政治家の「答弁拒否」の言語学: 計量政治言語学のアプローチ
答弁拒否の言語学
「お答えを差し控えさせていただきます」。
国会中継を少しでも見たことがあれば、必ず聞いたことのある言い回しである。質問に答えない、と丁寧に宣言する定型句。あまりに聞き慣れて、国会とはそういう場所だと思っている人も多いだろう。
政治家は言葉が命だとよく言われる。演説で支持を集め、答弁で責任を果たし、失言ひとつで職を失うという意味において。要は、彼らの仕事は、かなりの部分が言葉でできている。そうであれば、その言葉を一つひとつ聞き流すのではなく、何十万件という単位で体系的に測れば、個々の発言の意図の向こうにある行動パターンが見えてくるはずである。誰が、誰に何を問われたとき、どうやって答えを避けるのか。それは言葉を観察の出発点にした権力の研究になる。
計量政治言語学
筆者は言語学者である。言語学というのは本来、言葉そのものが目的地の学問。音の体系、文法の仕組み、敬語の使い分けなど、言葉をデータとして集め、言葉の構造を明らかにしたところで仕事は終わる。実際、私の研究のほとんどは、日本の消滅危機言語である琉球諸語のフィールドワークに基づく記述言語学的研究である。
だが、言語学者が普段親しんでいる言語分析の道具は、普段の逆向きにも使える。言葉を目的地ではなく出発点にして、言葉に映り込んだ実世界、例えば制度や組織、そして権力の動きを読むのにも使える。
言語というものは、普通の人が想像する以上に、その話し手について色々な手がかりを与えるものである。出身地、精神状態(戸惑いや苛立ち、配慮など)、社会階層、仲間意識などなど。これは社会言語学や言語人類学という分野が明らかにしてきたことでもあるが、このコラムも、大枠で言えばそのノリを持っている。
政治の言葉を研究する分野には、実は既に名前がある。Politolinguistik「政治言語学」という名前で、ドイツ語圏で1990年代に勃興し、スローガンやプロパガンダ、演説のレトリックを、主に人間の丁寧な読解によって分析してきた分野である。
この流れは日本にもある。社会言語学者の東照二氏は『歴代首相の言語力を診断する』(2006年)以来、小泉純一郎の「ワンフレーズ」から菅義偉の記者会見まで、首相たちの話し方を一つひとつ読み解く仕事を重ねてきた。日本の政治言語学のパイオニアである。この成果はこのコラムで、のちにまた触れる。
上の流れは、談話分析などの質的研究が中心で、ある意味で分析者の「才能」が光る、着眼点と丁寧な言説の分析に特徴がある。一方、大量の言説をデータにした量的研究も、計算機技術へのアクセスが容易になった近年、増えつつある。1945年以降の歴代首相の国会演説179本を集め、語彙と話題の変遷を測った計量分析(河瀬彰宏・吉原秀樹、情報知識学会誌30巻2号、2020年)はその1つである。ただし、ここで測られているのは主に演説、つまり、官僚が書き、首相が読み上げる、政府の一方的な自己紹介である。
言語学者から見ると、演説は言語運用の典型例ではない。特にフィールドワークで生の言語を分析している私からすれば、政治家同士の会話に関心がある。私の関心は、問われたときに、答えているかという、権力が問いに晒される現場にある。ここにこそ、政治家の言葉のやり取りに潜む、彼ら(政治家および答弁を用意する官僚機構)の戦略が生々しく表出するからである。
数万、数十万の答弁を機械で処理し、誰でも検証できる数値に変え、少数の観察からは見えてこない「政治の動き」を見つけ出して権力チェックの実用に供する。いわば計量政治言語学。これをやってみよう、という趣旨のコラムである。計量政治学、および上で述べた政治言語学という分野はすでに存在しているが、この掛け合わせに対する明示的な命名は日本ではないと思っている。すでに流通しているなら、ご教示いただければ幸いである。
幸い、国会は自らの全記録を公開している。国会会議録検索システムには1947年以降のほぼ全発言が収められ、誰でも無料で検索・取得できる。つまり「政府はどう答えなくなってきたか」は、実は昔から測定できる問題である。
「答えない技術」の80年
「差し控え」の総体を集計してみた結果が次の図の上段(a)である。(b)は、「差し控える」理由を述べた部分、例えば「係争中の案件でございますので」などの部分を主要3パターンに分けた上で、それぞれのパターンが時代ごとにどう使われていったかを示すものである。

この集計から、まず3つのことが分かる。
第一に、誕生。この定型句は1947〜50年の国会には存在せず、1951年に現れる。「国会答弁といえばお答えを差し控え」という風景は、戦後日本が少しずつ作り上げたものだ。もちろん、それ以前の帝国議会の議事録を使ってみなければ、国会における答弁拒否の戦略に使われた用語がどうなっていたかはわからない。
第二に、増殖。国会の総発言数で割って規格化しても、「お答えを/は差し控え」は1950年代の百倍を超える水準に達している。いまでは1万発言あたり30件。
第三に、世代交代。戦後から1990年代までの主流は、実は「答弁を差し控え」という素っ気ない形だった。それが2000年代に丁寧な「お答えを差し控え」に逆転され、2010年代半ばに急増する。つまりこの75年、断り方はどんどん丁寧になり、断る回数はどんどん増えた。
