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アニメとテクノ/IDMの同時代性:同じ感覚が、別の形式で立ち上がる -【日本アニメ文化論】第18章

アニメがテクノを取り入れたのではない。同じ問いが、別の媒体で同時に現れていた。

一人のデザイナーが「二つの世界」をつないでいた。ロンドンを拠点とするグラフィックデザイナー・Paul Nicholsonは1991年にAphex Twinのロゴを手がけ、後に『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の笑い男ロゴも手がけた。Orbital・Global Communicationなど同時代のエレクトロニック・アーティストのアートワークも彼の仕事だ。二つの仕事は彼にとって同じ感覚の延長だった。どちらも「意識と情報が溶け合う空間」のビジュアル言語を作る仕事だったからだ。この接続は偶然ではない。ここに現れているのは、同じ感覚が別の媒体に現れていたという事実である。


痕跡 - 同時代が残したもの

1994年に公開されたOVA『マクロスプラス』の第1話に一瞬だけ映り込む広告がある。未来都市のバス停に表示されるデジタル広告 — そこにはAFX(Aphex TwinのRichard D. Jamesの別名義)の架空のアルバム「Selected Ambient Works Vol.23 2038-2040」の告知が映っている。それはすぐに別の広告に切り替わる。気づかなければ通り過ぎる一コマだ。しかしこの一瞬の映り込みは1990年代の日本アニメとイギリスのエレクトロニック・ミュージックが、同じ空気を吸っていたことの痕跡だ。


KEN ISHIIの「JELLY TONES」(1995年)は、この同時代性を象徴するもう一つの証拠だ。日本のテクノDJ・プロデューサーとして世界的に活躍したKEN ISHIIのこのアルバムのジャケットデザインを手がけたのは、森本晃司 — 『AKIRA』(1988年)の爆発シーンなど、大友克洋監督の長篇アニメで知られるアニメーターだ。クラブカルチャーのレコードジャケットにアニメーターが起用される。この事実もまた同じ感覚が別の媒体に流れていたことの痕跡だ。

菅野よう子はマクロスプラスに続いて攻殻機動隊の音楽も担当した。もともとクラブミュージックの4つ打ちが好きではなかった菅野が「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」では作品世界を意識した結果として4つ打ちを取り入れている。音楽が「好みで選ばれた」のではなく作品が音楽を要求したという構造だ。攻殻機動隊という作品の質感、義体・ネット・自己の不確かさが、特定の音楽的構造を召喚した。音楽と映像は、同じ問いに別の方向から向かっていた。

前章で論じた牛尾憲輔は「(アニメ業界で)今まで、99年ベルリンの地下テクノレーベルの話がすぐにできる人なんていなくて」と山田尚子について語っている。これは単なる趣味の一致ではない。山田尚子の映像が「感情を身体の持続として描く」という構造を持つとすれば、またベルリンテクノが「身体を4つ打ちのグリッドに同期させる」という構造を持つ、とすれば両者は「時間の中での身体の変容」という同じ問いを扱っている。音楽の趣味が映像の方法論と共鳴するとき、それは影響ではなく同型性だ。

Warpとベッドルーム - 「内面の装置」へ

1992年 イギリスのレーベル Warp Recordsは「Artificial Intelligence」シリーズを開始した。Warpは1989年にシェフィールドで設立された電子音楽専門レーベルで、Aphex Twin・Autechre・Squarepusher・LFOら後にIDMと呼ばれる作家たちの拠点となった。IDMとは「Intelligent Dance Music」の略— クラブで踊るためではなく、頭(脳内)で、あるいはベッドルームで一人で聴くための電子音楽という概念だ。Aphex TwinことRichard D. Jamesはその象徴的存在だ。外部の音を内面の体験へと変換する音響設計によって、IDMという潮流を体現した作家である。不規則なビート、環境音に近い質感、意識の内側を移動するような音響設計。彼の作品は「音楽を聴く」というより「音楽の中に入る」体験を作った。このシリーズのコンセプトは「クラブで踊るための音楽ではなく、ベッドルームで一人で聴くための電子音楽」だった。身体を動かすためではなく意識の中を動くための音楽。場所はクラブから部屋へ、身体から意識へと移動した。音楽は外部で起きるものではなく、内面で作動する装置になった。

