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『セント・オブ・ウーマン』――34年観続けて、ようやく分かった「インテグリティ」(前編)

息子の卒業式。『セント・オブ・ウーマン』を思い出すたび、私の頭に浮かぶのは、映画のワンシーンではありません。この日の風景です。

私には、生涯で一、二本しか選べない映画があります。
1992年公開の『セント・オブ・ウーマン』です。

アル・パチーノがアカデミー主演男優賞を受賞した作品として知られていますが、私にとって忘れられない理由は、主演男優賞でも、有名なタンゴのシーンでもありません。

映画の最後、名門ボーディングスクールの講堂で語られる、あの演説です。
私はあの十数分間ほど、「人はどう生きるべきか」を真正面から描いた映画を知りません。初めて観てから三十年以上、私は人生に迷うたび、この映画を観返してきました。

そして、そのたびに新しい発見があります。

実は、この映画には、私だけの特別な理由があります。
映画が公開された頃、私はニューヨークで暮らしていました。
だから、この映画はスクリーンの向こう側の物語ではありません。
私自身の人生と重なっている映画なのです。

私は、あの映画の中にいた

映画に登場する風景の多くは、私にとって日常でした。

ウォルドルフ・アストリアホテルのロビー。
ホテル・ピエールの小さなバー。
ブルックリンのリバー・カフェ東側の路地。
ロングアイランドのポート・ワシントン。

ピエールのバーは、ミッドタウンの喧騒が嘘のように静かな、私のお気に入りの場所でした。仕事帰りによくジン・アンド・トニックを飲みました。

リバー・カフェでは、上司とランチミーティングをしたことがあります。テラスへ出ると、マンハッタンの摩天楼が広がります。当時撮った写真には、まだワールド・トレード・センターのツインタワーが写っています。

フランク中佐が赤いフェラーリを走らせた道は、リバー・カフェのすぐ裏手でした。

映画の終盤の舞台となるサンズ・ポイントは、当時よくプレーしていたゴルフコースのすぐ近くでした。

だから私は、この映画を観るたびに、不思議な感覚になります。
映画を観ているのではありません。

あの頃のニューヨークへ帰っているのです。
そして、今では失われてしまったツインタワーの姿を見るたびに、時の流れというものを静かに感じます。

"Integrity"

映画のクライマックス。

盲目の退役軍人、フランク・スレード中佐は、一人の少年チャーリーを守るために演壇へ立ちます。

チャーリーは、友人を密告すれば将来が約束されるという誘惑を拒みました。フランクは怒りにも似た情熱で叫びます。

"He won't sell out anybody to buy his future."

映画『セント・オブ・ウーマン』

「彼は、自分の未来を買うために、誰かを売るような人間ではない。」
そして、人生には誰もが岐路に立つ時があると言います。

正しい道がどちらかは分かっている。
しかし、その道は険しい。

"It's too damn hard."

映画『セント・オブ・ウーマン』

だから人は、楽な道を選ぶ。
保身を選ぶ。
損得を選ぶ。

しかしチャーリーは違いました。

未来を失うかもしれない。
奨学金を失うかもしれない。
それでも、自分の魂だけは売らなかった。
そしてフランクは静かに言います。

"His soul is intact."

映画『セント・オブ・ウーマン』

彼の魂は、傷ついていない。
この一言を初めて聞いた時、私は言葉を失いました。

二十年間考え続けた言葉

実は私は、二十年近く前にも「インテグリティ」について文章を書いたことがあります。

「誠実」なのか。
「高潔」なのか。
「志」なのか。

あるいは、「倫理観」と「能力」と「向上心」のバランスなのか。
ずっと答えを探していました。

その時に思い出したのが、福沢諭吉の『学問のすゝめ』です。
第十二編には、「人の品行は高尚ならざるべからざる」とあります。
さらに、第五篇には、

「事物の有様を比較して上流に向かい、自ら満足することなきの一事に在り」と続きます。

若い頃の私は、「これがインテグリティなのだろう」と考えました。
しかし、高齢者になった今、この映画を何度も見返して思うのです。
インテグリティとは、もっと単純なのではないか。

インテグリティとは、魂を売らないこと

今の私は、それだけで十分なのではないかと思っています。

二十年、三十年前の私は、
インテグリティを「定義」しようとしていました。

しかし今は違います。
定義よりも、この映画の一言のほうが、本質を語っているように思うのです。

"His soul is intact."

映画『セント・オブ・ウーマン』

インテグリティとは、説明するものではない。
生き方そのものなのだ、と。

しかし、この映画が私に教えてくれたものは、それだけではありませんでした。もう一つ、あの演説には、私が長年コンサルティングという仕事を通して考え続けてきたテーマが隠されていました。

"I'm in the business of the making of men."

映画『セント・オブ・ウーマン』

若い頃には、この言葉の重みが分かりませんでした。
しかし今なら分かります。

フランク中佐が語っていたのは、 学校教育という狭い意味での教育ではありません。

人格者を育てること。
The making of men。

若い頃の私は、この言葉を「教育論」だと思っていました。
しかし古希になる今、ようやく違う意味だったことに気づきました。

フランク中佐が語っていたのは、学校教育ではありません。

人を育てるとは何か。
そして、私が四十年以上続けてきた仕事とは、結局何だったのか。

後編では、そのことを書いてみたいと思います。

後編へつづく


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