何を理由に「お答えを差し控える」のか
次の問いは図1(b)の部分に関わる。断るとき、政府は何を理由にしてきたのか、という問いである。「差し控え」を含む発言約8,000件の前後の文脈から、理由を示す語を数えたのが、上の図1の下段(b)である。
かつての断りの主役は「捜査中ですので」「係属中ですので」という司法型の理由だった。刑事司法への配慮という法的な根拠があり、適用できる場面もはっきり限られている。断るにしても、筋の通った断り方である。
ところが2010年代以降、司法型は減り、かわって、1980年代から増え始めていた「個別の事案についてはお答えを差し控える」という型が逆転する。考えてみてほしい。国会の質問は、ほとんどすべて何らかの個別の事案についてのものだ。つまりこれは、事実上すべての質問に貼れる断り札である。便利な発明である。官僚が用意しているということを前提にすれば、いわゆる霞ヶ関文学という「屁理屈の体系」の中で、「個別案件」型の答弁拒否の様式は、理由という形をとりながら空虚で良いという、まさに屁理屈の武器として認識されていったのであろう。
この数十年で起きたのは、断りの量的な増加だけではない。断りの理由が、法的に限定されたものから、無限定に使えるものへ入れ替わったということであり、答えない技術は、量とともに質も「進歩」したということである。
「意味」を測る機械
ここまでは、人間が目視で集計し、人間がラベルを張り、人間が解釈するという、非常に古典的な手法に基づいて解説を行ってきた。ここから先の検証には、埋め込み(ベクトル埋め込み)という道具を使う。そしてここからが、計量政治言語学の腕の見せ所である。
コンピュータは、文章同士の「違い」をそのままでは比べられない。そこで一つひとつの文章を、数百個の数値の並び(ベクトル)に変換する(次の図の①)。「犬を飼っている」→(0.12, −0.53, 0.88, …)。この数値の並びは「座標」だと思えばよい。紙の上の点の位置が横と縦の2つの数値で決まるように、数百個の数値は、数百次元の空間の中の1点を指している(図2の②)。例えば「犬を飼っている」と「猫を飼っている」はベクトルが相互に十分に類似するので、イメージとして近い位置に配置され、「予算案が可決された」は遠くに置かれるというイメージである(図2の②)。色々な意味を持つ文章同士を(ベクトル空間という)「意味の座標軸」に配置していくイメージである。

ここで最も大事なのは、このベクトル変換器の作り方である。あらかじめ大量のテキストから「どんなことばが、どんな文脈で使われるか」を学習させ、意味の近い文章ほど近い座標になるように調整した埋め込みモデルというものを利用する。

作り方は図3の①である。ウェブや書籍から集めた膨大なテキストを機械に読ませ、「この文脈に入ることばは何か」「この二つの文は同じことを言っているか」といった問題を(ある意味で)解かせる。問題を解けるようになる過程で、機械は「どんなことばが、どんな文脈で、何と言い換えられるか」という使われ方の統計を、数億個の数値(パラメータ)の中に焼き付けていく。訓練には大型計算機と専門チームと数週間が要る。個人が片手間に作れるものではない。
しかし、訓練済みのモデルは、完成品として無償で公開されている(図の②)。この記事で使う二つのモデルも、Hugging Faceという公開サイトから誰でもダウンロードできる。使う側は、手元のテキスト(国会答弁でも、日記でも)をそのモデルに通すだけでよい。追加の訓練は要らない。この記事の分析はすべて、私の手元のノートパソコンで済んでいる。つまりこのコラムの権力チェックは、特別な設備も予算もない一人の言語学者に可能なことしかしていない。
次の図4は、本物の答弁480件をこの地図の上に置いたものである。色は私が語句で付けた理由型のラベルだが、配置は機械が文章の中身だけから決めた。

「捜査中ですので」も「国家賠償訴訟が係属中でございますので」も、使っている単語はほとんど重ならないのに、地図の同じ地域に集まる。数値で言うと、同じ理由型どうしの近さは平均0.91、型が違う断りどうしは0.89、断り以外の一般答弁との間は0.87と、きれいな階段になる。別系統のモデルで測り直すと数値自体は変わるが(0.87、0.84、0.82)、階段の順序は変わらない。数値そのものに意味はなく、意味があるのは順序である。
なお、この種の分析は、結果がモデル(変換器)の「癖」に左右されうる。モデルを訓練する開発者の癖と言ってもいい。だから、単一のモデルだけを使って意味の座標配置を行うと、それが、本来関心のあるデータの性質でそうなったのか、単に「測定器の癖」でそうなったのか、区別できない。そこでこのコラムの埋め込みの結果はすべて、系統の異なる二つの公開モデル(マイクロソフト・リサーチの多言語モデル multilingual-e5-small と、名古屋大学の日本語特化モデル Ruri)の両方で測り、方向が一致したものだけを述べている。
ベクトル埋め込みの利点
