長寿のトリセツ107【認知症とどう戦うか⑬】深部体温を下げて脳を冷却して眠ることが認知症を遠ざける秘策
深部体温の急降下が「深い眠り」の扉を開く
前回は、深い睡眠中に脳の神経細胞が縮み、脳脊髄液の水流によってアミロイドβなどのゴミが洗い流される「グリンパティック・システム」について考察しました。しかし、この夜間限定の掃除システムを確実に起動させるためには、単に睡眠時間を長くするだけでは不十分です。睡眠初期に深いノンレム睡眠が必要なのです。
そして、脳を真に深いノンレム睡眠のステージへ誘うための引き金、それこそが「深部体温(体の内部の温度)の低下」なのです。
私たちの脳は、日中の思考活動によって熱を帯びた精密機械のようなものです。夜間、この脳の温度を安全に逃がし、冷却モードへ移行させることが、認知症予防の鍵なのです。そこで今回は、睡眠の質を根底から決定づける熱力学のナゾと、そのための寝室環境の科学を紐解きます。
人間の体温には、皮膚の「表面温度」とは別に、臓器や脳の温度である「深部体温」があります。米国コーネル大学のマーフィー博士らによる研究(Murphy PJ, Campbell SS. Nighttime drop in body temperature: a physiological trigger for sleep onset?)では、19歳から82歳までの被験者を対象に深部体温の変化を詳細に追跡し、深部体温が1分あたり最も急激に低下するタイミング(最大低下速度)が、実際の入眠のタイミングと強く連動していることが確認されました。
この「深部体温が下がる落差」が、脳の松果体から分泌される睡眠ホルモンと連動し、深いノンレム睡眠を発生させるスイッチとなります。
体温がスムーズに下がると、脳の自律神経は休息モードに切り替わり、前回解説したグリンパティック・システムのクレンジング水流が最大出力で稼働し始めます。逆に、夜間になっても深部体温が高止まりしたままだと、脳は「昼間の戦闘態勢」が続いていると誤認し、睡眠の質は著しく悪化します。どれだけ長い時間横になっていても、脳のゴミ出しが十分に行われないという事態は、この熱の自己管理体制のバグによって引き起こされると考えられています。
頭部を冷やす「ラジエーター機構」が働かないと眠りが壊れる
では、私たちはどのようにして深部体温を下げているのでしょうか。人体には、熱を外部へ逃がすための巧妙な「ラジエーター(放熱板)」が備わっています。それが、「手足の末梢血管」です。
スイス・バーゼル大学のクロイキ博士らがネイチャー誌に発表した有名な研究(Kräuchi K, Cajochen C, Werth E, Wirz-Justice A. Warm feet promote the rapid onset of sleep.)では、入眠直前に手足の末梢皮膚温(特に手のひらと足の裏)が上昇する人ほど、入眠までの時間が短いことが示されました。これは、自律神経の働きによって手足の毛細血管が拡張し、血液を体表に集めて熱を外気へと放射する「遠位血管拡張(distal vasodilatation)」という現象によるものです。赤ん坊が眠くなると手足が温かくなるのは、この放熱が活発に行われている証拠です。
ここで特に重要なのが、脳そのものの冷却です。人間の頭部は、全発熱量の多くを占める熱源です。眠りが深くなると、頭皮の血流や呼気を通じて、脳の熱が外部へ安全に逃がされていきます。
しかし、マンションなどの密閉された高断熱の寝室環境や、誤った寝具の選択は、この体表からの放熱を妨げてしまう可能性があります。熱の逃げ場を失った脳は、いわばオーバーヒートを起こしたマシンのように浅い眠りをさまようリスクが高まり、側頭葉や海馬の神経修復作業にも影響が及ぶと考えられています。
熱ストレスが睡眠の構造を乱す
それでは、寝室の温度が高すぎる「熱ストレス」状態は、実際に脳内でどのようなことを引き起こしているのでしょうか。
東北福祉大学の岡本(水野)博士らによる総説(Okamoto-Mizuno K, Mizuno K. Effects of thermal environment on sleep and circadian rhythm.)は、多数の実験データを整理し、暑い環境下で就寝すると夜中に目が覚めやすくなり、ノンレム睡眠(徐波睡眠)とレム睡眠の両方が減少して、睡眠の質が低下することを明らかにしています。特に、寝具や衣類を着用した実生活に近い条件では、暑さによる悪影響が寒さによる悪影響よりも大きく出ることが指摘されており、「冷やしすぎ」よりも「こもらせすぎ」の方が睡眠にとって脅威になりやすいことが分かります。
さらに、なぜ「外部の暖かさ」が眠気そのものを引き起こすのかについては、英国インペリアル・カレッジ・ロンドンのハーディング博士らがマウスを用いた研究で興味深い神経回路を発見しています(Harding EC, et al. A neuronal hub binding sleep initiation and body cooling in response to a warm external stimulus.)。視床下部の一部(MnPO-MPOと呼ばれる領域)には、外部からの温かい刺激に反応するとともに、睡眠の開始と体温の低下(低体温化)の両方を同時に引き起こす神経細胞群が存在することが突き止められました。この研究はマウスを対象としたものであり、ヒトでも同じ回路がそのまま働くかは今後の検証が必要ですが、「暖かさが眠気を誘い、そのあとに体は熱を逃がして深部体温を下げる」という私たちの体感を裏付ける手がかりとして注目されています。
これらの知見を総合すると、寝室が熱くこもった状態では、深部体温の落差そのものが小さくなり、深いノンレム睡眠へ入るためのスイッチが十分に働かなくなる可能性が高いと言えます。
脳の冷却システムを最大化するためにどうすればいいか
深部体温の落差を鮮やかに作り出し、夜間の脳内クレンジングをサポートするために、今日から以下を心がけましょう。
トリセツ1:就寝の「90分前」に入浴を完了させ血管の放熱スイッチを入れる
