デジタルタトゥーを消したい /エッセイ
それは突然現れるのだ。
例えば、他者に自身のスマホ画面を見せながら何かを検索していたりする時、
検索結果候補として表示される
見覚えのあるセクシービデオのタイトル
文字列としてなら光速スワイプでギリギリ回避できる可能性もあるが、それが肌色多めな画像で表示されたりなんかした場合はもはや回避不可能。ゲームオーバーだ。あとは相手の器の広さに賭けるしかない。
すべては表裏一体。
便利さは時に取り返しのつかない不便さを連れてくる。
私という人間のログを記憶してくれるのは大変ありがたい。次に同じような行動をする時には実に便利だ。
しかし、会社では極力オナラなどしないようにしている私でも、家では普通に出す。
あふれるオナラを止められはしない。
人間というのは、そういうものだ。
場面によって見せる顔が違うことは、むしろ健全なことだ。
パーソナルなAIには、「これは忘れてください」と指示することで、その記憶を消してもらうことはできる。
しかし、その能力を持つべきなのは、AIの方ではなく、私たち人間の方ではないかと思ったりする。
例えば、ある人について好ましくないデジタルタトゥーが残っていたとして、それでその人の全てを判定するようなことは実にくだらない。
矛盾を内包しない人間なんているわけがないのだから、過去の発言一つなんて“過去の発言の一つ”でしかない。
人間は日々変わり続ける生き物であって、一般的に愚かな行為をした過去がある者だって、ずっと愚かなままでいるとは限らない。
もちろん人間は感情の生き物でもあるから、全ての人にこうやって広い器を持てと強要するつもりもないが、
「一部は一部」、「過去は過去」と冷静に考える世論が形成されていけば、デジタルタトゥーそのものが恐ろしいものではなくなるのではないかと思う。
そんな世界は夢物語だとは思うが、
あえて私は理想を語りたい。
マニアックなAVが検索候補に出てきたからって、それで私の人格まで決めつけるのは勘弁してください。
現場からは以上です。
甘野さんの、アマノ文筆クラブの企画に参加させていただきます。
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