図1(b)で、「差し控え」の理由語、例えば「係争中でございますので」という司法型のような「〜型」のラベルを分析者があらかじめ用意して、それらを使ってデータを分類していくという古典的作業は、想像以上に恣意的である。当てはまらない例に出会うたびに、ラベルをその場で増やしたり減らしたりする。「いちばん近いから」と、どれかの型に無理に押し込む。そうやって判定の基準は、作業の途中で少しずつずれていくのである。しかも集計が分析者の手元でしか行われていなければ、そのずれは外からは見えない。そうやって汚損されたデータに基づいて、かっこいいグラフを書いたりしても、それは違法建築を隠したピカピカマンションみたいなものである。
実際、図1(b)の主要な3型(司法型、個別事案型、外交・安全保障型)で説明できないものが5000件近くある。そこで、説明できなかった約5,000件を機械に群分けさせると、こちらが元々想定していなかった理由の型が浮かび上がってきた。「政府の情報収集能力を明らかにすることになるので答えない」という手の内型、企業の「競争上の地位や営業秘密」を盾にする型、そして、理由をまったく添えない断りなど、見つけた型はリストに追加して、全体を最初から数え直せばよい。作業の途中で基準を曲げるのではなく、基準を変えたら全部やり直すのである。機械はこれを苦にせずやってくれる。機械で発見し、数え上げで公開する。この往復なら、断りの型の妥当性は誰でも点検できる形になる。

「個別の事案」の万能性をベクトルで計測
1980年代から徐々に増え、2010年代以降に台頭してきた答弁拒否の理由「個別の事案」は、本当に何にでも貼れる万能札なのだろうか?これを確かめるために、理由の型ごとに断りの文脈が意味の空間でどれだけ散らばっているか(どれだけ多様な理由か)を測ったのが以下の図6である。

「捜査中・係属中」を理由とする断りの文脈は、狭くまとまる。決まった種類の質問にしか現れないからである。対して「個別の事案」型の文脈の散らばりは、やはり、あらゆる断りを込みにした「断り全体」の水準に迫る。ほとんどどんな質問にも添えられる理由になっていることが、数値として確認できた。
断らずに、答えない:噛み合わない答弁の技術
ここまでは「お答えを差し控えます」という、明示的な拒否を追いかけてきた。しかし国会には、もう一つの「答えない」方法がある。断らずに、答えないのである。どういうことかわかるだろうか?
問われたことと違うことを答える。
これである。私は、政治家といえば「差し控える」よりもこの「噛み合わない答弁」の方を想起する。
困ったことに、こちらには定型句がない。「はぐらかし」「噛み合わない感じ」で検索するわけにはいかないから、数え上げでは原理的に追えない。だが、埋め込みなら問いが立てられる。手順を、ゆっくり分解して示そう。
まず、ペアを作ることである(次の図7の①)。委員会の会議録は「委員が質問する→大臣が答える」の繰り返しでできている。そこで、役職つきの発言(大臣・長官・政府参考人など)を「答弁」、その直前にある委員の発言を「質問」として、機械的に組にする。委員長の議事進行(「これより会議を開きます」)は除外する。これを直近2年の衆参予算委員会・全154会議で繰り返すと、11,574組のペアができる。
次に、それらを数値で測る。ひとつのペアの質問と答弁を、先ほどの「意味の地図」の上に、それぞれピンで留める。質問に正面から答えた答弁は、質問と同じことがらを語っているから、ピンは質問の近くに来ると想定する(図7の②)。問われたことと違うことを語った答弁は、遠くに行く(図7の③)。この二本のピンの距離が「噛み合い度」である。この距離は、要するに問われたことと、語られたことの、意味のずれを測る指標として使える。丁寧に長く話しながら何も答えない答弁も、原理的には網にかかる。

なお、質問と答弁の意味的距離を物差しにするという発想自体は、本コラムの独創ではなく、すでにいくつかの研究成果がある。例えば、カナダの下院の質疑応答(Question Period)を用いた研究("Measuring the Quality of Answers in Political Q&As with Large Language Models," Political Analysis 34: 78–95, 2026)。日本との比較も含め、これは後で触れる。
「噛み合わない答弁」の定量化の結果
今のべたやり方で「噛み合わなさ」を距離で計り、これを11,574組すべてで繰り返した。結果の全体像が次の図8である。

ほとんどの答弁は、それなりに質問の近くにいる。注目すべきは分布における左の裾である。
図の破線が示すとおり、「差し控え」を含む答弁の分布は、含まない答弁より左、つまり質問から意味的に遠い側にずれる(ここでも二つのモデルで方向が一致する)。明示的に断る答弁は、実際に質問への応答度が低いということがわかる。
そのうえで、分布の両端から実物を一組ずつ取り出してみる。まず、よく噛み合っている側。
Q 委員(2024年2月・衆議院予算委員会第六分科会)
「是非とも、特定技能の分野といたしまして魚市場の業務を加えていただく、あるいは、既存の特定技能として認められている漁業の中に弾力的に運用できるような、そういったことを検討をしていただきたい……もう一度お考えをお伺いしたいと思いますけれども、いかがでしょうか。」
