プロレスを観に行ったら、4年前の自分を見た #225
私は人生ではじめてプロレスをみた。
試合の終盤、マスクを剥がされたレスラーが言う。
「自分がよくわからなくなりました」
すると相手のレスラーは、彼の手を掴んで言った。
「頑張って」
その瞬間、私はなぜか胸がギュッとなった。
2026年6月3日。プロレスの会場は、新宿FACE。はじめてはなんでも楽しみ半分、不安も半分だ。野球みたいにチャンステーマとかあるのかな、とか、観客がみんな男の人だったらちょっと気まずいな、などと、会場までの道中、落ち着かない。新宿は何度か来ているのに、きれいな夕焼けの空や、歌舞伎町の人混みを、無駄に写真に撮ったりしてしまった。
会場付近に着き、入口を探す。でもなかなか見つからず、ウロウロする。きっと挙動がおかしかったのだろう。左の視界に、青い服の警備員が見えた。ちらっと視線を向けると、バチっと目があった。
やばい。
思わず目をそらす。何も悪いことしてないのに、なぜか体が動かない。
私、もしかして、職質される?
そう思った瞬間、警備員はやはり声をかけてきた。
「新宿フェイスですか?」
メガネの優しそうなおじさんだった。ただ親切に入口を教えてくれただけだった。
会場は7階。入口でチケットをもぎり、「ワンドリンク制です」とドリンクを買う。席は指定席で、リングから4列目だった。
こんなに近いの!? と、驚く。
前日にチケットを買ったから、もっと後ろの方だと思っていたのに。というか初心者だから、もっと後ろの方でもいいんだけど。でもちょっと嬉しい。
ほくほくした気持ちで席につく。私の両隣は女性の観客だった。案外、女性客が多くてホッとする。左隣の女性は立派なカメラを首から下げていて、右隣の女性は、選手のアクリルスタンド越しに、リングの写真を撮っていた。みんな楽しそうだ。私もプロレス常連感を出したくなって、パイプ椅子にどっしりと背中を預け、入口で買った緑茶を飲み、リングの写真を撮った。

プロレスは思っていたよりずっとエンターテインメントだった。10分から20分くらいの試合がいくつも行われる。笑いがあり、派手な衣装のレスラーがいて、男子高校生の悪ノリの延長みたいなものがあったり。なんだか吉本新喜劇を思い出させた。
観客は手拍子で盛り上げて、歓声をあげていた。大きな体がリングに落ちる時の振動。肉と肉がぶつかるときの「ドチッ」という重たい音。そして胸にチョップが落ちたときに吹き上がる、汗のしぶき。感じるもの全てが新鮮で、一つ一つに身を乗り出していた。
そして観ながら、ある現役格闘家が言った言葉をずっと反芻していた。
「プロレスはAVと似ている」
その言葉の通りだった。技を決める時、わざと「パチンッ」音を出しているようだったし、起きている行為をあえて「腕が、ねじられてるー!」などと言葉にしていた。体が受けた感覚を目をギュッとつぶったり、逆に大きく見開いたりして表現する。やられているように見せて、相手を立てる息のあった動き。なにより身体と身体のぶつかり合い。全てAVと同じだ。ただひとつ違うのは、AVはプロレスみたいに、生でみせられないというところだけだろう。
これ、次の撮影で参考にしよう、と学びとるものが多い。もし今後の私の作品で、キスの音がやたら大きかったら、プロレスを観たせいだと思ってほしい。
試合は後半になるにつれて、レスラーの年季が増しているようだった。その分、闘いの雰囲気も違った。笑いよりも凄み。エンタメよりも物語。そして派手さだけでなく、沈黙があった。会場がしんとなる時間、観客はきっと「ここからどうなるんだろう」と思考が動く。そして全神経がリングに引き込まれ、緊張する。少なくとも私はそうだった。
この観る側に想像を働かせる余白が、AVでも大切だと感じた。演じる身としては、現場が静かになると怖い。セックスシーンを撮っている時は特にそうだ。だから行為を言葉で説明したり、喘ぎ声を多めにしたり、体位の展開を早くしてしまいそうになる。
でも今回、プロレスを観て分かった。余白は必要だ。そしてその余白を“溜める”というのも大切だ。プロレスだったら組み合って動かない時間。睨み合ってゆっくり間合いを取る時間。AVだと、挿れたまま、相手の形を味わう時間。目を見たまま、手で相手の体を探って、どこがしっくりくるのかを感じる時間。などなど。
実際に、静寂の中、ゆっくりとした溜めがある試合の方が、記憶に残っている。それに観る側はその時間を、つまらないなどとは思わない。
今度の撮影では、余白を多めにつくってみようと思った。
今回、特に記憶に残ったのは、青木真也さんと、マスクを被ったビエント・マグリノさんの試合だった。
勝敗が決まった後、青木さんがビエント・マグリノのマスクを剥ぎ取り、「もうみんな(正体は)分かってるんだよ」と言う。そしてマスクを剥がれたその人は語りだす。
「僕が中村圭吾ですよ━━」
彼は去年の4月、青木さんとの試合で締め落とされ、その後メキシコへ渡った。慣れない環境、慣れない言葉に順応できず、最初の試合でつまずいた。
そして中村さんは言った。
「自分がよくわからなくなりました」
日本に帰ってきた今でもよくわからないです。自分が怖いです。と。
その言葉を聞いた瞬間、私は息を呑んだ。さっきまで名前も知らなかったレスラーだ。それなのに、その言葉の感覚は知っていた。
