天昇る火柱~最終第三部(3)「覆滅」【歴史小説】
この小説について
この小説は、赤沢新兵衛長経という武将を主人公として、15世紀末~の戦国時代初期を描く『天昇る火柱』の最終第三部です。
薬師寺元一の乱、阿波守護家の反乱、そして両畠山の合体という立て続けの危機を、当主政元の知略と、赤沢宗益の武略という両輪で、何とか乗り切った細川京兆家。
目指す「日本国惣知行」へ向け、一路邁進してゆくはずが、思わぬ落とし穴に足を取られる。
それが「難治の国」大和。
あっさりと再征服を果たすはずの赤沢党は、国の奥深くまで誘い込まれ、大和惣国一揆に完全に包囲される。
一体何者が、このような計略を描き出したのか。
さらに運命の地、丹後天橋立で、赤沢宗益と新兵衛の二人を待ち受ける結末とは……
神も仏も恐れぬ赤沢党の戦いを描く壮大な歴史シリーズ、ここに堂々の完結!
本編(3)
「興福寺を敵とせず。我らがそう言明したことで、現官符棟梁の筒井順賢は、惣国一揆との間で板挟みになっている模様です」
新兵衛の発言に、澄胤は奇妙にぴくり、と肩を痙攣させた。ひとたび筒井の名を聞けば、今はふさがった古傷も痛むのかもしれない。
鹿背山城、本丸郭での軍評定である。晩夏の蒸し暑い夜で、虫の声が肌を掻きむしるように喧しい。
火皿の灯りに照らし出された三つの姿は、それぞれに人間離れしていて物凄い。だが今やおのれも、その中に顔を並べている一員に他ならないのだ。
「京の将軍家、さらには禁裏にまで密かに手を伸ばし、合戦の停止を図っているらしいが」
三好之長が通人ぶって指摘してみせた。
「決して叶うまい。興福寺別当の許しもなく、たかが一律師の身分では」
宗益は腕を組んだまま、事もなげに切り捨てた。
「それよりもむしろ、成身院に甥を説得させている。衆中としての立場を重んじ、寺門の裁定に従うように、とな」
「筒井は絶対に従わぬでしょう」
澄胤が斜めに裂けた唇で、話しにくそうに口を挟んだ。
「あれは依怙地の塊、石頭から生まれてきたような者どもの家柄です」
一同は低くさざめき笑ったが、当人は真剣そのもので、青ざめた顔色をしていた。
果たして順賢は、大和惣国の盟約を割るに忍びずとして、あくまで抗戦の意志を貫いた。叔父と甥は決裂し、成身院順宣は隠棲して奈良を立ち去った。

八月初頭。
鹿背山城を出陣した赤沢、三好、古市勢は、吐師から相楽へ進み、平城山を越えてまたしても西大寺辺に降り立った。
「者ども、良い加減でこの眺めも飽いてきたであろう。此度の遠征を最後とし、大和全土を討ち平らげて我らのものとするぞ」
「応」
宗益の号令一下、生ぬるい盆地の風を引き破る鬨の声とともに、一軍は進撃を開始した。
水際でこれを食い止めるべき超昇寺、秋篠、宝来といった国衆たちは、いずれもたちまち降伏、あるいは自焼没落していった。京勢は先年来焼け跡のままの西大寺を避け、宝来城に陣を取った。
そこから細川方は二手に分かれた。
宗益と之長は東、新兵衛と澄胤は南である。
赤備えの大手と三好勢は、奈良へ迫り興福寺へ使いを送った。京兆家との申し合わせはあったものの、鼻先から脅しつけられた寺門は、前回の倍に当たる四百貫文の礼銭を支払って劫掠を免れた。
その憂さ晴らしというのではなかろうが、またも総国分尼寺の法華寺が襲われた。今回手を下したのは阿波兵である。
何でも三好之長が、
『以前沢蔵軒殿たちは、あのやんごとなき尼寺でずいぶん楽しまれたとのこと。まことに乙な趣向と存ずる。渡海から本日に至るまで、天晴れおのれを抑えてきた我が手勢にも、ぜひご相伴与らせていただきたい』
などと言ってのけたという。
宗益も敢えて止め立てはしなかった。その結果、阿波勢は年若い尼を一人残らず寺から連れ出し、伽藍堂宇に火を放って灰にしてしまったという。
「かつてあなたは、ずいぶん慌てふためいていたものだが、今は何か思うところがあるか」
報せを受けた新兵衛は、騎乗の轡を並べている澄胤に尋ねてみた。
「悉皆浄尽」
