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あの時、助けてって言えて良かった ❷

20年前、ほんの出来心で伯母に話した悩みが、巡り巡って、5年前の祖母の遺産相続に思わぬ影響を及ぼすことになった。当時、私は相続とは無縁だと思っていた。
伯母はすでに他界している。12年前に亡くなった。⇨前回の記事の続きである。


7年前、94歳で母方の祖母が亡くなった。これにより、両親の祖父母は全員他界したことになる。

祖母の死後、遺産相続が始まった。私は当事者ではなかったものの、母からその大変な話を聞かされていた。


遺産相続

相続の実権を握っていたのは、母の兄である伯父だった。
しかし、「遺留分」と呼ばれる財産は伯父の意向だけでは決められない。
この遺留分を巡って、伯父は弁護士を立てて相続権を持つ親族たちと、2年以上にわたる交渉を続けることになった。
相続権を持つのは、以下の直系血族だ。

• 祖母の息子である伯父
• 祖母の娘である母
• すでに他界している伯母の息子たち(私の従兄弟)祖母にとっては孫2人

母は旧家の末娘で、わりと裕福に育ってきたと思う。
けれども、私は裕福に育ってきたわけではない!→声を大にして言いたい!😡💢

脱線するので、この辺の話はまたにするが、
お金があるのに出してもらえなかった。←(ココがポイント)成長過程において、私が希望することにお金を出してくれなかった。マジで恨んでる
👹

話が逸れたので、本題に戻す。

祖母の葬式は、愛情に満ちた素敵な時間だった。皆、純粋に悲しんで最後の別れを告げた。子ども、孫、ひ孫たちに囲まれて旅立った。弟を除いては。
しかし、一周忌を迎える頃から相続問題が浮上し、親族の中に不穏な空気が漂い始めた。
その後、度々開かれる親族会議で、理不尽な要求をする伯父に対し、従兄弟たちは毅然と立ち向かっていた。
だが、母は違った。「兄さん(伯父のこと)嫌われたくない」という理由で、戦線離脱をしようとしていた。その一方で、甥っ子である従兄弟たちにも嫌われたくない。どこまでも外面を気にする母だった。
最終的に、父が後押しをした。当事者でもないのに、お金が絡むと驚くほどのパワーを発揮し、母を説得。ついには弁護士まで手配した。その結果、母は弁護士費用を全額支払った。その理由は「甥っ子に嫌われたくない、感謝されたい」という単純なものだった。
その母の行動が、私にはどうしても理解できない。


母がバカすぎる


何も全額負担することないのだ。従兄弟たちも恐縮していた。例えば、母が叔母という立場と、経済力から費用の3分の2を払ったとする。そうしたら、残りは3分の1、それを従兄弟たちで分担したら6分の1になるのだ。
そのほうが感謝され、関係も良好に保てるはず。すべてを負担してしまえば、ただの便利な人で終わってしまう。
なぜそんなにも”良い人"でいたいのだ。
私に対しては、いつもからかい、馬鹿にし、ぞんざいな態度をとるのに、他人には過剰なほど気を使い、親切に振る舞う。
最低な人間ほど、一番身近にいる人間を大切にできないのだと、痛感する。

母は、働いてもいないのにお金に恵まれていると思う。祖父の遺産で困ることはないのかもしれない。それ故、お金に対する考え方が雑に感じる。本当は、もっと感謝して、大事に使ってほしいのだ。



3回忌で知った、20年前の真実


祖母の3回忌は、コロナ禍で直系血族のみの、大人だけの集まりだった。相続問題も、弁護士のおかげで良い方向に決着したようだ。

その帰り道、従兄弟の車で送ってもらったときのことだ。
何かの話の流れで母が突然「私は老後、さきこに面倒見てもらうから」得意げに言い放った。その瞬間、車内が静まり返ったのだ。もちろん私も何も言わない。そして私は悟った。
20年前に、私が悩みを打ち明けた伯母は、その話を母にはしていなかったのだと。同時に、自身の息子たちには話していたのだ、と。
私はここぞとばかりに「親で苦労してます」と、みんなの前で沈黙を破ってバシッと言い放った。

