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長寿のトリセツ109【認知症とどう戦うか⑮】孤独な人でもボケ防止に不可欠な脳を保護するホルモン「オキシトシン」の分泌は可能だ



他者との交わりが断たれた「社会的孤立」がもたらす脳の萎縮


前回は、慢性的なストレスによって副腎から放たれるコルチゾールが、記憶の司令塔である「海馬」をいかに脆弱な状態に追い込むか、その分子病理を解説しました。今回は【ストレス・マインド編】の第2弾として、現代社会で急速に拡大しているもう一つの見えざるストレス――「孤独(社会的孤立)」が脳に与える構造的なダメージと、それを修復する脳内ホルモンのナゾに迫ります。

都会の一人暮らしや、定年後のコミュニティ喪失など、現代人はかつてない「孤立リスク」に晒されています。私たちは孤独を寂しさという感情の問題として片付けがちですが、米国ブリガムヤング大学のホルト・ランスタッド博士らが70件の研究、約300万人分のデータを統合したメタ分析(Holt-Lunstad J, et al. Loneliness and social isolation as risk factors for mortality: a meta-analytic review.)では、社会的孤立や孤独感による死亡リスクの上昇幅は、喫煙や過度の飲酒に匹敵する水準であることが示されています。この分析は死亡リスク全般を対象としたものですが、その後の研究で、孤立と脳そのものへの影響も具体的に明らかになってきました。

他者との繋がりが失われた日常は、脳の内部をどのように侵食し、アルツハイマー病のリスクを高めてしまうのでしょうか。その生理学的な真実を紐解きます。

人間は本来、集団で協力して生き延びるように進化してきた極めて社会的な動物です。そのため、脳の構造そのものが「他者と関わること」を前提に設計されています。

英国ウォーリック大学とケンブリッジ大学の研究チームがUKバイオバンクの大規模データを解析した研究(Shen C, et al. Associations of social isolation and loneliness with later dementia.)では、3万人を超える参加者の脳をMRIでスキャンし、社会的孤立の状態と脳構造の関係を検証しました。その結果、他者との交流が極端に少ない人は、記憶や学習に関わる脳領域の灰白質容積が小さいこと、そして社会的孤立が「孤独感」そのものとは独立して、その後の認知症発症リスクを高める因子であることが明らかになったのです。社会的な刺激という、脳への日常的な入力情報が途絶えることは、使われなくなった神経回路を脳が自らそぎ落としていくプロセスに関わっている可能性が指摘されています。

視床下部から放たれる脳を守るホルモン「オキシトシン」


この孤独が招く脳の萎縮スパイラルを、分子レベルで食い止める可能性を持つのが、「オキシトシン」と呼ばれるホルモンです。

オキシトシンは、他者との触れ合いや、信頼できる人物との会話、ペットとの交流、さらには親切な行動をしたときなどに、脳の視床下部から分泌される「絆のホルモン」ともいわれるホルモンです。東京理科大学の高橋淳平博士らのグループがマウスを用いて行った研究(Takahashi J, et al. Oxytocin reverses Aβ-induced impairment of hippocampal synaptic plasticity in mice.)では、アミロイドβによって障害された海馬のシナプス可塑性(長期増強)が、オキシトシンの投与によって回復することが世界で初めて示されました。

この研究はマウスの脳スライスを用いた基礎研究であり、ヒトでの直接的な治療効果が証明されたわけではありませんが、同グループはその後、オキシトシンをマウスの脳内に投与することでアミロイドβによる記憶障害そのものが改善することも報告しています。オキシトシンとアルツハイマー病の関係を整理した総説(Saitoh A, et al. The role of oxytocin in Alzheimer's disease and its relationship with social interaction.)でも、孤独がアルツハイマー病のリスク因子である一方、オキシトシンには神経保護的に働く可能性があるとして、今後の治療への応用が期待される、とまとめられています。

孤立の環境がもたらす免疫細胞の遺伝子スイッチの変化


孤独は、脳だけでなく、全身の免疫システムの働き方にも影響を与えることが分かっています。
米カリフォルニア大学ロサンゼルス校のコール博士らの研究グループは、慢性的に強い孤独感を抱えている人と、そうでない人の血液中の白血球(免疫細胞)の遺伝子発現パターンを比較しました(Cole SW, et al. Social regulation of gene expression in human leukocytes.)。その結果、孤独感の強い人では、炎症を促す遺伝子群の発現が高まり、逆にウイルスなどに対する抗体産生に関わる遺伝子群の発現が低下していることが明らかになりました。続く研究(Cole SW, Hawkley LC, Arevalo JMG, Cacioppo JT. Transcript origin analysis identifies antigen-presenting cells as primary targets of socially regulated gene expression in leukocytes.)では、この変化が主に単球や樹状細胞といった特定の免疫細胞に由来することも突き止められています。

この研究が示しているのは「脳細胞そのもの」の遺伝子スイッチというより、「全身を巡る免疫細胞」の遺伝子スイッチの変化です。しかし、慢性的な孤立によって血液中に炎症性の物質が増え続けると、それが血流に乗って脳へも運ばれ、脳の防御ライン(血液脳関門)に負荷をかけ、間接的にアミロイドβの蓄積しやすい環境を作ってしまう可能性が指摘されています。他者との健全なコミュニティに属しているという安心感は、こうした炎症性の遺伝子発現を抑える方向に働くと考えられており、他者との絆は、免疫システムの働き方を通じて、巡り巡って脳の健康にも関わっている可能性があるのです。