僧綱領の内に首を縮めながら、口元の皺一つ動かさなかった。
新兵衛の搦手と古市勢は、西京の丘へ登り、そのまま一気に南下して筒井城へ迫った。
筒井氏の本貫は、土塁と二重の濠で町場まで取り囲んだ惣構えである。
喰違い、桝形と、虎口には工夫がこらされているが、山の城と比べれば守るには難く、過去にも国衆同士の争いでしばしば陥落している。城攻めに慣れた赤沢勢にかかっては、一たまりもあるまい。
京勢が近づくと、順賢と弟は予め示し合わせていたように城を捨て、石上の井戸城へ逃れていった。
入れ違いに筒井城下へ踏み込むと、澄胤は古市城の仇とばかりに略奪、放火、人取りに走ろうとした。だがむしろ、新兵衛の方がそれを強く押し留めた。
「おやめなされ。これではどちらが僧で、どちらが血に飢えた武士かわからん」
「なぜじゃ。そなたもまた古市で過ごした身であれば、筒井の全てが憎くはないのか」
「恨みは、ある」
血の味がするほどに唇を噛みしめていた。
「だが、それを晴らすのは今ではあるまい」
「今ではないだと。今をおいて他に時があろうか。かつてわしが不在の古市で、あの者たちが何をしたか、もう一度繰り返すまでもあるまい。今ようやく、立場を逆にできたのではないか。宗益も三好も、人の庭で好き勝手をやっている。なぜわしばかりが、穏忍自重を続けなければならん」
「黙れ、澄胤。それ以上言えば斬る」
新兵衛は実際に太刀を抜き放って一喝した。その剣幕と眼光に圧倒され、旧主は言われるがままに黙り込んでしまった。
「筒井は同じ大和の者に対し、郷民を根こそぎ滅ぼすということをした。あなたはまだそれをしていない。今となっては、あなたが筒井に勝るのはその一点だけだ。だがそのようなことが、いつかあなた自身を救うかもしれない」
宗益と之長は、奈良から東南行して山の辺へ入り、道行きの菩提山正暦寺を丸焼きにした。興福寺の別院で、念仏道場もあったが、四百貫文程度では、そちらまでは見逃しかねたのかもしれない。
すると筒井兄弟は、また一戦も交えず井戸城を捨て、さらに東山内へ逃亡していった。
面白がっているのか、宗益からの書状には、以下のような三好とのやり取りが記されていた。
『沢蔵軒殿、これはさすがに妙だ。我らを大和の奥地まで誘い込もうとする動きではないか』
『鼠どもの常套手段じゃ、気にするな。誘い込みたいのであれば、吉野であろうと、熊野であろうと、どこまででも追い回してくれるわ』
『武辺の極み、頼もしくもありますが、所詮我らは他国者。惣国一揆のただ中に取り残され、海に浮かぶ筏のようになってしまえば、いずれ帰京も叶わぬやもしれませぬぞ』
『羆の体に、蚤の心臓か。貴殿はこの国は初めてであろう。二千石の大船に乗ったつもりで、黙ってあとへついてくればよい』
之長は閉口し、落ち窪んだ細い目の奥から睨み返していたという。
宗益はかえって兵の足を速めたが、次に立ちふさがるべき箸尾、十市もやはりほとんど戦わず、さらに南へと後退していった。赤沢勢は、前しか見えない猪のようにそれを追いかけ続けてゆく。
すると、筒井順賢はにわかに山を降り、京勢が通り過ぎたあとの道々に出没して、古市氏の旧領をことごとく焼き払って回った。
「言わないことではない」
澄胤と之長は、遠く離れて同時に悲鳴を上げたかもしれない。
「寺門が脅しつけられて筒井に与同してしまえば、我らは帰り道を失います。南都へ人をやり、抑え込まなければなりません」
郷土ではないと言い張るものの、澄胤はひどく狼狽していた。
「人というが、誰かいるのか」
「致し方ありませんな」
白羽の矢が立ったのは、若い胤盛であった。澄胤自らが陣を離れるわけにはいかず、他に適任がいなかったのである。
だが、筒井党が先に手を回して奈良町を占拠していたため、胤盛は進退に窮し、葛尾山を越えて南山城へ脱出していった。
筒井兄弟は福住衆、柳生衆、伊賀衆を催して再び井戸城へ入った。もと古市党であった衆徒の豊田氏も、河原城の山から櫟本まで降りてきた。