そんなことが車内であった後、法事の帰り、お斎(おとき)で寿司屋に立ち寄った。いつもよりおとなしい母。しかし、私が少しでも隙を見せると、みんなの前で「マスクがずれている」とからかい始めた。
私は、わざと大げさに「やめてよ!」と言ってみせる。決して仲が良いわけではないのだと、周りに示すために。

すると、無邪気で茶目っ気を装う母のペースは乱れ、徐々におとなしくなっていった。

その後、なんとも後味の悪い雰囲気のまま解散した。
こういう場合は、たいてい帰宅してすぐに電話がかかってきて文句を言われるのだが、その時に限って電話はなかった。
法事は2月末ごろだったが、その後も連絡はなく、5月の母の日を過ぎても音沙汰はなかった。


毎年恒例の母の日をすっぽかす

私は、その年の” 母の日 ”をすっぽかした。
特に催促もなく、母からの連絡が来ることもないまま5月も終わりに近づいた頃、実に法事以来3ヶ月ぶりにメールが届いた。


さきこちゃんに、遺産の半分を贈与したいと思います

それは、私にとってまさに” 青天の霹靂 ”だった。


恥ずかしながら、私は母に金銭面で援助されていた。もちろん頼んだわけでなない。母が「疾患を抱えていて可哀想だから、子どもが小さいうちは働けないでしょう?」と言って2ヶ月に一度、お小遣い程度の金額をもらっていた。子どもが小さい頃は、ありがたいとさえ思っていた。しかし、それは母による ” お金の囲い込み ” だと気づいた。


いつまで経っても母から逃れられない。自立できない私。今回の遺産の話は、私をさらに縛る新たな鎖のようでもあった。

「羨ましい」と思われる方もいるかも知れない。
けれども、先述したように、私は成長期に両親から自分の望むことで気持ちよく金銭を支払ってもらったことがない。これは、毒親育ちの皆さんにならお分かりいただけるだろう。


そこで、慰謝料だと思うことにした。


めんどくさい‼️もう、無視だ‼️(爆)


結局、これが、一番良かった。

「生前贈与」は、ありがたくいただいた。 だって、向こうが下さると言うのだから。

お礼を伝え、新居に一度だけ招待した。以前の家は、夫と私でローンを返済していたマンションだ。コロナ禍で時価が上がったタイミングで売却したのが正解だった。

新居は、母の家と同じ自治体にしてしまった。
単純にいい家が見つかったのと、あまり遠くに行くことに罪悪感があったから。そして、弟が心配だったから。

引っ越してからは、怒涛のように押し寄せる母からのプレゼントや手紙、電話やメール、そのすべてをスルーしてみた。勝手にさせる。反応しない。これは私を引き留める為の罠だ。

最初は罪悪感がすごかった。「こんなにしてもらっているのに、ひどいことをしている」と自分を責めた。でも、無視を続けているうちに、だんだん心と体が楽になり、自信がついてくる。少しずつ、確実に、まるで魔法が解けるように、自分を取り戻せることができた。
正直、時間はかかった。とにかく、相手のアクションに応えてはいけない。
そして、自分を守るために堂々とした態度で毅然としていることだ。

親族はみな優秀で、母以外の誰もが、この関係のおかしさに薄々気づいていた。

母の日も、父の日も、毒親の誕生日も、もう4年はしていない。 母にも4年間会っていない。
この間、ユニクロですれ違ったが、スルーした。

やっと、やっと、抜け出せたのだ。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


精神科医・城戸高志先生のマガジンに入れて下さいました。同じように悩んでいる方々の参考になったら幸いです。

マガジンにも纏めてあります。ご覧になってみてください。

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