私の日本での奮闘史⑦ーー「あいうえお」が繋いだ、小さな地球
■ 20人の「多国籍軍」
私が配属された「クラスA」は、学校で最も人数が多いクラスでした。20人前後の教室を見渡すと、そこはまさに小さな地球。韓国、タイ、ネパール、コンゴ、シンガポール、香港、台湾……。
中でも一番多かったのは、私と同じ中国出身者でした。クラスの約半分を占める彼らの顔ぶれは、驚くほど多彩です。30代や40代が多く、母国では大手企業のエリート社員やエンジニア、画家、教師といった、第一線で活躍していた人たちばかりでした。
一方で、他の国から来た生徒たちは10代後半から20代と若く、エネルギーに満ち溢れています。母国での肩書きも年齢もバラバラな私たちが、今、同じ教室で「あいうえお」から始めようとしていました。
■ 十人十色の「味」がついた自己紹介
最初の授業は、自己紹介でした。
そこで驚いたのは、それぞれの「発音」です。まさに、その国ならではの「味」が付けられた日本語。
お国柄が色濃く出たアクセントや、独特の強いクセ。意味がどうしても通じない時は、みんな必死に身振り手振りで表現します。その一生懸命さと、どこか可笑しな響きに、教室中が何度も大きな笑いに包まれました。
ネパールから来た19歳のサンジャイさんは、若さに似合わず、いつも笑顔で紳士的な話し方が印象的でした。対照的に、コンゴのブピーさんは、黒いシルクの上着に白いシャツという鮮やかなコントラストの服装に身を包み、何を話しているのか聞き取れないほど声が小さく、どこか不思議な雰囲気を纏っていました(後で、コンゴ大使館の関係者だという噂を聞きました)。
■ 鮮明なコントラストのなかで
中国人の仲間たちも、一筋縄ではいかない個性派揃いでした。
上海出身の陳さんは、流暢な英語を操る知性派のビジネスウーマン。しかし、その目元には驚くほど濃いアイラインが引かれ、休み時間には指にタバコを挟んで遠くを見つめる……。私には、とても複雑でミステリアスな女性に映りました。
そんな彼女と仲が良かった北京出身の呉さんは、陳さんとは対照的にとても明快な人でした。大きな二つの瞳からはいつも善意と友好の光が放たれていて、見ているこちらまで明るい気持ちにさせてくれるのです。
多種多様な背景を持つ人々が、同じ「不安」と「緊張」を抱えながら、小川先生の必死にメモを取る姿に見守られ、一歩ずつ言葉を紡いでいました。
■ 救世主との出会い
そんな個性豊かなクラスメイトの中で、私と一番仲良くなったのは、北京出身のトウさんでした。
彼は来日前、エンジニアとして働いていた30代後半の男性です。私より半年早く来日したトウさんは、先に日本にいたお兄さん夫婦と同居していました。ユーモアがあって話も上手な彼は、日本の生活にも慣れて余裕がある様子で、来日したばかりの私の良き理解者になってくれました。
孤独なアルバイトと、慣れない日本での生活。張り詰めていた私の心は、彼と出会い、いろいろな話を共有できるようになったことで、少しずつ解きほぐされていきました。
一人きりで耐えていた日々が終わり、私の日本生活は、彼のおかげでようやく「楽しい」と思えるものに変わり始めたのです。
次回予告
ようやく見つけた、心許せる仲間。しかし、学校の外に出れば、相変わらず厳しい現実が待っていました。次回、「皿洗いの手と、教科書」。生活のために働くこと、そして学ぶことの狭間で揺れる日々を綴ります。
