寿司めいじんと茶そばの話【カクシューエッセイ#1】
寿司めいじんと茶そばの話
まだ私が幼稚園にも入る前。誕生日を迎えると祖父母は私たち家族を回転寿司やファミレスに連れて行ってくれた。
正直、そこで嬉しかったことや、楽しかったエピソードは覚えていない。言えることといえば、なにかと忘れっぽい性分ながら「連れて行ってくれた」という事実と感謝があるくらいだろうか。
しかし、記憶がまったくないのかと問われると、そういうわけでもなく、なんとなく覚えていることがある。
私の誕生日の時に行く店は、大抵「寿司めいじん」だった。
ご存知だろうか、寿司めいじん。
この名前を聞いてピンと来るのは大分県に縁のある人くらいだろう。端的にいうと、大分を拠点にする回転寿司屋だ。私が幼い頃は、スシローやはま寿司といった誰もが知るようなチェーン店もまだまだ全国に行き届いてなかったので、あの頃の私たちは寿司を食べるなら、もっぱら寿司めいじんだった。
話を戻すと、私はその寿司めいじんで食べまくってるものがあった。
それが茶そばである。
ご存知だろうか。茶そば。馴染みのない人からは蕎麦茶と勘違いされるが、緑色の抹茶が練られた蕎麦である。
なんで食べ始めたのか、なんで食べようと思ったのかは私も定かではない。
だが、物心がついた時から、気がつけば私はどんな魚より、そこの茶そばが好きだった。子供の胃袋でも3杯は食べた。
祖父母と交わした言葉も、今となっては尊い時間が思い出せなくても、茶そばが好きで好きでたまらなく狂ったように食べていたことも、トッピングのうずらの卵を溶いたらこれがまた美味しいということも覚えている。
子供というのは無垢というか残酷というか。「折角の機会」なんていう概念はなかったのだろう。
しかし、最も残酷なのはそんな日のこともすっかり忘れてしまったことだろう。
私が中学生になる頃には、家の近くに全国的な回転寿司チェーン店がいくつも参入していた。残念ながら、どの店にも茶そばは置いていない。いつしか私は寿司屋に行けばブリとサーモンと貝類が好きになっているし、よく口にする麺はパスタと焼きそばに置き換わっていた。ちなみに、寿司めいじんのいくつかの店舗は方針転換して魔改造されていた。
気付けば、私は茶そばを二十数年食べずとも生きていけることが証明されてしまった。今になって思えば、どうしてあそこまで没頭していたのかわからない。
だから、近所のスーパーで茶そばが売っていたのを見て、即刻買った。
きっかけは2025年の年の瀬。忘れもしない仕事納めの日である。独りで年越しすることにも慣れつつあるこの頃、一丁前に年越しそばのための蕎麦でも買おうと乾麺コーナーを眺めていたら見つけたのだ。茶そばを。
普通に売っていた。蕎麦なんて普通に食べる機会がないので気付きもしなかった。
同時に、私は思い出した。茶そばを狂ったように好きだった幼少の日々を。私は確かめたくなった。なんで好きだったのかを。
茶そばとネギと卵を買って帰り、すぐに作った。
水が沸騰するだけでわくわくしたのは中学一年生の理科の実験以来だ。
三分が心待ちになったのは、デートの待ち合わせをしていた時以来だ。
本当に今更だが、寿司めいじんの茶そばは冷製だ。(温かいのを食べた記憶がないだけか?)しかし、季節は冬。そこまでの勇気はないので、温かいまま食べることに決めた。
加えて、私はあの頃のただ茶そばを待つだけの子供ではない。私は大人になって「作る側」になったのだ。好きなだけネギを撒けるいて、お椀の中がたちまち緑になる。これですくってもすくっても緑だ。緑一色だ。役満だ。
そして、卵黄を乗せてできあがり。
ようやくありつける茶そば。大人の力で拵えた茶そば。
その一口を啜って実感した。
ツルツルした食感が蕎麦っぽいけど蕎麦っぽくない感じがめちゃくちゃ美味しい。卵を溶くと、まろやかさが出て、またこれが麺つゆに合う。口の中が青ネギに充満しても、茶そばはその青臭さを(気休め程度に)忘れさせてくれる。絶対に子どもの頃はこんなこと考えながら食べてないだろと、我ながら思うけど、今だからこそ言える。
茶そば、好きです。今度は嘘じゃないっす。