A 水産庁長官
「既に、魚市場におけます業務の一部については、現行の特定技能制度の漁業区分あるいは飲食料品製造業分野における関連業務ということで、付随的に従事することは可能ということでございますので、こういったものの活用も現場では検討をお願いいたしたい……」
噛み合い度 0.97/0.98(e5/Ruri)
問われたこと(特定技能制度の運用)に、制度の現状をそのまま重ねて答えている。意味の距離はほぼ最小になる。次に、遠い側。
Q 委員(2025年6月・衆議院予算委員会)
「六月三日の産経新聞のネット記事によりますと、自民党の森山幹事長、公明党の西田幹事長は、三日、東京都内で会談し、物価高に対応する追加経済対策をめぐり、二〇二四年度の税収増加分などを財源として国民への還元策を検討することで合意した……と報じられています。総理、これは事実でしょうか。」
A 内閣総理大臣
「そういうような報道があることは承知をいたしております。新聞のネット記事の報道に一々論評はいたしません。そういうこともあったかもしれませんし、なかったのかもしれません。それは本当ですかと言われると、済みません、確認をしておりませんという答弁に相なります。」
噛み合い度 0.86/0.76(e5/Ruri)
問いは「事実でしょうか」の一点である。答えは、 「報道があった」ことを知っているというもので、全く噛み合っていない。そして、続けて「あったかもしれないし、なかったのかもしれない、確認していない」である。話題になっているのは、総理自身が総裁を務める党の幹事長が合意したと報じられた経済対策なのだが。
この噛み合わない答弁は、「差し控えます」とは一言も言っていない。しかし、何一つ答えていないのだから、情報量がゼロという点で価値は同じである。
この種の答弁が、明示的な断り文句を使わないまま、図8の分布の左端に集まってくる。介護報酬引下げの影響を「事実として受け止めるべきでは」と問われて「物理の実験ではございませんので」と応じた答弁も、政治資金をめぐって「真実を語るよう呼びかけてほしい」と迫られて「政倫審のルールは本人の意向を尊重することになっています」と応じた答弁も、ここら辺に含まれる。
誰が誰に答えないのか
では、ヒストグラムの左の裾にいるのは誰なのか。そして、彼らは誰の質問に答えないのか。会議録は公開情報であり、答弁者の名前も役職も、一つ残らず記録されている。集計して、名指しで見てみたい。

図のドット(オレンジ系とネイビー系はモデルの違い)が右に行くほど、噛み合った答弁をしている(質問に対する「噛み合い」度合いが高い)。
まず全体的な構造から。図9(a)のとおり、政府側の答弁に明確な行動パターンがある。与党議員の質問への答弁は、野党議員の質問への答弁より一貫して噛み合っている。この結果について、統計的な意味での効果は小さくない。与党質問への答弁と野党質問への答弁を無作為に一組ずつ取り出すと、およそ4回に3回は与党側のほうが噛み合っている(優越確率76%/69%、二つのモデルの順。検定はいずれもp<0.001)。
首相答弁の比較と高市政権という「異常」事態
上記の2年のデータには、岸田文雄・石破茂・高市早苗という三人の総理が含まれる。総理どうしを比べて、誰がいちばん答えない総理かを名指ししたくなるが、私はあえてそのランキングをやらない。やらない理由を述べる。
第一に、噛み合い度は追及の内容に強く依存することがわかった。質問の側を埋め込みで12の話題群に分けると(下の図10)、最も噛み合わないのは裏金・政治資金系の2群で、災害や農業などの政策系の質問群より明確に低い。しかも、この序列は二つのモデルで見事に一致する。スキャンダル追及は、誰が答えても噛み合いにくい。野党質問に占める裏金・政治資金系の割合は、岸田59%、石破27%、高市14%。この状態で三人の中央値を並べても、出てくるのは総理の比較ではなく、政権当時に追及された話題の比較でしかないということになる。実際、裏金系の質問を除いて比べ直すと、総理間の差は両モデルでほぼ消えることがわかった。

第二に、高市政権の異常性がある。答弁ペアは650組(野党質問への答弁に限っても526組)あり、統計計算そのものは問題なくできる。その意味では「比較可能」である。だが、問題は数ではない。高市総理については国会審議への出席の少なさそのものが野党から批判されており、どの審議に立つかが選ばれているのだとすれば、記録に残った答弁は「出席した審議」という選ばれた標本であり、統計の価値が毀損される。勝てる相手の試合にしか出ないボクサーと、全試合に全力で臨むボクサーの勝率比較を考えるのと同じ無意味さがあるということである。
実際に就任日から同じ282日間で5政権を揃え、国会会議録APIで集計すると、高市総理は国会に出なくなったのではないことがわかる。開かれた予算委員会のうち答弁に立った割合は58%で歴代の帯(53〜67%)の中にあり、義務性の高い予算案の質疑にはむしろ石破氏より多く出ている(20回対16回)。出席が絞られているのは、テーマを決めて首相個人を追及する集中審議だけである。石破16回・約88時間に対し高市は5回・約22時間(会議録公開分。東京新聞の報道「高市約30時間、石破90時間6分」と整合する)。追及機会の総量が2割減にとどまる一方で、追及の場として最も鋭い形式だけが3分の1になる。この削り方の偏りこそ、出席が選択的であることの直接の証拠である。
