見えないものについて
夏になると、なぜかこういう話を思い出します。
イングランドで在宅介護の仕事をしていた時時々、説明のつかないことに遭いました。
今日はそのうちの一つを書いてみたいと思います。
もう10年以上前、今とは別の職場で働いていた頃の話。怪談のつもりで書くわけではないけれど、実際にあった話として…
脳卒中のあと心臓麻痺を起こし、麻痺の後遺症が残った男性のお世話をしていたときのこと。
ある日、窓の外を見ていた彼が、急に怒って大声を出したのです。
もう一人のスタッフと二人で
「どうしたんですか」と聞くと、彼はこう言ったのです。
「アイツが見ている」
窓の外には誰もいません。
庭にも、道にも。
それからしばらくして、その男性はトイレでも同じことを言うようになったのです。「アイツがいる」と言って中に入るのを拒否することもありました。
私たちはその都度、彼を落ち着かせながらも、正直なところ少し戸惑っていました。
何かの見当識障害だろうか、それとも脳の損傷による幻視だろうか、と。
あるとき、何気なく彼のお母様にそのことを話してみました。特に深い意図はなく、日々の様子の報告のひとつとして。
すると彼女は、少し考えてからこう教えてくれました。
彼が病院で昏睡状態から意識を取り戻したあと、お見舞いに行くと、彼は天井を指さして笑っていたのだというのです。
「何がおかしいの」
と聞くと、彼はこう答えたそうです。
「数年前に亡くなった従弟と話していた」と。
彼の担当だった脳外科のリハビリの先生に、後日この話をしたところ、先生は
「脳にトラウマを受けた人には、よくあることですよ」と言われました。
医学的にはそういうことなのだと思います。
損傷を受けた脳が、実在しないものを実在するかのように処理してしまう。
説明としては筋が通っています。
でも、本当に何かが「見えている」のかもしれない、とも思ったのです。
人間に見えないもの、聞こえないものは、この世に存在しないという証明にはなりません。
たとえば犬は、人間には嗅ぎ分けられない匂いを嗅ぎ分けることができます。
人間の感覚がすべてを捉えられているわけではないというのは、当たり前のようでいて、忘れがちな事実だと思うのです。
彼が見ていたものが何だったのか、今もわからりません。医学的な説明もわかるし、それを否定するつもりもありません。
ただ、あの時の彼の様子――窓の外を睨みつけて怒っていた顔と、病院のベッドで天井を指さして笑っていた顔と――その両方をなんとなく覚えていて、答えを急いで出す必要はないのかもしれない、と今は思っています。
見えないものを、見えないというだけの理由で、なかったことにはしたくない。
そんなことを、この仕事をしていると時々考えるのです。
そして、不思議な話は次回も続きます。
☆タイトル画像は、アーサー王伝説で有名なグラストンベリー・アビー
本文とは関係ありません。