深部体温を効率よく下げる方法の一つが、あえて一度「一時的に上げる」ことです。米国テキサス大学オースティン校のハガイェグ博士らが17件の研究をまとめたメタ分析(Haghayegh S, et al. Before-bedtime passive body heating by warm shower or bath to improve sleep: a systematic review and meta-analysis.)によると、就寝の1〜2時間前に40〜42.5℃程度のお湯に10〜15分ほど浸かる、あるいはシャワーを浴びることで、入眠までの時間が平均で約36%短縮されることが示されています。入浴によって一時的に上げられた深部体温は、その後、体内の恒常性維持の働きによって反発を起こし、90分ほどかけて入浴前よりも大きく下降していきます。この体温が下がりきるタイミングを狙ってベッドに入ることで、脳は深いノンレム睡眠へとスムーズに入りやすくなります。
トリセツ2:寝室の室温を「18度〜22度」に保ち、熱がこもりにくい寝具を選ぶ
脳からの放熱を妨げないためには、寝室の環境管理が欠かせません。エアコンを活用し、室温を18〜22℃の範囲に保つことを目安にしてください。岡本博士らの総説が示す通り、就寝時の暑さは睡眠の質を下げる影響が大きいため、特に夏場は「冷やしすぎない程度に、こもらせない」ことを意識しましょう。また、頭部からの熱の逃げ場を確保する観点では、頭が深く沈み込んで熱がこもりやすい素材の枕を避け、通気性に優れた素材を選ぶことも一つの工夫として有効と考えられます。いわゆる「頭寒足熱」の環境を科学的な裏付けとともに用意することが、脳を守るための防衛策となります。
認知症との戦いにおける睡眠の管理とは、根性論で早寝早起きをすることではありません。「熱力学の法則に従って体温の落差をコントロールし、脳の熱を安全に逃がす環境を整える」ことが、最も知的で合理的な方法なのです。
次回からは【ストレス・マインド編】へ移行します。慢性的なストレスが副腎から放つ『コルチゾール』が、脳の記憶の司令塔である海馬にどのような影響を与えるかを解明します。
参考文献
深部体温の低下速度と入眠タイミングの関係
論文名:Nighttime Drop in Body Temperature: A Physiological Trigger for Sleep Onset?
著者:Murphy PJ, Campbell SS
掲載誌:Sleep (1997)
内容:19〜82歳の被験者を対象に、深部体温が最も急激に低下するタイミングと実際の入眠タイミングとの関係を検証し、両者が強く連動していることを示した基本論文です。
手足の放熱(遠位血管拡張)と入眠の関係
論文名:Warm Feet Promote the Rapid Onset of Sleep.
著者:Kräuchi K, Cajochen C, Werth E, Wirz-Justice A
掲載誌:Nature (1999)
内容:入眠前に手足の皮膚温が上昇する人ほど入眠が早いことを示し、末梢血管の拡張による放熱が睡眠開始の生理的トリガーであることを明らかにした著名な研究です。
寝室の熱環境が睡眠段階(ノンレム・レム睡眠)に与える影響の総説
論文名:Effects of Thermal Environment on Sleep and Circadian Rhythm.
著者:Okamoto-Mizuno K, Mizuno K
掲載誌:Journal of Physiological Anthropology (2012)
内容:就寝時の暑熱・寒冷曝露が睡眠段階や覚醒時間に与える影響を包括的にまとめた総説。実生活に近い条件では、暑さによる悪影響が寒さによる悪影響より大きく出ることを指摘しています。
外部からの温かさが睡眠開始と体温低下を同時に引き起こす神経回路(マウス)
論文名:A Neuronal Hub Binding Sleep Initiation and Body Cooling in Response to a Warm External Stimulus.
著者:Harding EC, Yu X, Miao A, et al.
掲載誌:Current Biology (2018)
内容:マウスの視床下部(MnPO-MPO)に存在する神経細胞群が、外部からの温かい刺激に応じて睡眠の開始と体温低下を同時に誘導することを示した研究です。ヒトでの検証は今後の課題です。
就寝前の入浴・シャワーと睡眠改善効果のメタ分析
論文名:Before-Bedtime Passive Body Heating by Warm Shower or Bath to Improve Sleep: A Systematic Review and Meta-Analysis.
著者:Haghayegh S, Khoshnevis S, Smolensky MH, Diller KR, Castriotta RJ
掲載誌:Sleep Medicine Reviews (2019)
内容:17件の研究を統合したメタ分析。就寝1〜2時間前に40〜42.5℃のお湯に10〜15分浸かることで、入眠までの時間が平均約36%短縮されることを示しました。
人間の体温には、皮膚の「表面温度」とは別に、臓器や脳の温度である「深部体温」があります。最新の睡眠生理学の研究データ(Core body temperature circadian rhythm and sleep-wake regulation. / Role of nocturnal body temperature drop in driving slow-wave sleep.)によると、この深部体温は24時間のサイクルで変動しており、夜間に向けてなだらかに低下し、眠りにつく直前に「最も急激に下がる」という特性を持っていることが分かっています。
【長寿のトリセツからお知らせ】「寿命」を追いかけていたら「人間とは何か」という問いに行き着いた
この問いを小説という形にしてみました。
執筆は梶岡隆。
6月15日より、『細胞は二十年きみを悼む』全16話を毎日1話ずつ公開しています。第1話公開後はこちらからお読みいただけます。
#細胞は二十年きみを悼む