そして、ここは強調しておきたいところだが、今直面している問題はデータ不足の問題ではない。このコラムの道具立ては常識的な前提の上に立っている。権力は、問われればその場に出てきて、少なくとも何かを語るという前提である。語られた言葉があってはじめて、問いとの距離が測れる。断る答弁は記録に残る。はぐらかす答弁も記録に残る。しかし、そもそも選択的に国会に現れないというやり方の前では、測るべき質問と答弁のペアが生成されない。噛み合い度が観測されないのである。
「答えない技術」の80年が、断る(明示的な拒否)から、はぐらかす(暗黙的な回避)へと洗練されてきたのだとすれば、その先には「現れない」(発話ゼロ)という第三段階があり得るのである。高市政権への出席批判は、それを示唆している。これは計量政治言語学が全く想定していないモデルであり、逆に計量政治言語学が権力チェック上の新しい問題として議論の俎上にあげるべき課題である。
先ほどの答弁者別の図9の(b)に戻ろう(以下に再掲)。大臣別のランキングである。最も噛み合わないのは小泉龍司法務大臣、次いで上川陽子外務大臣、林芳正官房長官と続く。そしてこの三人は、明示的な「差し控え」率でも突出している(11〜15%。多くの大臣は0〜3%である)。暗黙の回避と明示的な拒否が、同じ3者に集中しているということである。上位3人と下位3人の噛み合い度の差は、効果量でも中程度から大きい(優越確率74%/68%)。

ただし、これは3人の個人の問題でもなさそうである。ランキングを眺めると、下位は法務・外務・官房長官、上位は農水・国交・防災と、役所ごとに固まっている。しかも同じ役職の後任どうし(たとえば防衛大臣の木原稔と中谷元)は、ほぼ同じ値になる。つまりこの表が測っているのは、個人の「誠実さ」というよりもその役割がどれだけ「答えられない質問」を受け止める役割かである。答弁の噛み合わなさは、個人の属性というより、内閣の構造を反映するということか。
野党からの質問の軽視
冒頭の与党質問と野党質問の差は、12の話題群すべての内部で、二つのモデルの両方で正のままだった。誰が総理でも、どの話題でも、政府は野党の質問に対して、より噛み合わない答弁をする。個人差も役職も統制し、話題も統制し、それでも残ったこの差は、もう構造としか呼びようがない。国会答弁が「国民の代表への説明」であるなら、その説明は、どの代表かによって答え方を変えていることになる。これで「説明責任を果たしている」とはとてもいえない。
八十年の答弁史
ここまでは直近2年の話である。総理どうしの単純な比較は、先ほど述べた理由でやっても意味がなさそうだとわかった。だが、比べ方を変えれば、歴代の総理を同じ土俵に載せる道はある。会議録は、1947年からあるわけだし。
ただし、80年前の答弁と今の答弁の噛み合い度を直接比べることはできない。ことばづかいそのものが変わっているから、埋め込みの数値は時代とともにずれてしまう。そこで「物差し」を変える。どういうことかというと、各総理の答弁を、同じ会議に居合わせた他の政府答弁者(閣僚や政府委員)の答弁と比べるのである。同じ日の同じ委員会の中での比較だから、時代のことばづかいも議題も条件が揃う。測るのは「その総理は、自分の閣僚たちと比べて、噛み合っていたか」である。この比べ方は、先ほど問題にした出席の偏りにも比較的強い。どの審議に出るかは選べても、出た会議の中で同僚と並べられることまでは選べないからである。
歴代36の在任期それぞれから予算委員会を最大12会議ずつ等間隔に抽出し、総理答弁と同僚答弁あわせて約2万8千組を測った。

歴代総理の多くは0の近くに収まる。つまり、総理は会議で最も政治的な質問を受ける役だから、全体がやや左寄りになるのは想定内である。その中で、両モデルが一致して有意にはみ出す総理がいる。
左に最も遠いのは菅義偉である(δ=−0.28/−0.19)。測定できた歴代総理の中で、自分の閣僚たちとの差が最も大きい。「ご指摘は当たらない」に代表されるあの答弁スタイルのイメージと符合するが、在任がコロナ禍と重なった時期効果の可能性もある。石破茂も大きく左にいる(−0.19/−0.26)。古い側では、55年体制成立前後の鳩山一郎と芦田均も左に出る。右側では、岸信介(+0.17/+0.12)と第一次政権の安倍晋三(+0.15/+0.14)が並ぶ。祖父と孫が、共に「同時代の閣僚より噛み合う側」の最上位に来るというのは、この分析でいちばん予想外だった。なお第二次安倍政権は+0.07/+0.02とほぼ中立で、同じ人物でも時期によって違う。
ここで、上で述べた社会言語学者の東照二氏の質的研究の凄さがわかる。東氏は、菅政権の記者会見を精読した論考(「菅政権と政治言語力」『立命館食科学研究』7号、2022年)で、緊急事態宣言の延長を問われた菅総理の「仮定のことについては、私からは答えは控えさせていただきたい」という答弁を取り上げ、質問と答えを突き合わせて「全く質問に答えているとは言えない」と、その答弁の「噛み合わなさ」を指摘する。ぶら下がり会見の是非を問われて「それは、皆さんが考えることじゃないですか」と返した場面も記録されている。人間の読解が一つひとつの会見から見抜いたものと、機械が2万8千組の答弁から測り出したものが、独立に同じ人物を指したのは実に興味深い。
