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ヨーロッパで、セックスの価値観が変わった話

ヨーロッパで出会った男たちは、
好きだと思ったら、それを隠さない。

そして同じくらい、
セックスに対しても正直だった。


日本での恋愛観


日本は、同一民族国家で、協調性がとても高い。
みんなが共有している「常識」レベルが近くて、
価値観も大きくはズレない。

だから、察する文化が育った。
言わなくても、わかるでしょう。
空気を読めば、伝わるでしょう。
それが前提にある。

恋愛においても同じだ。
好きかどうか、付き合いたいかどうか。
わざわざ言葉にしなくても、
態度や雰囲気で十分だった。

YesとNoのあいだには、
たくさんのグラデーションがある。
やんわり断れば、「10段階中4くらいのNo」がちゃんと伝わる。
日本では、それが成立した。

この感覚は、日本にいる間は当たり前すぎて、
意識することすらなかった。
でも、移住してから気づいた。

ヨーロッパでは、そうはいかない。


察してもらえない世界で


ヨーロッパでは、察してもらえない。
察してもらおうとする考え方がない。

好意があるなら、言葉にする。
会いたいなら、会いたいと言う。
嫌なら、嫌だと言う。

YesはYes、NoはNo。
その間に、日本ほどのグラデーションは存在しない。

最初は、それが違和感だった。
空気を読まないし、距離が近い。
「そんなに簡単に言っていいの?」って。

私は、はっきりとYesやNoを言う感覚を
あまり持っていなかった。
日本で生きていれば、
それで困ることはなかったから。

だから、アムステルダムに来てからも、
日本と同じ距離感、同じテンポで、
出会う男たちと接していた。

結果、カオスなことを引き起こす。
こちらは特別なつもりもなく、
ただ感じよく会話していただけなのに、
なぜか好意として受け取られてしまう。

そういう好きじゃないのに、勘違いされる。
そんな状況に、何度か陥った。

最初は正直、理由がわからなくて面倒だった。
なんで、出会った瞬間から
「大好き」なんて言えるんだろう、て思った。笑

でも最近、少しずつ見えてきた気がする。
彼らがおかしいわけじゃないのかも。
私の“普通”が、ここでは普通じゃなかった。
そういうことなのかもしれない。

ヨーロッパの恋愛には、
日本にあったような「間」がなかった。

探り合う時間も、
様子を見る沈黙も、
気づいてもらうための遠回しもない。

それは、日本語と英語の違いも関係している気がする。
英語では、主語と意思をはっきり示さないと、
そもそも文が成立しない。

言葉にしないと、伝わらない。
察してもらえないからこそ、
誤解を避けるために、最初から言葉にする。

恋愛でも、それは同じだった。
好意は、曖昧にぼかされない。
遠回しな態度や沈黙は、期待として扱われない。

だから、
愛されるまでが、早く感じるのかもしれない。

愛されるスピードに、私が追いつけなかった理由


愛されるスピードが早いこと自体は、悪いことじゃない。
むしろ正直で、わかりやすくて、誠実だと思う。

問題は、そのスピードに、
私の気持ちが追いついていなかったこと。

私はヨーロッパに来る前、
日本に、まだ終わっていない関係を
置いたまま移住した。
気持ちはどこか宙に浮いたままの状態だった。

そんな中で出会う新しい人たちから、
すぐに向けられる好意。
それはありがたくて、嬉しいはずなのに、
どこかでブレーキがかかっていた。

私はまだ、
誰かに深く愛される準備ができていなかった。
恋愛よりも先に、まずは自分の人生を
何にも縛られずに生きたいと思っていたし、
自己探求の途中にいる感覚が強かった。

だから、向けられる愛に、
すぐに応えることができなかった。

愛が早すぎたのではなく、
私が、まだ途中だったのかも。


追いつけなかったのは、身体じゃなかった


アメリカ/メキシコ人の年下の彼は、
出会ってすぐに私に惚れた。
それはわかりやすくて、まっすぐで、
隠す気もない一目惚れだった。

デートを重ねて、セックスを重ねるうちに、
彼の気持ちはどんどん深くなっていった。

いわゆる in love という状態。
言葉にも、態度にも、迷いがなかった。

でもそのスピードは、
私にとって少しだけ早すぎた。



ここからは、私の“夜の実体験”。
刺激強め。興味のある人だけどうぞ。

身体が自由を覚えた夜

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