誰かにとっての良い人が他の誰かにとっての良い人であるとは限らない話
数年前、人間関係でこっぴどくやられた。
権力を振りかざして、抑えつけようとする相手。
悲しいというより、自分の置かれた状況の理不尽さが悔しくて悔しくて、その頃は ずっと怒りに支配されていた。
肩書きのある相手。
しかし、その立場でありながら 明らかにおかしなことをしているのに、自分には全く非はない と間違った権力を振りかざして 堂々としている相手の態度にも、心底腹が立った。
日本でパワハラ防止法が企業に義務化された年、わたしはオーストラリアにいた。
相手は日本人で、それを知らないわけがない。
ここは日本ではないから 通用しない?
オーストラリアだから?
オーストラリアは人権意識が高い。
パワハラを受けている渦中、パワハラを受けていることは伏せたまま オーストラリア在住の友人に
「オーストラリアには、パワハラは無いのか? 」
と聞いた。
「ある」
と、友人は答えた。
自身がオーストラリアでパワハラを受けた時の話をしてくれたが、その相手は日本人だった。
うーん………。
「オーストラリアでは、パワハラを受けた人はどう行動するのか?」
と聞いてみた。
友人は日本人で、その配偶者はイギリス人。
友人がパワハラを受けていた時、配偶者から こう言われたそうだ。
「その職場を辞めて、別の場所に移れ。
その職場の その上司には、正しく評価してもらえない。
正しく評価する能力の無い上司 の元で働く必要は無い」
自分を正しく評価しない相手からは、去れ。
ほぉぉぉ。
その発想は無かった。
それはそれで勉強になったが、当時のわたしは パワハラ相手からすぐに去れないところにいた。
避けることすら出来ない。
怒りで、その頃はほとんど眠れなかった。
その後 いろいろあって、相手がわたしの前から去った。
オーストラリアだから。ということも 少なからず影響したと思う。
ほぼ1年の間 真っ黒なモヤの中にいた気分だったが、その後の 晴れ間の眩しかったこと!
のびのびとして 何にも誰にも支配されず、本当に楽しかった。
戦って良かった。
あれから 数年経った。
時々 あの当時のことを思い出してイライラしたこともあったが、最近は ほぼ思い出すこともない。
思い出しても、ああ、はいはい。そんなヤツいたね。ははは。くらいになった。
そして、ふと 思った。
この年末年始、相手は 家族や子どもや孫に囲まれて、楽しくワイワイやってたんだろうな。
相手の周りから見れば、良い家族であり 良い友人であったり するんだろう。
わたしから見れば、怒りの対象でしかなかった相手でも。
誰かにとっての良い人が、他の誰かにとっての良い人とは限らない。
この記事は、今年の年明けに書きかけて、そのまま下書きにあった記事です。
書いても書かなくても、出しても出さなくても どちらでもいいけど、出すなら、何かのきっかけがあった時かな と思っていました。
きっかけがあったので、出しました。
物事や出来事、人物などにはあらゆる方向からの視点があって、人それぞれに感じ方や見え方が違います。
交じり合うことは無く、一生 平行線のままのこともあるだろうけど、それはそれ。と いつも いつでも思えるように、努力しています。
