【歴史小説】寧らかの波 第七章(1)「ジイ、俺たちを守ってくれ」
ここまでのあらすじ
16世紀。
異国の血を引き、剣術「陰の流」を受け継いだ少年・楠葉入鹿は、美貌の明国人・宋素卿と出会い、南海に「境界に生きる者たちの国」を作るため共闘を誓う。
日本の細川京兆家・明国の宦官と通じている素卿は、勘合貿易の莫大な利を守るために行動するが、対立する大内氏から刺客を送られ、入鹿は彼らと激闘を繰り返す。
第二の故郷である南海の臥蛇島を、元の仲間である中林孫太郎により焼き払われた素卿たちは、大内の遣明船を追いかけて大陸の港都・寧波へと向かう。
明の官吏・朱子純と武人・愈志輔、大内の遣明正使で狂僧の謙道宗設、異形の巨人・神代源太郎らが待ち構える寧波で、果たして誰が生き残るのか。
物語はいよいよ佳境へ!……
本編
第七章
一
三江口の港へ入ってゆくと、最も目立つ甬江の左岸に、帆柱二本の外海船が二隻、並んで停泊していた。
艫の幟には、赤丸一つの下に、華麗な花菱紋が染め抜かれている。
「大内菱だな」
舳先で腕を組みながら、素卿はつぶやいた。
「あれが連中の船なのか」
入鹿は、喉を鳴らしてつばきを飲み込んだ。木屋が仕立てた堺の唐船と比べても、まだ一回り大きい。それが二隻も連なっているのだ。
「やはり、遅れを取ってしまったか」
先行させた者の報せによれば、大内船は四日前には到着していたという。先んじて手を回すには、充分過ぎるほどの時間だろう。
「あれの前へ着けろ」
素卿は、袖を振り立てながら水手へ命じた。事ここに至っては、もはや強気を押し通すしかあるまい。
ところが岸壁では、五十人近い明国人の一団が、出迎えの行列を作って待ち構えていた。
臙脂色の礼服で揃えた官吏が整列し、儀仗の鉾や鉞を捧げ持った兵たちが左右に並んでいる。楽団が銅鑼や音色つきの鉦を打ち鳴らし、笛や管を吹き鳴らしていた。
「盛大なもんじゃないか」
入鹿は思わず、安堵の笑みを浮かべた。
一団の真ん中で、武官から橙色の傘を差し掛けられているのは、極度に太った一人の男だった。
黒一色の衣に、透かしの冠をかぶっている。若くはないはずだが、顔にまるで皺がなく、茹でた卵のようにつるつるとしていた。
それでいて、冠からはみ出した鬢と顎に沿って伸びた髭が、獅子の鬣のようにつながっている。
素卿はそちらへ歩み寄ると、いきなり拱手してひざまずき、漢語で何事かを言上し始めた。
永春も同じようにしたので、入鹿も慌てて倣った。立ったままでいるのは、正使の鸞岡瑞佐とその供の僧侶たちばかりだ。
頭上から、宦官が聞き取れない言葉を落としてきた。儀礼的なものなのだろうが、どことなく笑いを含んでいるようでもあった。
使僧たちの陰になっているのを幸い、入鹿は傍らの永春の方へそっと顔を向けた。
(何を言ってる)
と、口の形だけで尋ねてみた。
永春は、焦げた白髭を半分くらいまで切り揃えていた。こちらへ横目を投げると、小さくかぶりを振り、
(あとで教えてやる)
と、やはり口ぶりだけで答えてみせた。
瑞佐以下の僧たちが前へ進み出ると、携えてきた勘合を太監へ捧げ渡した。大切りの白い紙だ。毛筆で書き込まれた元号は「弘治」で、とっくに無効になっているはずだった。
しかし相手は少しも構いつけず、丸っこい指で紙を受け取ると、縦にしたり横にしてみたり、勿体らしく検分してみせた。
宦官が荘重にうなずくと、銅鑼の音がけたたましく打ち鳴らされた。それを潮に、永春と入鹿も立ち上がった。
港の水夫たちが、襲いかかるように船へ向かっていく。こちら側の水手と力を合わせ、夥しい積み荷を水揚げし、港の倉へ収めてゆくのだった。
「向こう十年間、あんたが太監に仕えるだと」
入鹿は思わず声を張り上げた。
嘉賓館、という豪奢な建物の一室だった。榻や椅子、卓が並べられ、赤い壁際には象牙で彫られた竜や虎の置物が飾られている。
素卿はむしろ、落ち着き払った様子だった。
「もう充分に、賂を渡していたんじゃないのか」
「金だけでは、入港の許可を得る程度のことにしかならない。それでも破格の扱いではあるがな」
「あんた自身が、身を売るってことじゃないのか」
相手は動かない面差しで、じっとこちらを見つめ返していた。
「十年もあんたが姿を消したら、残された俺たちはどうなる。南海に俺たちの国を作るっていう夢も」
「私がいない間は、永春やお前にあとを託す。吐噶喇の島々や、双嶼のみんなをよろしく頼む」
「十年経てば、本当に帰ってこられるんだろうな」
問い詰めたところで、素卿自身にだってわからないだろう。それでも入鹿は尋ねずにはいられなかった。
ただでさえ、太監から玩具のように弄ばれているのだ。それが十年も続けば、命を永らえているかもわからない。
「あとのことも気にかかるが」
永春が重々しく口を切った。
「まずは目の前の大内方じゃ。我らが遅れて入港したにもかかわらず、朝貢使として迎えられた以上、奴らの面目は丸潰れじゃ。このまま黙って引き下がるはずは、決してあるまい」
「頼恩の考えでは」
素卿は、冷たいほどの口調で話を引き取った。
「我らと大内方を、対等の使節として遇するつもりらしい。順天府への上奏もそのようにする。回賜品は二分することになるだろうが、それで一旦腹に収めるよう、強く説きつけるそうだ」
「それでうまくいくのか」
「元々明国からすれば、一人の日本国王からの朝貢使に過ぎない。細川だ大内だ、勘合の新旧だと争っているのは、ただこちらの内輪揉めなのだ。飽くまでも元の枠組み通りに振る舞う、ということだろう」
「連中が、それで納得すると思われまするか」
永春も、さすがに首をかしげていた。
「もちろん、するわけがない。問題は、どこで仕掛けてくるかだ。その時にこちらも迎え撃ち、奴らを根絶やしにする。そのために我らはここにいるのだ」
その時、館の職員が部屋を訪ねてきて、何事かを漢語で告げた。
「間もなく、宴の支度ができるらしい」
「宴?」
「朝貢使歓迎の宴だ。鸞岡瑞佐と謙道宗設が、ともに正使として上席へ並ぶ。まずはここが山場だ。くれぐれも気を張って、ぬかるなよ、入鹿」
上陸の際に、刀などは寧波城内の武器庫へ預けさせられている。それはこちらも大内方も変わらない。
が、入鹿はうまくごまかし、藤四郎の短刀だけは他の荷物に紛れさせ、今も懐中に忍ばせていた。
(ジイ、俺たちを守ってくれ)
直垂の上からその拵えを握りしめ、入鹿は心の中で必死に念じた。
~(2)へ続く
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