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軋むことを是とする家の論理

 午前二時、私は頭痛とともに目を覚ました。
 また…だ。
 足元の床が、不愉快な音を立てている。
『ギィ……ギィィ……ググゥ……』
 それは乾いた木の音ではない。
湿り気を帯びた、骨と筋が擦れ合うような重い軋み音だ。
一級建築士という自身のプライドを捨ててまで他社に発注した思い入れのある我が家。
 私はベッドから起き上がり、リビングの壁を苛立たしく叩いた。
「どこが免震構造・制震構造を凌駕する究極の安全住宅だ。これじゃ眠れやしない」
 バイオ・セルロースで培養された乳白色の壁は、私の打撃を受けても無機質に弾力を返すだけだった。
 念願の「最新式有機建築(バイオ・ハウス)」だった。
ローンは三十五年。まだ返済が開始したばかりだ。
だが、入居初日からこの家は、まるでリウマチを患った老人のように四六時中軋んでいた。

 翌朝、私はメーカーのサポートセンターに怒号を浴びせた。
「不具合だ! 今すぐ修理に来てくれ。夜中に家がきしんでうるさいんだ」
 ホログラムで投影された担当者は、同情のかけらもない顔で首を横に振った。
『お客様、ご安心ください。それは不具合ではございません。最上位の仕様です』
「仕様? 安眠妨害が?」
『当社のバイオ・ハウスは、外部環境の変化に適宜対応します。その軋みこそが昨夜の長時間連続微弱地震への応答です。もしかすると、お客様。昨夜程度の小地震には気が付かれなかったのではないですか?』
…そう言われてみれば…
「いやいや…音を消すオプションはないのか」
『神経系を切断すれば音は止まりますが、仕様が台無しです。……代わりに、これをインストールしましょう』
 担当者が指先を弾くと、私の視界にあるARコンタクトレンズに新しいアプリが追加された。
「家の“軋み音”を言語化する翻訳パッチです。理由がわかれば、騒音も気にならなくなるかと」

 その夜、記録的な直下型巨大地震が関東地方を直撃した。
 マグニチュード8.0、震度7相当。
警報のアラートが鳴り響く中、家は狂ったように咆哮を始めた。
『バキィ! ギギギ、グオォォォ……!』
 昨晩とは比較にならない轟音だ。
しかし…家全体は激しく振動していると思われるが、室内はそれほどでもない。
でも、このまま潰れるんじゃないか。
 その時、コンタクトレンズの翻訳機能が起動した。
 暗闇の中、視界に赤い文字が奔流のように流れ落ちてくる。
『左舷外壁:圧迫限界。筋繊維断裂ヲ許可。』
『屋根部軟骨:損傷率30%。痛イ。イ痛イ』
『構造維持モード:最大出力。断裂限界』
 私は息を呑んだ。
 ただの音ではなかった。
 意味を持った軋み音に合わせて、文字が弾ける。
『ミシミシ(右梁骨折)』
『ギィィ…ィ(居住者ヲ、守ル守ル…守ル)』
 家は泣いていたのではない。室内が揺れないように歯を食いしばっていたのだ。
理屈では正しい…だが、
「建物は揺れるたびにこれほどの痛みを感じているのかっ!」
感情が理屈を拒否している。
「この家に…これほどの犠牲を強いてよいのか…」
 不快だと思っていたあの軋みは、すべて私のための犠牲の音だった。
「もういい…! もういいから!」
 私は叫んでいた。
「頑張らなくていい! 私が…屋外に逃げるから!」
 しかし、家は軋みを止めない。
『拒否シマス。居住者ノ保護ハ、最優先事項デス。屋外ハ室内ヨリモ揺レテイマス』
『グィ、ギィン……(私ハ、痛クナイ)』
 揺れは5分間続いた。
 その間、私は震える体で、無心に壁に手を当て続けていた。
まるで、高熱にうなされる我が子の背中をさするように。

 翌朝、空だけは何もなかったように晴れ渡っていた。
 しかし、近隣の住宅の多くは崩壊し、無惨な姿をさらしていた。
だが、我が家は建っていた。
 外壁は内出血のように青黒く変色し、全体が少し傾いでいた。満身創痍だった。
 私は家の中に戻った。
 一歩踏み出すたびに、床が鳴る。
『キュゥ……』
 それは弱々しいが、どこか誇らしげな音だった。
 視界に翻訳テキストが浮かぶ。
『無事デスカ?』
 私は床に膝をつき、ささくれだったフローリングを愛おしく撫でた。
「ああ。おかげさまでね」
 家が軋む。
『ギ~ィ……(使命完了)』
 
 私は微笑んだ。これからは、この騒がしい同居人の愚痴を、
もう少し優しく聞いてやれそうだ。
 軋むことを是と…そうだったのか…
改めてこの家の論理に我が身の安全を任せたいと、心から願う自分がいた。

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