「少しだけ自分のことを|年末年始、ずっと「人間」をやっていました(笑」
少しだけ、個人的な話から始めさせてください。
以前から
「木曜日は人間に還る日」
などと言ってきましたが、
この年末から正月三が日にかけては、
ほぼ ずっと人間をやっておりました。
思い返してみると、
年末年始に筋トレを完全に休んだのは、
おそらく 10年ぶりです。
身体を動かさない。
時間を決めない。
「整える」ことを、いったん脇に置く。
その代わりに、
食べて、飲んで、笑って、眠る。
実に人間らしい数日間でした。
まさかの「デザートがお酒」問題
そんな中、
最近すっかりハマってしまったものがあります。
ダークラムのコーヒー割。
そこに、
メープルシロップをドバドバ入れるという、
なかなかに背徳的な飲み方です。
もともと大酒飲みではありますが、
気づけば
「デザートまで酒になってしまった」
という状況になっておりまして、
自分でも少し笑ってしまいました。
人間をやりすぎると、
こうなるようです(笑
それでも、感じていた「空気の変化」
ただ、不思議なことに。
そうやって緩んでいる最中でも、
頭のどこかで
ずっと感じていたものがありました。
それは、
「空気が変わってきている」という感覚です。
大きな事件が起きたわけではありません。
誰かが声高に何かを叫んでいるわけでもない。
けれど、
これまで
裏返しにされていたものが、
少しずつ、自然に“メクれ始めている”。
そんな感触です。
映画は「答え」ではなく、「受信テスト」
最近よく耳にする
「ディスクロージャー(開示)」
という言葉。
映画の世界でも、
この言葉が
ごく自然に使われ始めています。
映画は、
真実を暴く装置ではありません。
むしろ、
その時代の人々が、
どこまでなら受け取れるか
を測るための鏡のような存在です。
後になって振り返ると、
多くの映画が
出来事の前ではなく、
空気の変化の前触れを
映してきたことに気づかされます。
「語る人」が変わってきている
今回の流れで、
これまでと決定的に違う点があります。
それは、
匿名でも、噂話でもなく、
実名と肩書を持つ人たちが、
記録される形で語り始めている
ということです。
政治、軍、研究、行政。
それぞれの現場にいた人たちが、
「信じてほしい」ではなく、
「残すために語る」
という姿勢を選んでいる。

ここには、
煽りも扇動もありません。
あるのは、
立場と責任を背負った言葉だけです。
代表作は「エイジオブディスクロージャー」でしょうか。
騒がない「開示」の時代
アメリカでは、
UAP(未確認異常現象)に関する情報を
扱うための法整備が、
極めて現実的な政治の場で
淡々と進められています。
マルコルビオ国務長官などが代表的ですね。
これは
何かを断定した、という話ではありません。
むしろ、
無視し続けることが
現実的ではなくなった
という判断に近いものです。
開示の時代は、
決して派手ではありません。
声の大きな人から
何かが与えられるわけでもない。
静かに、
記録と制度と観測によって
進んでいく。
2026年は「信じる年」ではない
個人的な感覚ですが、
2026年は
何かを信じる年ではないように思います。
これまで
スピリチュアルと一括りにされてきたものが、
研究対象として、
検証対象として、
扱われ始める年。
否定から保留へ。
信仰から観測へ。
そんな移行期に、
私たちは立っているのかもしれません。
人間でいるから、見えるもの
年末年始、
筋トレを休み、
酒を飲み、
デザートまで酒になりながら(笑)、
それでも感じていた
この「空気」。
整えていないからこそ、
人間に還っていたからこそ、
気づけたものもあったように思います。
結論を急ぐ必要はありません。
信じる必要もありません。
ただ、
誰が、どこで、どんな立場で
語り始めているのか。
その背景だけを、
静かに観ていく。
それだけで、
十分なのかもしれません。
騒ぐことなく、冷静な目を持ち、
観測者としての立場を以て、時代の移り変わりを見てみたいです。
続きは、
また人間に還った日にでも。
🧠 要約
年末年始、あえて「人間に還る」時間を過ごす中で感じた、
時代の空気の変化。
映画や政治、研究の現場で同時に起きている
「ディスクロージャー(開示)」という静かな動き。
信じるためではなく、
観測するための時代が始まっている――
そんな予兆を綴った記録。
🌟【すまいる村長さん!✨マガジン掲載ありがとうございます】🌟
── 心の太陽に、そっと灯りが届きました
すまいる村長|自分の強み発見隊 さん
マガジン掲載、ありがとうございます🌈✨
言葉と沈黙のあいだに漂う「鼓動」、
そして音声に宿る、呼吸の温度まで──
静かに、深く、胸に届きました。
「大丈夫」と言わずに
泣いていい、と許してくれる言葉。
それは慰めではなく、
ちゃんと“生きている証”を抱きしめる行為なのだと
あらためて感じています。
夜が深いからこそ、
夜明けが近い。
その感覚を、こんなにもやさしく
差し出してくださって、ありがとうございます。
この場に迎えていただけたこと、
とても嬉しく、光栄です☀️
これからも、心の太陽がめぐる場所として
ご一緒できたら幸いです。
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