ところで、この80年のデータを使えば、答弁者が官房長官なのか法務大臣なのか、といった役割が答弁の「噛み合わなさ」にどんな影響を与え、かつそのパターンがどう変遷してきたかについても捉えることができる。役職ごとに、同時代の他の答弁者との相対噛み合い度を測ったのが次の図である。

まず全体の構図を見てみる(図12(a))。左側(80年の通期の考察)を見ると、上から順に、役職に応じて「噛み合う」度合いが上がっていくのがわかる。つまり、80年間の歴史で、上にいる役職ほど答弁が噛み合わず、下にいる役職ほど噛み合うということである。図の右側はヒートマップになっている。横軸に時代の区分を示していて、4区間ある。区間ごとに縦に見ると、役職ごとの、その時代における噛み合い度が、その時代における他の役職と比べたときの相対的数値として比較できる。縦軸(役職)を1つに固定して、横に見ていけば、時代区分を経て噛み合い度が他の役職に比べどうなっていったかがわかる。
噛み合わない側の上位は官房長官・法務・総理、噛み合う側は国交・厚労・経産・文科といった政策官庁。図9において直近2年で見た「役職の序列」は、この80年スケールでもおおむね保たれている。法務は1947〜69年の時点ですでに低く、ほぼ最初からそういう役職だったということである。
ただし、時代の推移(図の(b))を見ると、ある動きがあることがわかった。第一に、官房長官の答弁は、時代とともに噛み合わなくなっている(−0.05→−0.17→−0.29)。もう一方のモデルでも同じ単調な悪化である。政府の説明責任を体現するはずの役職が、「説明しない」技術の最前線であり続け、いまも悪い方向に記録を更新し続けている。まあ、ここは皆さんのイメージにピッタリ合うのではないだろうか。政権全体の火消し役としての官房長官は、この数十年、一貫して、答弁しつつも情報を出さないという技術を磨き続けてきたのである。第二に、防衛大臣は逆に冷戦期には最も噛み合わない役職のひとつだったが(1947〜89年で−0.21、−0.17)、1990年代以降はほぼ中立になっている。「答えられない役所」は、答えられる役所に変わりうるということである。権力チェックの観点からは、防衛大臣の答弁の「噛み合い」度が悪化する局面が今後あったとき、それは危険な兆候があるということである。
繰り返すが、ここで示したことは実証データによる積み上げ式の推論であって、それは同じ実証データの別の分析法や、別の実証データの追加によって反証もありうる。科学というのはそのようなものである。直近2年で見たとおり、噛み合い度は追及の内容に強く依存する。同じ会議の中での比較は議題を揃えるが、その会議の中で総理にどんな種類の質問が振られたかまでは揃えていない。菅義偉の左端はコロナ追及が集中した時期の産物かもしれないし、石破茂のそれは少数与党国会という環境の産物かもしれない。なぜこの形になったのかに関する解釈は、言語学の専門知では太刀打ちできない。政治学と現代史の専門知が必要になる。計量政治言語学は学際的であらねばならない。
すでに述べたMorrier & Alvarez (2026) は、カナダ下院の質疑応答(Question Period)58,343ペアについて、このコラムと類似した方法、つまり文埋め込み(Sentence-BERT)のコサイン類似度で「答えの質」を測り、質問との意味的つながりの弱い答えを回避の指標として分析している。彼らの主要な発見の一つは、政府与党議員の質問への答えが野党議員の質問への答えより意味的に近いこと、まさに本コラムの与野党差と同じ現象である。「答弁が質問者の側を見る」のは、日本の国会の悪癖というより、議会制が広く抱える構造である可能性が高まったと言える。
おわりに
このコラムでは、国会議事録という素晴らしい言語資源を使って、機械の力を借りながら権力チェックに利用するという計量政治言語学の手法について、試論を示してきた。
「お答えを差し控え」の2010年代半ばの急増をどう説明するか。官房長官の答弁はなぜ悪化し続けるのか。政府はなぜ、誰が聞くかで答えの品質を変えるのか。そして、答弁の質を落とすのではなく、語ることそのものから撤退していく政治を、どう測り、どう追及するか。ここから先は、政治学、行政学と、そして報道の仕事である。言語学者(しかも、日本語すら扱わないフィールド言語学者)の私が用意できたことは、上の考察とその根拠群(1947年からの全時系列、理由の目録、全答弁者のスコア表、誰でも同じ計算をやり直せる手順、などなど)である。
補遺:データと方法について
本文の分析はすべて国会会議録検索システムのAPIから取得したデータに基づく。
差し控えコーパス:「お答えを差し控え」「お答えは差し控え」「答弁を差し控え」等を含む全発言(1947〜2026年、本文コーパスは8,071件)。頻度はすべて総発言数で規格化した。
