるなら――
どうか知ってほしい。
あなたは悪くない。
「誰かを許せないままでも、いい。」
子どもは、本来
守られるために生まれてくる。
幸せになるために、生まれてくる。
それでも世界は、ときに残酷で、
その現実は「きれいな言葉」だけでは包めない。
あの日、十代の未熟な私は
残酷な言葉で母を突き刺した。
けれどその鋭い言葉は、
私が生き延びるために、こころが上げた声だった。
あの瞬間、私は
愛されたかった子どもとしての未練を手放した。
悲しみも、さみしさも抱えたまま、
それでも前に進むために。
それぞれの人生を歩き出すための
大きな境界線だった。
あの日引いたその線の上に、
いまの私が、静かに立っている。

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