しゃべったのはリングの上にいるのは中村さんなのに。なぜか自分が言ったような気分になる。
青木さんがマイクを取り、「どうするんだよ」と聞く。中村さんは再びマスクをかぶり青木さんを見る。青木さんは右手で、彼の左手をバチンと掴み、こう言った。
「頑張って」
その言葉を何度も繰り返し、右腕を中村さんの首に回し、抱きしめた。会場は拍手で沸く。私は2人のハグよりも、青木さんの横顔を見ていた。彼の視線の先はリングの外。何を見ているのだろう。何を思っているのだろう。なぜかそのことが妙に気になった。
2人が抱き合っている間の、ほんの少しの沈黙。そこに、ものすごく想像を掻き立てられ、胸はひどくざわついていた。なぜここまで感情を引っ張られるのだろう。その答えが見つからないまま、プロレス観戦は終わっていった。

夜9時、帰り道。歌舞伎町を通り、新宿駅へ向かう。相変わらず、祭りでもやっているかのような、灯りと喧騒と人の量だ。横断歩道の青信号が点滅しはじめている。いつもなら小走りで渡ってしまうくらいの距離だけど、この日はゆっくり歩いた。まだ帰りたくなかった。会場と地続きのような、この騒がしい街の中に、もう少し自分を置いていたかった。
なぜ私は青木さんとビエント・マグリノさんの闘いに、あそこまで心が動いたのか、赤信号を見上げながら考える。はじめて観るプロレスだったからか。でも絶対それだけじゃない気がする。結局家に着いても、答えは見つからないままだった。
しかし翌朝、目が覚めて、答えがふらっと落ちてきた。
━━あれは、4年前の私だったんだ。
AV女優になる前のこと。はじめてのグラビア撮影の日だった。撮影を終え、ロケバスで東京駅に送ってもらう。当時、私は大阪に住んでいて、まだ会社員をしていた。東京駅から新幹線に乗って大阪に帰る。明日はまたいつも通り、会社に出勤する。もちろん、藤かんな、ではない顔で。何事もなかったかのように。
バスを降りるとき、グラビアを撮ってくれた、写真家の西田幸樹さんが、私の手をギュッと握って、こう言った。
「頑張って」
その瞬間、私は「ありがとうございました」と笑っていたと思う。でも本当は、すごくすごく、泣きたいくらい、心細くなっていた。
目の前の西田さんの手が離れていく。藤かんなでいられた時間は終わる。夢はさめて現実が来る。でも私はこれから人生の舵を大きく切ろうとしている。とんでもない博打。AVデビューをするのだ。誰にも相談せず、全部ひとりで決めてしまった。そしてグラビアを撮った今、どんどん後戻りはできなくなっている。
手を離さないで。
ひとりにしないで。
誰か、止めてよ。
そう思っている自分がいた。でもその感情を自分でも無視していた。AVデビューはもちろんリスクがある。会社にバレたら、親にバレたら、売れなくなった後は。どうなるかを想像するのも怖い。じゃあなぜそこまでして、この世界に行きたいのか。正直、自分がよくわからなくなっていた。進むも地獄、退くも地獄。だったら進む。ただそれだけ。理由を整理できないまま。勢いだけで。
もう自分が怖かった。
そのグラビア撮影から、3年ほどだった頃、西田さんはあの時のことを、こう話してくれた。
「撮ってる時はずっと、かんなちゃんがカメラの前にいることに、すごく違和感がありました。彼女はなぜ、どんな理由があって、ここにいるんだろうって。その理由はいまだに分からないです。彼女は何かをぶっ壊したいのか、何かを手にしたいのか。きっと相当の理由があってここにいるんだろうな、と僕なりに思ってます。だから、グラビアを出すことで、元をとってほしい。そう思ってました。この撮影が何かの力になれたら良い。目指すものに、少しでも近づければ良い。何かしらを手にして、帰ってほしいと思ったんです」
あの日の「頑張って」は私を鼓舞するものでなくて、西田さんからの祈りだったのだ。
そしてきっと青木さんの「頑張って」に、同じものを感じたのだと思う。
励ましではない。応援でもない。もっと静かなもの。相手の旅路を信じる力。相手がこれから転ぶことも、迷うことも、苦しむことも、全部わかった上で。
それでも行ってこい。
そんな言葉だった気がする。
4年前の私も、そうやって送り出された。
西田幸樹さんに。そしてあのグラビアをセッティングしてくれた、たくさんの人たちに。ひとりで船出したつもりでいたけれど、きっと違う。何人もの人がつくった船に、乗っていただけだ。おかげで今もこうして、藤かんな、が存在できている。
物事って、俯瞰で見てはじめて気づくことがたくさんある。時間が経って俯瞰する、もしくは、他人に自分を重ね合わせて俯瞰する。
あの日リングの上で見た「頑張って」は、ビエント・マグリノさんに向けられた言葉だった。でも私は勝手に、自分への言葉として受け取った。4年越しに。
だから、あんなにも胸がギュッとなったのだと思う。人生ではじめて観たプロレスが、この試合で良かった。
追記。
この記事を書いていて、4年前のことをたくさん思い出した。西田幸樹さんに撮ってもらった、人生初のグラビア。当時はただ必死だったけれど、今見ると、あの頃の自分の顔がちゃんと写っている気がする。
興味があればどうぞ。
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