同じ時期、日本では深夜アニメが台頭する。テレビの前の一人の視聴者が、深夜に『serial experiments lain』(1998年)・『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)・『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)を観る体験は、WarpのリスナーがベッドルームでAphex Twinを聴く体験と構造が重なる。集団の娯楽ではなく個人の意識の中での体験。外界との接続が薄れ、スクリーンまたはヘッドフォンの中だけに世界がある状態。どちらも「ベッドルームを情報空間として再定義した」文化の産物だ。

影響ではなく同時代性 - 同じ問いが別の媒体に現れた

アニメがテクノを取り入れたのではない。テクノがアニメに影響を与えたのでもない。最初から同じ問題を扱っていた。1990年代の特定の時期に音楽と映像が同じ問いを別の媒体で扱っていた。その問いとは「身体と意識の境界が溶けるとき、人間はどこにいるのか」だ。もう少し具体的に言えば、「外部だった情報が、内部の感覚として経験されるとき」という問いだ。

テクノにおいて音は内面化される。ヘッドフォンの中で身体のリズムと同期するとき、音楽はもはや外側にない。アニメにおいて世界は主観化される。素子の電脳、lainのワイヤード、シンジのLCLの中で、外界と自己の境界が消える。形式は違う。しかし扱っていたものは同じだった。

インターネットが日常に浸透する直前の時期、情報技術が人間の意識を再定義しようとしていた時代に、音楽と映像はそれぞれの方法でその感覚を捉えようとした。Aphex Twinの「Selected Ambient Works」が問うたのは「音楽が純粋に意識の中で起きる現象になるとき何が残るか」だ。攻殻機動隊の素子が問うたのは「記憶と義体しかない存在に人格はあるか」だ。問いの核は同じようにみえる。

この接続を一人の人物が体現している。Michael Ariasだ。アメリカ出身の映像作家である彼は『アニマトリックス』(2003年)の編集を担当し、日本に渡って『鉄コン筋クリート』(2006年)で長篇アニメ監督デビューを果たした。そして実写映画『ヘブンズドア』(2009年)の両方で、彼はサウンドトラックにWarp所属のPlaidを起用している。PlaidはAndy TurnerとEd Handleyによるエレクトロニック・デュオで、Warpを代表する電子音楽作家の一組だ。Michael AriasがPlaidを選んだのは趣味の問題ではない。『鉄コン筋クリート』の世界 — 有機的な都市と無機的な暴力が混在する宝町が、Plaidの音響言語と構造的に一致していたからだ。アニメと欧米クラブカルチャーの境界を往還してきた彼自身がこの章のテーゼを生きた証拠だ。

Paul Nicholsonが二つのロゴをデザインし、森本晃司がKEN ISHIIのジャケットを描き、Michael AriasがPlaidの音楽で映画を作る。同じ感覚を持つ人間が媒体の境界を越えて自然に接続していた。同じ時代に、同じ感覚が、異なる媒体に同時に現れていたことの構造として現れている。境界を往還する文化はアニメだけで起きていたのではない。音楽もまた同じ境界を別の側から問い続けていた。違うのは媒体だけで扱っていたものは同じだった。それはアニメと音楽が、それぞれの方法で境界を往還していたということでもある。つまり同じ感覚が異なる形式として同時に立ち上がっていたということだ。

この感覚は音楽とアニメにとどまらなかった。同じ時期、PlayStation用ゲーム『Wipeout』(1995年〜)においてもUnderworldThe Chemical Brothersといったテクノ/エレクトロニカがサウンドトラックに起用されていた。高速で滑走するレース映像と電子音楽が結びついたこの作品は、「身体が速度と情報に同期する感覚」を視覚と音で同時に提示した。音楽・アニメ・ゲームという異なる媒体が、同じ時期に同じ感覚をそれぞれの形式で表現していた。

ちなみに、この「Wipeout」のビジュアルディレクションを手がけたのは、イギリスのデザインチームThe Designers Republicである。彼らはWarp Recordsロゴや初期アートワークも担当しており、テクノ/IDMの視覚言語そのものを形作った存在でもあった。高速で流れる情報・幾何学的なタイポグラフィ・企業ロゴのように洗練された架空の記号群。そのデザインは音楽とゲームの両方に同じ感覚を与えていた。音楽・映像・ゲームが別々に存在していたのではない。同じ感覚がそれぞれの媒体で同時に立ち上がっていた。そしてその接続はデザインというレイヤーにおいても一貫していた。