質問—答弁ペア:衆参予算委員会(2024〜2025年、分科会・公聴会を含む全154会議、うちペア成立125会議)から機械的に構築した11,574ペア。役職付き発言を答弁、その直前の委員の発言を質問とし、委員長の議事進行は除外した。
与野党の区分:質問者の会派名により、自由民主党系・公明党系を与党とした。なお2025年10月の連立組み替え(公明党の連立離脱・日本維新の会の参加)はデータ期間の末尾約2か月に掛かるが、この期間の与党判定を自民系・維新系に置き換えて再計算しても、本文の与野党差はほぼ動かない(δ=+0.51/+0.37 → +0.49/+0.36)。
答弁者別の集計:答弁60件以上の者に限る。全答弁者のスコア表(答弁数・両モデルの中央値・差し控え率)は別途公開する予定。
歴代総理の分析:36在任期それぞれから予算委員会を最大12会議ずつ等間隔に抽出し、総理答弁と同会議の他の政府答弁の約2万8千ペアで構成した。
役職別の長期分析:各年代から予算委員会を32会議ずつ等間隔に抽出した12,633ペア。役職名は時代をまたいで統合した(大蔵=財務など)。
出席の集計:安倍(第2次)以降の5政権を就任日から同じ282日間で揃え、会議録に総理の発言が残る会議を出席とした。集中審議は委員長の開会宣告(「これより……集中審議を行います」)の文言で識別した。
統計的比較:Mann–WhitneyのU検定と効果量(Cliffのδ)による。本文の「優越確率」はδから換算した値である。ペアは同一会議・同一質問者の中で相関しており独立ではないため、p値は目安とし、効果量を主な根拠とする。
追及内容(話題)の統制:質問文を埋め込みで12の話題群にクラスタ化し、話題群の内部での層別比較によって行った。
埋め込みモデル:intfloat/multilingual-e5-small と cl-nagoya/ruri-v3-70m(いずれもHugging Faceで公開)。数値の細部は語形の範囲の取り方やモデルに依存するため、本文では複数の方法・モデルで方向が一致した結果のみを述べた。
異方性の追試:読者の指摘を受け、埋め込みを中心化およびZCA白色化してから全ペアと理由型別散らばりを両モデルで再計算した。類似度の帯は大きく広がる(見かけの圧縮は実在)が、与野党差(白色化後δ≈+0.36/+0.36)、差し控え答弁の方向、実例の位置は保存。ペア単位の順位相関は0.75〜0.78で、個別ペアのスコアは単体で解釈しない。理由型別散らばりは序列のみ保存され型間差は縮む。
断りの型の採用基準と往復:機械の群分け(kmeans)は型の候補生成にのみ使用し、採用は「人間が理由を言語化できる+語パターンに操作化できる+二モデルの双方で同じ群に集中(無作為時の期待値の2倍以上)」の三条件による。往復は三周実施(型の追加→型の追加→無作為40件の目視監査に基づく同義語・表記揺れの吸収)し、説明できない残余は62.2%→59.6%→50.9%→35.7%。最終会計は目録64.3%・無理由6.5%(機械判定と目視推定が収束)・目録外の長い尾29.2%。分母を「理由を添えた断り」に限れば目録の説明率は68.8%(分母の定義変更はこの通り明示する)。
追記:公開後の検証
公開後、読者から方法の急所を突く指摘を二件いただいた。いずれも、検証を増やして答えるべき問いだった。追試の記録をここに追記する。確認できるよう、本文は当初のまま残してある。
追記1:類似度の「狭い帯」は見かけの圧縮ではないか(異方性)。「意味」を測る機械の節では、「測定器の癖」を系統の異なる二つのモデルの突き合わせで防ぐ、と述べた。だが読者の指摘のとおり、この種の測定器(文埋め込みモデル)には、系統を問わず共有されている癖が知られている。異方性(コーン効果)である。これは、ベクトルが空間全体に広がらず狭い円錐の中に固まるため、本来バラバラなはずの文どうしの類似度まで、高く狭い帯に押し込まれる性質である。本文の類似度が0.87〜0.97という狭い帯に収まるのはこの「見かけの圧縮」を含んでおり、両方のモデルが共有する癖である以上、二台の一致では防げていない可能性がないか、とのご指摘であった。そのとおりである。実は、補正(白色化、whitening)を当初行わなかったのは、白色化が中立な補正ではなく、「すべてが国会答弁である」という本物の共有信号まで除去してしまうためであった。また、同じ節で「数値そのものに意味はなく、意味があるのは順序である」とも書いた。この方針は圧縮への実務的な備えでもあったのだが、(指摘を受けて)よく考えれば、それで安全と言えるのは数値の単調な(順位を保つ)変換までである。白色化は空間そのものを組み替える変換であって単調変換ではないから、順序が入れ替わる可能性は排除できない。つまり、実測で答えるしかない。そこで全11,574ペアを、変換なし・中心化あり・白色化あり、の三通り×二つのモデルで測り直した。結果、圧縮は確かに実在した(e5の類似度の5〜95%帯は0.88〜0.95から0.00〜0.48へ広がる)。しかし本文の比較の主張は保持されることもまたわかった。与野党差(図9(a))は最も保守的な補正の下でも両モデルがδ≈+0.36(優越確率68%)に収束し、「差し控え」答弁が質問から遠い側に寄る方向(図8)も、引用した実例の位置(最上位/左裾)も、すべての測り方で保存された。一方、ペア単位の順位は完全には保存されない(補正前後の順位相関0.75〜0.78)。だから個々のペアのスコアを単体で意味づけることはせず、集団の比較とスクリーニングにのみ使う。基準は「補正後の値が真」ではなく、観測法を変えてもロバストな主張だけを述べる、である。
