子供は世界をどう感じるか?
悪気はない親の「先取り行為」という罪
「体験の先取り」と感情の押し付け
感情の芽生えや主体的な体験を、大人の先入観や言葉で上書き(先取り)してしまう。それは、子供の自由な感受性が育つ機会を奪ってしまう「もったいない場面」として、日常の中で多く起きている。
私は旅先でパスポートの盗難に遭い、再発行のために窓口を訪れた。
旅券センターはビルの15階にある。エレベーターに乗り込むと、4歳くらいのお子さんを連れた親子が一緒だった。
父親は息子を抱き上げ、窓の外の景色を見せた。ここまでは素晴らしい親心だ。しかし、持ち上げた瞬間に父親は言った。
「うわー、すごいね! 高いねー!」
息子が何かを感じ、言葉を発する前に、父親がその感情を代弁してしまったのだ。
しかし、子供の心の中は違ったかもしれない。
「高い」ことが、ただ怖かったのかもしれない。
普段見ない景色に、言葉にならない驚きや「あれは何だろう?」という疑問を抱いていたかもしれない。
あるいは景色などではなく、エレベーターのボタンやガラスへの映り込みに夢中だったのかもしれない。
単に、身体が持ち上がる「浮遊感」を不思議がっていただけかもしれないのだ。
現代の心理学や発達支援では、「応答的な関わり(Responsive Interaction)」や「観察(Wait and See)」という概念が重視されている。「親は子供がどう感じるかを、まず静かに見守るのが良い」とされるアプローチだ。
1.まず抱っこして見せる(無言で見守る)
2.子供の反応を観察する(目が輝いたか、引きつったか、どこを見ているか)
3.子供が発した言葉やリアクションをキャッチして打ち返す
あの父親の行動は、「場を盛り上げよう」「楽しませよう」という良かれと思ったサービス精神だったのだろう。
しかし、「言葉や感情を教えること」と「感受性を育てること」は別物なのではないだろうか。
そんな些細な「先取り」の積み重ねが、子供の将来の感性を少しずつ変えていくのかもしれない、と思うのでした。
補足
※これは、あくまで「子供の感性の芽生え」についての話です。
仮に父親に「安心させたい」という優しさや意図(目的)があったのならば、それは大切だと思う。その上で、今回は子供の体験の順番に絞った話になります。
論点の核心は、どれほど善意があったとしても、「子どもが本当に怖がっているかどうか」の観察すらスキップして大人が感情を提示してしまっている点にあります。まさにそのステップのスキップこそが、「先取り」そのものであるのではと提起してます。
「行為の目的」と「行為の構造・結果」が混同されやすいため補足しました。