接続の継続 - ネットレーベルからボカロPへ

この接続は1990年代で終わらなかった。2000年代以降、日本では別の形で同じ感覚が現れる。秋葉原のクラブ「MOGRA」を中心とするアニソンDJ文化と、インターネット上のネットレーベル文化 — とりわけMaltine RecordsはWarpが提示した「ベッドルームで聴く音楽」をさらに一歩進め、「ネットワークの中で共有される音楽」へと変質させた。MOGRAにおけるアニソンDJとVJは映像と音楽を同時に操作し、身体と情報を同一の場に置く試みだった。

Maltine Recordsから登場したtofubeats・Pa's Lam System・okadadaをはじめとする作家たちはインターネットとポップミュージック、そしてアニメ的な感覚を横断する存在として現れた。彼らは「アニメに影響を受けた音楽」を作ったのではない。最初から同じ感覚を扱っていた。tofubeatsはその後アニメ劇伴も手がけるようになる。ネットレーベル出身の作家がアニメの音楽を担当するという回路は1990年代の接続が別の形で続いていることを示している。牛尾憲輔もagraph名義で電子音楽を制作している。映像と音楽を別々に行き来するのではなく、同じ感覚を複数の形式で扱うという在り方がここでも反復されている。クラムボンのミトもまた同じ文脈に立つ。多くのアニメ作品で劇伴や楽曲提供を手がける一方、Warp20周年の日本イベントではDJを務め、さらに牛尾憲輔とアニソンDJユニット「2 ANIMEny DJ'S」を組んでいる。アニメと電子音楽を「別々の仕事」としてではなく、同じ感覚の異なる出口として扱う作家が、この時代に複数現れていることは偶然ではない。

1990年代に音楽とアニメが同時に扱っていた「意識と身体の境界」は、2000年代には「ネットワークと身体の境界」という形で再び現れる。場所はベッドルームからネットワークへ移動した。しかし扱われている問いは変わらない。この流れはその後ボカロPやネット発の作家へと引き継がれていく。形式が変わっても同じ問いは繰り返し立ち上がる。

この章のキーワード

  • Paul Nicholson:Aphex Twinロゴと笑い男ロゴを同一人物が手がけた — 同じ感覚の延長としての二つの仕事

  • マクロスプラス(1994年):未来都市のバス停にAFXの広告 — 両者が同じ空気を吸っていた痕跡

  • 菅野よう子「作品が音楽を要求した」:影響ではなく召喚 — 攻殻機動隊の質感が特定の音楽構造を必要とした

  • Warp 「Artificial Intelligence」シリーズ(1992年〜):クラブから部屋へ、身体から意識へ — 音楽が内面の装置になった転換

  • ベッドルーム体験の同型性:深夜アニメとWarpのリスナーが共有した「一人で意識の中に入る」体験構造

  • 同時代性の結論:「身体と意識の境界が溶けるとき人間はどこにいるのか」 — 音楽とアニメが同じ問いを別の媒体で扱っていた

  • MOGRA・Maltine Records(2000年代〜):ベッドルームからネットワークへ —「意識と身体の境界」が「ネットワークと身体の境界」へと形を変えた接続の継続

  • ボカロPへの継承:tofubeats・ネット発の作家たちがアニメと音楽の感覚を横断 — 影響ではなく同じ感覚の共有が世代を越えて続く

  • Michael Arias×Plaid:アニマトリックス編集→鉄コン筋クリート監督→ヘブンズドアでWarpのPlaid起用 — アニメと欧米クラブカルチャーの境界を往還した人物が章のテーゼを体現

  • 牛尾憲輔(agraph)×ミト(クラムボン):アニメ劇伴と電子音楽を同じ感覚の異なる出口として扱う作家の系譜 — 2 ANIMEny DJ'Sは接続が人物の中で持続している



次章:『第19章 史実との向き合い方: 正面から描く誠実さと、斜めから届ける深さ』へ

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