第224話 熱がでると、世界が急に狭くなる
朝、目覚ましが鳴って、体を起こそうとした瞬間、異変に気づいた。
━━重い。
これ絶対なにか体に異物が入ったやつだ、と思った。
普段なら、ちょっと体がだるいくらいで熱なんて測らない。でもその日は、枕元に置いてある体温計を、すぐに脇に挟んだ。
なんで枕元に体温計があるねんって話なんだけど。
私は万が一の備えが、まあまあ抜かりないタイプ。枕元には、頭痛薬や絆創膏があるし、懐中電灯もロウソクもある。
話を戻して。
ピピピッという電子音とともに表示された数字。
38.1。
「おう・・・・・・」
結構ちゃんとしたやつが来たな、と思った。
とはいえ、朝ごはんを食べればよくなるかも、と、ひとまずいつもの朝のように動く。窓を開けて、布団を整えて、水を飲む。そして、ご飯をチンしようと電子レンジを開けたが。耐えられなくて、よろよろとベッドになだれ込んだ。
右を向いても、仰向けでも、どの格好でも辛い。肩とか腰とか股関節とか、そんなところに筋肉あるのかってくらい全部が痛い。
無理だこれ。
枕元の解熱鎮痛剤を2錠、口に放り込み、唾液で飲みくだす。空腹時はよくないとかいうけれど、そんなこと言ってられない。だって、ひとり暮らしの発熱は、この状況をいかにサバイブする(生き延びる)かに、かかっているからだ。
冷蔵庫に何あったっけ。
なんか頭が回らない。
ああ、確かパウチのゼリーがあった気が。
1年前に賞味期限を切らして、熟成したやつ。
ついに食べどきか。
それより病院。
あかんわ。今日、日曜や・・・・・・
こういう時、人はすぐ絶望しかける。
でも私は知っている。
この絶望感は、だいたい熱のせいだ。
38℃なんて熱を出すと、簡単に「もう全部ダメかもしれない」モードに入る。ダメだと分かりながら病状をネットで検索するし、目をつむるたびに悪夢を見る。今回は「もう元には戻れないから」と、切ない言葉を何度も言う悪夢をたくさん見た。こういう時のメンタルは、不必要にドラマチックだ。
でも人間の体は想像以上にタフ。鎮痛剤を飲んで、寝れば、1、2日はどうってことない。そのうちケロッと元気になることだってある。
それをこれまで何度も経験しているのに、熱が出ると毎回、考えなくていいことをグルグルと考える。ただ、そういう時だからこそ、見えるものもある気がする。
寝ているのか起きているのか分からない狭間で、昔のことを思い出した。
AV出演がバレ、会社を辞めるとなった最終出社日。ずっと一緒に働いていた先輩が、こう言った。
「もし誰かと話したいなって思う時があったら、いつでも連絡して。また王将でも行こう」
その時は、AVの仕事をすることを隠して、「バレエの講師をする」と伝えていた。半分嘘をついた状態。だからもし今後会うことがあっても、話すことは限られる。相談したいことがあっても、最終的には自分で何とかするしかない。だからきっともう会わない。そう思っていたし、実際、それも間違いではなかっただろう。
しかし今になって思う。
人から向けられる「話、聞くよ」は、「一緒に問題を解決しよう」という意味ではない。「一人で抱え込みすぎなくていい」というサインだったのかもしれない、と。そうして差し伸べられた手を、何度も自分で振り払ってきた。あああ、今さらながら落胆する。
私は、人と会う時に「理由」を探してしまうところがある。
この話はゆくゆく何になるんだろう、とか。
この人は何のために私と会うんだろう、とか。
特に大人になってからは、そういう“生産性”みたいなものを、どこかで気にしてしまうようになった。
でも熱が出ている今は、
ただ話がしたいな、とか。
ただ顔が見たいな、とか。
そういう感情が生まれて、その時に浮かぶ存在が、急にものすごく尊く思える。
人間関係って、本当はそういうものなのかもしれない。
なんて、妙にセンチメンタルになって、自分の基準がぼやける。
そんなことを考えていたら、昔ある人が言っていたことも思い出した。
40歳くらいの男性で、やたら「結婚したい」、「パートナーがほしい」を匂わせてくる人だった。
私は「なんでそんなに?」と聞いた。
「だって、大きな病気になった時、ひとりだと困るじゃん。手術の承諾とかさ」
それを聞いて少しシラけた。
