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第223話 【後編】 人生が止まる時、何かが回避されている

梅田ドトールで好青年が微笑む

あれは私が20代後半。3月の土曜日。大阪梅田駅の紀伊國屋で本を買い、近くのドトールで買ったばかりの本を読んでいる時だった。

「あの、なんのお仕事されてるんですか?」

隣から高くも低くもない男性の声が聞こえた。視線も感じる。どうやら私に声をかけているようだ。でもきっと水商売や風俗のスカウトだろう。当時の私は、髪色がゴールドに近いブラウンだったから、よく声をかけられていた。

それにしても店内で違法スカウトするとは、なかなかの度胸。無視をするはずだったが、つい好奇心で彼の顔を見た。

そして、思わず息をのんだ。

━━なんと模範的な微笑み。

イケメンではないが、黒の短髪、色素の薄い塩顔、細身で中性的。清潔感の偏差値は75越え。

「え・・・・・・と、会社員です」

返事をするつもりじゃなかったのに、まんまと負けた。

「へえ、真面目そう! なんの本読んでるんですか?」

真面目そうって、適当すぎるやろ。
返答の偏差値はそんなに高くないらしい。

しかし返事をしてしまったのが最後。彼は人懐っこさが尋常じゃなく、葉が川を流れるように、サラサラとLINEの交換まで完了した。

「近々また会いましょうね」と、その日は別れた。不覚にも春風にもふかれたような気分だった。


彼は大島くんといい、年齢は私と同年代。LINEを交換してから2度、2人きりで会った。そのどちらもが喫茶店で、会う時間も2時間程度。見た目が中性的な彼は、私に下心も抱いていないようだった。

じゃあ一体なんのために、私と会ってくるのだ。
不信感が芽生えはじめる。というか、私の方が下心満載のようで恥ずかしい。

彼との会話は少し独特だった。
「仕事で大変なことは何?」
「将来は何したい?」

私は「残業が多いから、もう少し自分の時間がほしいな」や「もっとバレエしたいし、本読みたいねんな」などと返事した。

「じゃあ自分が今思う理想を書いてみてよ」

彼にそう言われるまま、自分の理想をいくつかスマホに打ち込んだ。それを見て大島くんは言った。

「それ起業したら全部叶うよ!」

はあ? 起業?

保険会社に勤めているらしい彼は「バレエで起業したら良いやん」と、しきりに勧めはじめ、起業の魅力を語ってきた。

このまま保険商品でも売られるんかな。

そう思ったが、その様子もない。

「僕もいつかは起業したいと思ってるねん。今、その勉強してる。僕の尊敬する師匠がいるから、今度その人に会わせたい」

その尊敬する人は、モモコさん、という女性らしい。
女性なら大丈夫かな。
そう思い、後日、彼と一緒にモモコさんと会うことになった。


正体を明かさない人たち

土曜日の昼。大島くんと落ち合い、モモコさんのいる、梅田駅近辺の高層マンションへ向かう。玄関で、中年の男性がひとり出てきて、大島くんと一緒に、奥に通される。部屋は全体的に静かだった。でも私たちの他に、人の気配が確かにある。部屋の広さはきっと、2LDKか3LDKくらい。ここはモモコさんの家なのだろうか。生活感はあまり感じられなかった。

部屋の奥に真っ赤なソファーがあり、そこに大島くんと一緒に座る。周囲に薄いピンク色のカーテンが引かれる。これらは、モモコさんの趣味なのだろうか。まるで占いでも始まるようだった。

モモコさんが現れた。

30代後半くらい、長い髪にはウェーブがかかり、首や耳や指には、まあまあ品よく装飾品がついている。美人ではないが、頼れる姉御っぽい顔つき。怒らせたら怖そうだ。

「あなたも将来、やりたいことがあるん?」

いきなりそう切り出され、一方的に彼女の話が続いた。

「私は普段むっちゃ忙しいから、こうして人と会うことないんやけど、今日は特別」
「ここまで事業を大きくするのに苦労はしたけど、やってよかったと思ってる。何より仲間がおったからな」
「あなたのやりたいことに、協力できると思うよ」

ここまで読んでくれた読者は、なんかこの話、要領を得ないな、と思っただろう。まさにそれが当時の私の心情だ。

大島くんから突如、起業を勧められ、あれよあれよとモモコさんに会い、彼女がなんの事業をしているのかも知らないまま、「協力できるよ」と言われている。

具体的に私の何に協力してくれるんですか?

そう聞きたくても、質問できる隙もないまま話は続いた。そしてモモコさんは20分ほどで「次の予定があるから」と去って行った。

「あとは大島くんを頼ったらいいわ。分からんことあったら、なんでも聞いて。頑張ってね」

そんな一言を残して。
まるで夏の嵐に巻き込まれたようだった。


モモコさんのマンションを後にする。
外はよく晴れていた。気持ちの良い春の午後。しかし私は目の奥がジンジンし、頭痛がくるだろう感覚があった。緊張したのだ。

━━ちょっと帰りたいな。

「スタバでも行って話そか」

駅の方に歩きながら、大島くんが言った。頭痛がくるだろう感覚は、もうズキズキを発揮している。でも彼のこと、モモコさんのこと、よく分からないことが多すぎる。確かめたい。

スタバに着き、私は抹茶のフラペチーノを頼んだ。とにかく甘いものが欲しかったのだ。そして一旦トイレに行き、頭痛薬を飲んだ。

席に戻り、フラペチーノをすする。大島くんは「モモコさん、良い人やったやろ。まだ紹介したい人おるねん」と、話している。

まだいるのか。
それよりも、あなたの目的は、何?

聞きたいことが聞けないまま、フラペチーノをストローでぐちゃぐちゃにかき混ぜ、頭がキーンとなるのも気にせず吸い込んだ。ひとまずこの頭痛がおさまるまで・・・・・・

気持ちと頭痛が少し回復してきたところで、彼に聞いた。

「モモコさんはなんの事業をしてんの?」

「オーガニック商品の店舗やで」

美意識高そうだし、それっぽい。

「大島くんは起業の勉強してるって言ってたけど、モモコさんのところで勉強してんの?」

「モモコさん繋がりの社会人サークルがあって、そこで色々話聞いたりして、勉強してる。ゆくゆくは、モモコさんの持ってる店舗を手伝うねん」

どこかまだ要領を得ない。

「それで将来、起業できるの?」

「モモコさんが協力してくれる」

「でもそれって、まずはモモコさんの店舗の支店長みたいなことをするんちゃうん?」

「はじめはそうやけど、ゆくゆく自分で起業できるようになると思う」

思う、って曖昧だな。

「オーガニック店舗って、大島くんのしたかったことなん?」

「まずはモモコさんのところから始めて、いずれ自分のしたいことをするつもりやで」

聞いても聞いても、コトの輪郭が掴めないこの感じ、とても気持ち悪い。

「今日の夜、その社会人サークルの集まりあるんやけど、行ってみいひん? 近いから、ここから歩いていけるし。全然今日じゃなくてもいいし。頻繁にやってるから」

大島くんはあからさまに話を変えた。

もう今日は情報過多だ。帰りたい。
でもこのままモヤモヤしたまま帰りたくもない。
疲労は意地に、好奇心は追究心へと変わり、その社会人サークルに行くことにした。

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