不安や恐怖に負けると出現するもの
それは先月にも出したカリスマやバイブルです。
つまり、現在の自分に「ない」ことに対する不安や恐怖から生まれる「欲しい」を具現化したもの。
なぜそんなに欲しがるのか?
自分を信じられない・自分が嫌いといったネガティブな感情を効率良く抑圧するための代理人を作ることで、グラグラな精神状態を(少しでも)落ち着かせられるから。
こうして自己肯定感は高まったとしても、それは自己否定の裏返しでしかなく、言い換えるとハリボテの自分を演出しているだけになります。
その生き方を経験することは、後に学びとして昇華することも可能。
しかし学ばないまま年だけを取り、そのまま病んで死ぬとしたら、実にもったいない時間の過ごし方ではないかと思います。
これまでいろんな人との関わりを通して、(ある程度ですが)そういう人ではないか?という見分けはつくようになりました。
その見分けポイントとのるのが「目」の動き。
どんなに言葉を操っても目は嘘をつけない
当たり前に目も嘘をつけるならそれはサイコパスに該当しますが、使う言葉に相応しい目の動きがなければ、どう綺麗な言葉を使っても信用しません。
「目が泳いでないか?」「目が血走ってるか?」
という風に、目にも宿る感情の動きを読み解くことも、複雑な人間関係を強く・しなやかに生き抜くための重要スキルのひとつ。
わたしはそう捉えてます。
とはいえ、こうした"ないものに対する偶像化"を悪いこと・間違いとは断言しません。
ストレス社会において心の支えは必要ですし、必要とするのは自然なこと。
個人としての成長・誰かを幸せにするなどの健全な目的意識を持ってそうするのであれば、十分ではないかと理解します。
まとめると、不安や恐怖というネガティブな感情を持つ自分を許せるか?
それゆえの内面的な葛藤は苦しいけど、その感情を感じ切ることで、自己理解・自己受容ができる。
これを実現できるかは別にして、可能性は誰にでもある。わたし自身の経験上、そう言い切れます。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
”サクセスストーリーの創作”はこれからも続きます!