社会的孤立による脳への影響を防ぎ、オキシトシンの分泌を促して海馬の防衛ラインを支えるために、今日から導入すべき3つのトリセツを提案します。

トリセツ1:日常の会話に「双方向の対話(キャッチボール)」を導入する


テレビやスマートフォンの動画を見る一方的な視聴は、脳に社会的な刺激を与えません。今日から、買い物の際の店員との「ありがとう」のやり取り、家族や友人との「今日どんな一日だった?」という他愛のないおしゃべりなど、双方向のコミュニケーションを予定に導入してください。お互いの表情や声のトーンを認識するようなやり取りは、脳の社会性ネットワークを刺激し、オキシトシンの分泌を促す一助になると考えられています。

トリセツ2:週に1回、他者に親切を届ける「利他的行動」を予定に組み込む


「誰かの役に立っている」という感覚(自己有用感)は、脳に安心感を与え、オキシトシンの分泌を促すと考えられています。地域のボランティアに参加する、道端のゴミを拾う、困っている人に声をかける、あるいは身近な人にちょっとした感謝の言葉を伝えるなど、どんな小さなことでも構いません。他者を思いやる行動を自発的に選択することは、巡り巡ってあなた自身の脳を守ることにもつながります。

トリセツ3:動物とのふれ合いや、クッションを「抱きしめる」行為を取り入れる


他者との交流がどうしてもすぐに難しい状況であっても、オキシトシンを分泌させる方法はあります。犬や猫などのペットと視線を合わせ、優しく撫でることは、人間と動物の双方にオキシトシンをもたらすことが複数の研究で示されています。また、肌触りの良いクッションや抱き枕を抱きしめるといった「触覚の刺激」も、自律神経を休息モードに近づける一助になると考えられています。

認知症との戦いにおけるメンタルの管理とは、一人で黙々と脳トレを続けることではありません。「他者と関わり、絆を紡ぎ、お互いを思いやる行動を選択する」という、人間社会の温かい営みそのものが、あなたの脳を晩年まで守り続けるための、科学的にも裏付けのある防衛策なのです。

次回は【五感・刺激編】の「聴覚(難聴が認知症リスクを最大化させるナゾ)」へと駒を進めていきます。

参考文献

社会的孤立・孤独と死亡リスクに関するメタ分析
論文名:Loneliness and Social Isolation as Risk Factors for Mortality: A Meta-Analytic Review.
著者:Holt-Lunstad J, Smith TB, Baker M, Harris T, Stephenson D
掲載誌:Perspectives on Psychological Science (2015)
内容:70件・約300万人分のデータを統合したメタ分析。社会的孤立・孤独感・独居が死亡リスクを有意に高め、その影響度は喫煙や過度の飲酒に匹敵することを示しました。
社会的孤立・孤独と脳構造・認知症リスクの関係(UKバイオバンク)
論文名:Associations of Social Isolation and Loneliness With Later Dementia.
著者:Shen C, Rolls ET, Cheng W, et al.
掲載誌:Neurology (2022)
内容:UKバイオバンクの参加者を対象に、社会的孤立・孤独感と認知症発症の関係をコホート研究で検証。社会的孤立は孤独感とは独立した認知症のリスク因子であり、記憶・学習に関わる脳領域の灰白質容積の減少と関連することを示しました。
オキシトシンによるアミロイドβ誘発性シナプス障害の回復(マウス)
論文名:Oxytocin Reverses Aβ-Induced Impairment of Hippocampal Synaptic Plasticity in Mice.
著者:Takahashi J, Yamada D, Ueta Y, Iwai T, Koga E, Tanabe M, Oka JI, Saitoh A
掲載誌:Biochemical and Biophysical Research Communications (2020)
内容:マウスの海馬スライスにおいて、アミロイドβによって障害されたシナプス可塑性(長期増強)が、オキシトシンの投与によって回復することを世界で初めて示した研究です。
オキシトシンとアルツハイマー病・社会的相互作用に関する総説
論文名:The Role of Oxytocin in Alzheimer's Disease and Its Relationship with Social Interaction.
著者:Saitoh A, et al.
掲載誌:Cells (2023)
内容:孤独がアルツハイマー病のリスク因子である一方、オキシトシンが神経保護的に働く可能性のあるメカニズムを整理し、治療応用への展望をまとめたレビュー論文です。
孤独感と免疫細胞(白血球)の遺伝子発現パターンの変化
論文名:Social Regulation of Gene Expression in Human Leukocytes.
著者:Cole SW, Naliboff BD, Kemeny ME, Griswold MP, Fahey JL, Zack JA
掲載誌:Genome Biology (2007)
内容:慢性的な孤独感を抱える人の血液中の白血球で、炎症促進遺伝子群の発現が高まり、抗ウイルス関連遺伝子群の発現が低下していることを示した研究です。
孤独に関連する免疫細胞の遺伝子発現変化の由来細胞の特定
論文名:Transcript Origin Analysis Identifies Antigen-Presenting Cells as Primary Targets of Socially Regulated Gene Expression in Leukocytes.
著者:Cole SW, Hawkley LC, Arevalo JMG, Cacioppo JT
掲載誌:Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS) (2011)
内容:孤独感に関連する免疫細胞の遺伝子発現変化が、主に単球や樹状細胞など特定の免疫細胞に由来することを突き止めた研究です。

【長寿のトリセツからお知らせ】「寿命」を追いかけていたら「人間とは何か」という問いに行き着いた

この問いを小説という形にしてみました。
執筆は梶岡隆。
6月15日より、『細胞は二十年きみを悼む』全16話を毎日1話ずつ公開しています。第1話公開後はこちらからお読みいただけます。
#細胞は二十年きみを悼む



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