追記2:散らばり(図6)への観測法依存性。上の白色化を図6の散らばり分析にも掛けた。司法型<個別事案型<断り全体という序列そのものは両モデルで保たれるが、whitening後は司法型と個別事案型の差がかなり縮む。つまり司法型の「狭さ」の際立ちは、測り方に一部依存する。どの測り方でも変わらないのは、個別事案型が常に断り全体に最も近い(=最も万能に近い)ことである。主張はそこまでに絞る。
追記3:断りの型の線引き・過分割対策・目録はどこまで豊かになるか。ベクトル埋め込みの利点の節で述べた「機械で発見し、数え上げで公開する」往復について、三つの問いをいただいた。型として認める線引きはどう決めたか。連続的に変化するものを機械が細かく割った塊に名前を付けて、実在しないサブクラスを「発見」してしまう危険(過分割)への対策はあるか。目録を育てた結果、説明できない残余はいくつまで減ったか、である。私はデータサイエンスの専門家ではなく、非力なところもあるが、以下、なるべく正確に答えたい。
まず線引き。クラスタをそのまま型として採用することはせず、群分けは候補の生成にだけ使う。目録に入れる条件は、①人間が代表例を読んで共通の「理由」を言語化できること、②それを誰でも検証できる語パターンに操作化できること(例えば手の内型なら「手の内・手のうち・情報収集・露呈のいずれかを文脈に含む」という文字列規則。規則は全件に一律に機械適用され、規則を変えたら全体を数え直す)、③そのパターンに当たる発言が二つのモデルの双方で同じ群に集中していること、の三つである。採用した手の内型の集中度は51%/56%(e5/Ruri)、営業秘密型は62%/69%。逆に候補だった「仮定の質問」型は20%/30%で、独立の群を作れないと判断して棄却した。なお、クラスタ分割そのもののモデル間一致を測ると調整ランド指数0.25と低い。機械が引く群の境界線は、モデルを替えるだけで大きく動くということを意味する。もしクラスタをそのまま「型」として発表していたら、結論がモデルの癖に依存していたことになる。「機械の切った塊をそのまま結論に使ってはならない」ことの定量的な裏づけである。そして、過分割についても、この設計が防波堤になる。機械が一つの型を細かく割りすぎても、代表例から言語化できる理由が一つなら一つの型に統合されるし、言語化できない塊は候補のまま捨てられる。型の単位を最終決定するのは人間の言語化と語パターンであって、クラスタの個数ではない。過分割のコストは「人間が読む候補が無駄に増える」ことにとどまり、実在しないサブクラスが数え上げの結論に流れ込む経路が、構造的に存在しないのである。もっとも、型の単位を人間が最終決定するというこの仕組みは、恣意性が完全に消えたことを意味しない。どこまでを一つの型とみなすか、どの手がかり語を採るかは、依然として分析者の判断である。この設計が変えるのは恣意性の量ではなく在り処である。判断は残るが、規則として明文化・固定・公開され、第三者が一行単位で点検し、反論できる形になる。分類から判断を消すことはできない。できるのは、判断を隠さないことにあると考える。
次に、往復を実際に三周回した結果。出発点では、説明できない残余は約5,000件で全体の62%あった。一周目は「発見型」を加えても60%にしか減らない。新しい型は実在するが、どれも小さいのである(悲しいかな)。そこで二周目は残余だけを群分けし直し、「事柄の性質上」型、「支障を来すおそれ」型、交渉・協議への影響型、守秘義務型、所管外型の五つを加えて51%まで減らした。三周目は機械ではなく、残余から無作為に40件を抜いて人間が読み直すことから始めた(この作業に関して、Claude Codeの力を借りた)。すると残余の約4割は既存の型の言い換えだったと判明した。例えば、「係属中」は登録してあったのに「係争中」が漏れているとか、「手の内」は拾えるのに、ひらがなの「手のうち」が漏れている、「個別の事案」はあるのに「個別の事柄」「個々の」が漏れているなど。機械で言葉を数える仕事は、こういう地味な表記の揺れに足を掬われるのである。ここでAIの力を借りれば良かったと後で気づく(つまり、最初から表記揺れを塞ぐことができたかもしれなかった)。表記の揺れを吸収して数え直すと、残余は36%まで下がった。
最終的な結果は:目録(上の試行錯誤で同定された「型」のリスト)で説明できるのは全体の64.3%。理由をまったく添えない断りが6.5%——理由の言い回しの機械判定と、無作為抽出の目視推定が、どちらも「残余の約2割」で一致した。残りの29.2%は、一つひとつは小さな、そして無数の理由のあれこれである。無理由の断りは理由の目録では原理的に捕まらないが、これは分類の失敗として脇に置くのではなく、「理由を示さない」という独立の型として目録の一行に立てる。説明責任を問う観点では、理由すら添えない断りこそ、最も注目すべき断りだからである。
