第220話 サンボマスターで泣いた夜〜『好きすぎて怖い』と言われた10年後の話
暗くなったアリーナに、1曲目のイントロが響く。サンボマスターの山口隆さんの声が聞こえた瞬間、体の奥から押し出されるみたいに、涙が溢れた。
こんなふうに泣く理由なんて、すぐには思い当たらない。思い当たりたくもない。
ハンカチで拭くことも忘れて、手を胸の前でぎゅっと組んだまま、ただ立ち尽くしていた。
2026年4月29日、Kアリーナ横浜。4階席というのだろうか。一番天井に近い、端の席。ステージのドラムセットは大豆くらいの大きさにしか見えない。
そんなことはどうでもいい。
この場に来られたことで十分だ。
こうしてサンボマスターのことを書こうとすると、高校生の頃の恥ずかしい思い出が蘇る。当時、SNS『mixi』が流行りはじめていた。私もそこで同級生と繋がって、他愛もない日記などを書いていた。
ある日、何を思ったのか、サンボマスターの魅力を、かなりの長文でmixiに書き込んだ。するとそれが校内で少し話題になった。
あまり面識のない同級生が、こう言った。
「好きな気持ちはむっちゃ伝わるけど、怖い」
恥ずかしさを通り越して、戦慄が走った。
「好き」って気持ちを全開にすると、引かれるんや。
その時はじめて知り、それからブレーキをかけるようになった。
あれから十数年が経った。当時より怖いものは減った。顔もアソコも晒して、SNSの炎上も経験した。
今、高校生の自分を思い返すと思う。
10代の私はすでに、同級生をザワつかせる筆力を持っていたのか、と。
だから今回は、過去のトラウマに決着をつけるためにも、大好きなサンボマスターのことを書こうと思う。
この日、ライブに行ったのは10年ぶりだった。最後に行ったのは、社会人なりたての頃。当時は4階席まである大きなアリーナではなく、観客はオールスタンディングで、ステージから汗が降ってくるくらいの規模だった。
ライブが終わった後、熱気だけが残る空のステージを見て、こう思ったことを覚えている。
「人間って美しいな」
当時いろんな感情があった。子供から完全に大人にならなければいけない時期。人間や社会の醜さに、少しずつ気付きはじめていた。そんな大人の仲間入りをすることに、ぼんやりとした恐怖や絶望を感じていた。
━━でも人間は、美しいものもつくれる。
それからなぜライブへ行かなくなったのかは分からない。単純に仕事が忙しくなったのか、自分の中で何かが完結したのか。おそらく理由はひとつじゃない。
そんなライブ会場に10年ぶりに戻ってきた。
最近の曲ばかりするのだろうか、昔の曲もたくさんやってほしい。そんなことを考えながら、はじまった、1曲目。
━━『美しき人間の日々』
過去をひもとけば、いろんな事柄が、あなたの前にもあったでしょうよ。
だけどもこの先は、素晴らしい日々だけ残っているような、そんな気がして。
10代も20代も、30代になっても、ずっと聞いてきた曲。歌詞だって全て覚えている。
私もここにくるまで、色んな事があったんだ。
過去のワンシーンが、散らばった写真みたいに頭に浮かぶ。
会社に入った。一生懸命働いた。評価されず異動になった。夜の過ごし方が乱れた。体を壊した。コロナがきた。AV女優になった。会社にバレた。バレエ教室にもバレた。SNSで炎上した。本を出した。上京した。
そして最近も、色んな事が起きている。写真集を出す、写真展をする、本『はだかの白鳥』を舞台化する。それら今年の予定は全てなくなった。
そして何よりもこたえたのはこれ。
━━父に仕事がバレかけた。
「ずっと嘘ついてたんか」
そう言われた瞬間、頭から血の気が失せて、その場にしゃがみこんだ。
私を責める声ではなくて。なんでもっと早くに気づいてやれなかったんだろうって、自分を責めるような力のない声。
ちぎれそうな細い糸を、そっと、なんとかたぐり寄せようとする、静かで、張りつめた、短くて長い時間。
父との電話が切れたあとも、スマホを持っている手は耳元からずっと離れなかった。
手の先が冷たい。
寒い。
内臓から震えるようだ。
うまく息が吐けない。
この世でひとりぼっちになった気がした。
雨の降る夜、真っ暗闇の中、バスに揺られてどこかへ遠くへ行くような、そんな心地。
━━人生、詰んだ。
そう思ってしまった。
これまでどんなことがあっても、誰に何を言われても、そんなことは思わなかった。それなのに、父にバレかけただけで、こんなにも簡単に自分が崩れていく。
私の世界は終わる。
もう何もかも捨てて、誰も知らないどこかへ、逃げてしまいたい──
この日、ライブに来たことに明確な理由はない。ただSNSで流れてきた告知を見て、なんとなくチケットを買ったのだ。でももしかすると、潜在的に寄る辺を探していたのかもしれない。サンボマスターは10代の頃から、私の拠り所だったから。
ライブの中盤、ボーカルの山口隆さんが言った。
「今日はここに、お前たちの悲しみ全部、置いていけ」
アリーナには2万人の観客が来ていた。
ここにいるみんなが、悲しみを抱えているのか。私の悲しみなんて、大したもんじゃないんだろう。そう少し冷めた気分になる。同時に、悲しみなんてそう簡単に切り離せるものでもない、とも思う。
「そしてオレはみんなにこう言いたい。生まれてくれて、ありがとう。」
静かな声で、言葉を置いた。
そしてまた曲がはじまった。
━━生まれてくれて、ありがとう。
大した言葉じゃない。誰にだって言える、ありきたりな言葉だ。でもその簡単な言葉を、ちゃんと言ってもらえることって、何回あるだろう。
私はこの人の分かりやすくて、真っ直ぐな言葉に、何度も救われてきた。励まされて、支えられて、とりあえずできることをしようと、一歩踏み出せた。
だからこの瞬間も、一番ほしかった言葉を言われた気がしたのだ。
━━生まれてくれて、ありがとう。
━━ひとりぼっちは終わりさ。
━━君はいたほうがいいよ。
涙は止まらなかった。下唇を噛んで、上を向いて、目を逸らしても、体のどこかがバグったみたいに溢れ続けた。
父のことはまだ解決していない。あの時感じた、内臓から震える恐怖は日に日に薄れているが、胃の底はずっと重い。
ライブに来たって現状は変わらない。これが終わると、私はまたひとりになる。ひとりでご飯を食べて、電車に乗って、家に帰る。
でも"ひとりぼっち"という言葉は、もう頭にない気がした。
私の世界は終わってないし、
まだ全然、人生、詰んでない。
ここに来てよかった。
真っ直ぐな言葉をくれて、ありがとう。
高校生の私は、好きなものを「好き」だと言って、「怖い」と言われた。そして自分の「好き」より、他人の「怖い」を尊重し、気持ちにブレーキをかけるようになった。
でも結局また、自分の「好き」に従って生きている。「怖い」と言う人たちは、離れていった。
今は思う。
「怖い」と言われるくらいで、ちょうどいいと。
そう言われるときの私は、全てちゃんと本気だった。その本気の結果には、いつも後悔がなかった。
高校生の私に言ってあげたい。
あなたは大丈夫だ、と。
その「好き」は、間違っていない。それのおかげで、前を向ける夜がくる。
そしてこの日、帰りにロイヤルホストに寄り、ひとりでハンバーグを食べながら、もう一度思った。
━━人間って、美しい。

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