【旅日記】奈良・山の辺の道紀行①海石榴市~大神神社
山の辺の道。
平城京の昔から、大和の国を南北に縦貫していた三つの街道。
上ツ道、下ツ道。そして最も東側にあるのが、この山の辺の道です。

大和八木駅から近鉄大阪線に乗り換え、桜井駅まで。
今回は北向きのルートを取ってみます。

なつかしい。
というのも、兵庫県に住んでいた昔から、私は年に何回かはこの辺りを訪れていたのでした。
縁もゆかりもなかったのになぜ? という感じですが、だからこそ今、奈良に呼ばれて住んでいるのかな、という気がします。




古代の都の外港、海石榴市の地です。
山の辺の道の終点。
難波の海から川をさかのぼり、ここから上陸した人や物が、都へと運ばれてゆきました。
ハレの日には「歌垣」も行われていました。
当時の合コン(←古い?)ですね。

第二十五代武烈天皇は、ここの歌垣でカゲヒメという女の子を見初めますが、既に彼氏がいました。
時の大臣、平郡真鳥のボンボン息子です。
(ちなみにカゲヒメも物部麁鹿火という猛将の娘です)
怒った天皇(まだ即位前ですが)は、大伴金村というやつを使って、ボンボン彼氏と親父の真鳥を攻め殺させます。
カゲヒメは彼氏の遺骸に取りすがり、悲しみを歌い上げたといいます。
あをによし乃楽の谷に鹿じもの
水漬く辺隠り水灌く
鮪の若子を漁り出な猪の子
そののち天皇は即位しますが、『日本書紀』では残虐な行いが並べ立てられ、他に例のない悪逆非道の帝として記録されることになります。
中国の暴君から引き写したフィクションだと言われていますが、なぜそんなに悪く描かれなければならなかったのか?が問題です。
実はこの後、一度天皇家は断絶し、越前から南下してきた継体天皇が大和を制覇したため、「前王朝」の「最後の皇帝」を「悪く描いた」のだ、とも言われています。
ただ今のところ真相は不明…とするしかありません。




毎年秋には、「大和さくらい万葉まつり」がこの場所で催されています。
地元のローカルなお祭りって感じですが、兵庫県民の私がなぜか数回参加していたんですよね…しかも一人で。
ほんと、三輪山に呼ばれていたとしか思えません。


町屋が少し残っていて、シーズンには杉玉を下げています。
造り酒屋さんですね。



こちらに第十代崇神天皇の宮があったという…
伝承の地としてずっと残っているのがすごいです。





山の辺の道を歩いて…

大神神社に到着しました。




境内の雰囲気、参道の厳かさ、凛とした静けさ、見どころの多さ。
ここ大神神社は、神社マニアでもある私にとって、永遠のベストワンを誇る神様なのです。


つづく~
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