「真ん中の子どもたち」と日台ハーフ考
第157回芥川賞(2017年)の候補になった温又柔さんの「真ん中の子どもたち」を遅ればせながら読みとおしたところです。これが日台ハーフの話とは今まで知りませんでした。ネタばらしはなるべく避けますが、関連して、いろいろ考えさせられたことを書いてみます。
国籍法改正の時代考証
物語冒頭では主人公19歳。主人公は日台ハーフ(父親が日本人で母親が台湾人として生まれ)ですが、日本パスポートだけ・日本籍だけ持っている立場だと描写される。8年前、主人公11歳の時に母親が日本に帰化している。主人公の生年月日は1980年6月30日という具体的な描写が出てきて、冒頭の舞台設定は1999年7月~2000年6月の範囲だと絞りこめる。さらには、描写の中に「春休みのあいだじゅう(考えた)」「もうすぐ(留学が始まる)」という表現が出てくるので、ずばり、舞台は2000年3月から4月にかけて、だと確定できるでしょうね。
主人公の同世代の友達としてもうひとりの日台ハーフ(主人公より7か月誕生日がおそい、父親が台湾人で母親が日本人)が出てくる。こちらは台湾パスポートだけ・台湾籍だけを持っている立場だと「対比的」に描写されている。「早生まれ」とも書かれているので1981年1月~2月くらいの誕生日でしょう。
さて、時代考証です。
まず、父親が台湾人で母親が日本人であった「友人」の方については日本の国籍法改正の移行措置で日本国籍を(帰化ではなく届出で)取得できた世代のはず。
日本の国籍法が父系血統主義から父母両系血統主義に変更されたのは1985年1月1日からですが、85年法の施行時に未成年である場合、母親が日本人なら日本国籍を帰化手続きではなく「届出」で取得できました。たとえば蓮舫さんもこのパターンですね。
ですが、そういうことは触れられていない。まあ、日本の場合、移行措置期間内に「届出」をしなければ取得はできなかったから「あえて取らなかった」もしくは「期間を過ぎてしまった」立場であることも考えられなくはないですけど、日本国籍取得は可能だった立場ですし、取得手続きをしていれば日台複数籍です。
一方、父親が日本人で母親が台湾人だった「主人公」の場合は2000年2月9日以前には日本国籍「だけ」になります。(台湾の国籍法が、父系血統主義から父母両系血統主義へ移行したのは2000年2月9日からなので)
ですが、舞台の時代設定が、上記の推測のように「2000年3月から4月にかけて」ということを踏まえると、主人公だってその時点では「日台複数籍」になります。
何故なら、現行の台湾国籍法第2条は
第 2 條
有下列各款情形之一者,屬中華民國國籍:
一、出生時父或母為中華民國國民。
二、出生於父或母死亡後,其父或母死亡時為中華民國國民。
三、出生於中華民國領域內,父母均無可考,或均無國籍者。
四、歸化者。
前項第一款及第二款規定,於本法中華民國八十九年二月九日修正施行時未滿二十歲之人,亦適用之。
中華民国89年(西暦2000年)2月9日の改正法施行時に二十歳未満の人にもこれ(父母両系の規定)を適用する、ということになるわけですので、1980年6月30日生まれという設定の主人公もまた、ギリギリですが、この台湾国籍法の要件を満たすことになります。
同じ日台ハーフでありながら一方は日本国籍のみ、一方は台湾籍のみ、という対比的な描写でこの物語は進むわけですが、対比されている二人がどちらも実は、共に、日本国籍・台湾籍、両方を同時に持ちうるという立場だったことが見えてきます。
そうするとこの物語のような「対比的」な描写は、本来の「日台複数籍」の立場を見えにくくする煙幕になってしまったのではないか?
蓮舫さんの騒ぎが2016年、この作品の芥川賞候補ノミネートが2017年と続いて、日本社会の中で「日台ハーフ」観念が、実態と離れたところでの固定化につながってしまったのではないか。
などとも私は考えたのでした。
アイノコという表現
さて、小説と言うのはいかに読み手の感情を揺さぶるか、が勝負でしょうから、普通生活の中では使うのが憚られるような言葉をギリギリまで使ってくる場面があるでしょうし、人によっては読んでイヤーな思いをさせられるかもしれない。それに是非を言うつもりはありません。ただ読み進めていて、私が引っかかったのが「アイノコ」という表現。これが日本語から入って、今では台湾語になっている、というような描写があります。
小説家、星野智幸先生による「真ん中の子どもたち」に対する書評でも、
《それは植民地時代に日本からもたらされ台湾の言葉と化した、「アイノコ」という言葉だ。差別的な歴史と意味を含んだ日本語の「合いの子」ではなく、日本と台湾の間に生まれた子を指す、別の歴史と意味を含んだ、日本語起源の台湾の表現としての「アイノコ」。》
こんなふうに解説がついているのですが「本当でしょうか?」
「在日文学」などで「自分のアイデンティティに悩む」なんてのは鉄板描写で例えば在日韓国・朝鮮人作家の作品には侮蔑的な「パンチョッパリ」なんてことばが出てくることがあります。
しかし台湾で「アイノコ」は聞いたことが無い。台湾語のネイティブの方数人に聞いたら、いずれも《(自分は)「日本語」として意味は理解できるけど「台湾語」になっているというほどではないのではないか?》というご意見でした。(もちろん、サンプル数が少ないため、私のきいた範囲だけで一般化できるものではありません。台湾出羽守になってはいけません。)
さて、「日台ハーフの葛藤」みたいな話は、遡ると、戦前の第一回大東亜文学賞の次賞となった庄司総一の「陳夫人」という作品(この回、正賞はなし)
庄司総一 著『陳夫人 : 長篇小説』第1部 (結婚),東和社,1951. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1646309 (参照 2025-02-08)
にも登場します。
そこにも「この類の言葉」が使われています。


・(昭和26年5月版)《トオアといふのは家鴨のあひのこといふ意味で、一般に混血児に対する罵言の一種だと云ふ。》
これ、実は度重なる改版で同じ場面の表現が書き直されています。(引用中の表現は原文ママ)
「トオア」になるまえは「バアバア」でした。
・(昭和16年5月第12版)《バアバアといふのは南洋土人と臺灣人の間の子と言ふ意味で、一般に混血児に対する罵言の一種だと云ふ。》(表現に問題はありますが、当時の表現を尊重してそのまま書きます)
・(昭和19年10月改定第3版)《トォアといふのは家鴨のあひのこのことだつた。》
カタカナではわからないので、台湾語の類語を調べるサイトitaigiで調べたら「混血児」の類語がいっぱい出てきました。
「陳夫人」昭和16年版に出てくるバアバアというのは峇峇仔(bâ-bâ-á)

昭和19年版以降に出てくるトオアというのは土生仔(thóo-senn-á)

の生が省略されている土仔だと思われます。「アイノコ」は類語中に紹介がありませんでした。台湾のサイトでどこかに台湾語となったという「アイノコ」使用例が見つかるかなぁ?
「スキュプリクスの命題」と「アイノコ」
以前、アニメ「魔王2099」に出てきた「スキュプリクスの命題」ということばについて、物語内の創作なのか、現実に存在するのか悩んだという話を書きました。
これと似ていますね。物語の中の創作の産物なら、それはそれで良いのですが、現実の話なのか創作の産物なのかわからないままだと、なんだかムズムズします。