もっと正直に言えばいいのに。本当はただ寂しいだけで、手術の承諾とか大袈裟なことを言って、カッコつけてるだけやん、と思ったのだ。
でも熱が出ている今、その人にシラけたことを、やや反省している。病気の時、ひとりは心細い。そして何よりちょっとした生活行動で困る。
人はたまに、本音を変な言い方でごまかすのだ。
私にもそういうところがある。今だって心のどこかでは、こう思っている。「ああ、誰かに心配してほしい」と。でも誰かに連絡なんてはしない。心配されても熱は下がらないから。そのくせにただ一言、言われたい。「大丈夫?」って。
身体が弱った時、心は矛盾だらけで、だいぶダサい。
ようやく熱が引いてきた夜11時、まっくらな部屋の天井を眺めていた。肩や腰の筋肉はまだきしむ。うまく眠れないまま、隣の部屋の水が流れる音や、戸棚を閉める音を聞いていた。
「ブブッ」
枕元のスマホが揺れた。この状況でのブルーライトは絶対に良くない。しかし心はずっと「誰かに心配してほしい」モードだったので、スマホを開いてしまった。
「はだかの白鳥、読んだよ」
1年ほど前から連絡を取らなくなっていた、知人からのLINEだった。
えっ。
目が冴える。彼には仕事のことを伝えていなかったし、もちろん、本を出したことも伝えていない。
━━じゃあなんで『はだかの白鳥』にまでたどり着いたんだ?
それを聞くと、たまたまネット記事を見て、なんとなく気になって調べたら、辿り着いたらしい。
しかも決め手が、
「Abemaの番組で『やろ?』って関西弁で言った瞬間に確信した」だった。
そんなことあるかい、と思った。
同時に薄寒くもなった。
こうやって、昔の知人とか、友人とか。
もしかすると、両親にも━━
いや、みんなもう知っていて、知らないふりをしているだけかも。私が気を遣っているようで、実は周囲の方が気を遣って、受け入れてくれているのかもしれない。
そう思うと恥ずかしくて、情けなくなった。
ひとりでサバイブしてきたツラして、ずっと誰かに支えられている。熱のある頭でそんなことを考えるのは、少ししんどかった。
「読みながら終始、そんなことがあったんだ、そんな気持ちだったんだ、と思った━━」
彼からのLINEには、丁寧な長文の感想が綴られていた。
「長い時間飛んでいる身体には、周囲からは見えないような小さな傷がたくさんできているかもしれない。けど傷を癒してくれる存在も必ずあるはずだよ」と、“白鳥”にかけた表現で。
なかなか詩的な文章。あれ、AIか? いや、そんな邪推はやめておこう。気持ちを伝えようとしてくれた、この意思は本物だ。
AV女優だと知った途端、距離の取り方が変わる人は多い。
「調子のんな、売女め」と乱暴になる人もいれば、「女優の側面は知りたくない」と目を背ける人もいる。でも彼は「私」を知って、「藤かんな」も知ろうとしてくれた。それなのに私は、彼と会う理由が見つからないからと、1年前にすでに手を払ってしまっている。
あああ、とため息が出る。
ただ、そのあと少しやりとりをする中で、ちゃんと冷静になる文面があった。
「人生は面白いなって思った。主観的にも客観的にも」
これはどういう意味だ、と考える。もちろんそこに悪意はないが、既視感がある━━
分かった。
「もう違う世界の人」として、うっすら線を引かれた時の感じだ。遠くから眺めるみたいな。陰ながら応援してるよってやつ。
だから彼とは、これからも何も起こらない。
知ることと、近づくことは、別だった。
人間関係は、きっと理由があるものが全てではないだろう。話したいだけ、会いたいだけ。そしてかすって、すれ違う人がほとんどだ。
ただ中には「知ろう」とする人がいる。
その行為は、優しさだと思う。
私は体が元気になれば、またひとりで気楽に生きていくだろう。でも熱を出したこの日、彼の「はだかの白鳥、読んだよ」って言葉が、いつもより深く染み込んで、嬉しかったということは本当だ。
熱が出ると、人は急に世界が狭くなる。
だからこそ、小さな優しさが、やたら大きく見えるのかもしれない。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートは私の励みになり、自信になります。
読んでくれて、ありがとうございます。