居所を逐われた宝来氏を初め、西京、生馬の国衆らは、郡山城に籠もって長経と澄胤の背後をふさいだ。南からは箸尾、十市と合流した越智氏が、大軍をもって北上を開始したとの報せがもたらされた。
「何ということか」
澄胤は床几のへりを叩き、悲痛な声を上げた。
「我らは袋の鼠だ。このままでは南北から挟み込まれ、押し潰されまするぞ」
筒井城外の陣所である。新兵衛は腕を組み、大和一国の絵図を見下ろしていた。
「全く、平素の連中らしからぬ手際の良さです。互いにいがみ合うことしかできなかった者どもが。一体何があったのか」
「黒衣の軍師」
新兵衛はぽつりとつぶやいた。
「は?」
「筒井の元に、妙な男が現れたという風聞がある。畠山尾張守のそばに仕えていた、衆徒の軍師だという。その智謀は、張良や諸葛亮に匹敵するとか」
「その者が、大和一国をまとめてしまったと言うのですか。馬鹿な! 新顔一人の力で団結するような連中であれば、過去数百年の間にとっくにしている。我ら古市のもとで、大和は統一されていたはずだ」
「楊本の宗益様より伝令」
赤い胴丸姿の猿丸が駆け込んできた。
「伝えよ」
「ただちに北へ兵を返し、郡山衆をはじめ、有象無象の衆徒国民の囲みを破れとのこと」
「なるほど、死中に活を求める。赤沢党はそうでなくてはな!」
新兵衛は手を打ち、場違いなほど陽気な笑い声を立てた。
「新顔一人の力で団結できるような連中ではない、その通りだ。四面楚歌の恐怖に取り込まれなければ、我らは必ず勝てる。澄胤、気を引き締めてかかれ」
京勢はただちに出陣し、北へ疾走して郡山城へ迫った。
古市胤盛もまた、瓶原から木津衆を率いて再び南下し、山中で東大寺の悪僧を破ったという報せが届けられた。父親を勇気づける勝報である。
郡山に集った衆徒国民は、城外へ出て迎え撃ってきた。雨あられの矢戦、石礫の打ち合いのあとで、新兵衛は背中の大太刀を抜き放ち、馬の腹を蹴りつけ、自ら先頭を切って突撃した。
「群れるしか能のない者ども。俺の行く道をふさぐな!」
並べられた掻楯を蹴り倒し、密集した野伏を斬り飛ばして、相手の備えをずたずたに引き裂いた。徒士の古市勢が敵の前進を押し留めている間に、敵陣を突き破った赤備えの騎馬隊はすぐさま反転し、郡山衆の背後へ襲いかかった。
「こちらが覆滅してやる。この機を逃すな、俺に続け!」
背後から打ちかかられた敵に、もはや抗する術はない。ばらばらと逃げ散ってゆくのを追撃し、郡山の城下まで至った。
赤沢勢はすぐさまこれを取り囲み、櫓へ向かって絶え間なく火矢を射かけた。やがて全軍で濠を押し渡ると、土塁を駆け上がり、竹矢来を突き倒して本丸郭を攻め落とした。
鬨の声が大和の曇り空をどよもしている。
「やりましたな」
澄胤は異形ながら、晴れやかな面差しを見せていた。
「ああ」
新兵衛もうなずきながら、どこか不思議な心地がしていた。かつて信州から大和へ上り、古市を頼った時には、その惣領を従えて衆徒国民の軍勢を打ち破っている自分など、思い描くことさえできなかっただろう。
ちょうど同じころ、宗益と之長も北へ取って返していた。
敵の先手の豊田氏を鎧袖一触で打ち破ると、山の手の井戸城へ押し寄せて火を噴くように攻め立てた。籠城を決め込んでいた筒井兄弟もたまらず、城を捨ててまたしても東山内へ没落していった。
京勢は井戸城へ踏み込むと、二度と敵方の拠点とされないよう、これを徹底的に破却して燃やし尽くした。
宗益と之長、新兵衛と澄胤はそれぞれの軍勢を引き連れ、古市の跡地で合流を果たした。
「よい仕事をしたのう、長経」
長大な金砕棒を肩に担いだ宗益は、蒙古馬の鞍上から、無邪気なくらいの笑みで義子を迎えた。
新兵衛は一瞬はにかんだが、すぐに険しい目つきを取り戻した。
「まだ越智どもが残っております。ただ韓信も彭越もおらぬまま、筒井に劉邦の役割は、いささか荷が勝ち過ぎたかと」
~(4)「古市」へ続く
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