【コンサート感想】ブラッド・メルドー・トリオが描いた、心の冒険譚

公演概要
Brad Mehldau × Christian McBride × Marcus Gilmore
Trio Japan Tour 2025
• 日時:2025年5月13日(火)19:00 開演
• 会場:サンケイホールブリーゼ(大阪)
• 出演 Brad Mehldau(ピアノ)
Christian McBride(ベース)
Marcus Gilmore(ドラム)
はじめに:静かに始まり、深く染み渡る夜
平日の夜、大阪駅西から、サンケイホールブリーゼへ。
この日は、ブラッド・メルドー・トリオの来日公演。
2年前のソロ公演も素晴らしかったけれど、
今回はベースのクリスチャン・マクブライド、
ドラムのマーカス・ギルモアを迎えての三人編成。
バルコニーの2階席、こじんまりとしたホールでステージがとても近かった。
会場に入った瞬間から、どこか非日常の空気に包まれていた。静かなざわめき、少し緊張したような期待感。

早く登場しないかな
3名がいよいよ登場。
日本公演も最終日であるが、疲れの色も見えずリラックスしているように見えた。
セットリスト

コール・ポーターの曲から演奏が始まった。相変わらずの叙情的なハーモニーを耳にして喜びが湧いた。メルドーだなあ。ここのところ、いろいろあって、
がんばってきた心身の緊張がほろほろとほぐれてくる。
以下、書ききれないほどの感想の中から、いくつか。
「Hesitation」—静謐の中の嵐、嵐の中の静謐
メルドーのオリジナル曲「Hesitation」
曲名のとおり、“ためらい”のような間が随所にあり、その一瞬の沈黙が逆に音を際立たせていた。
まるで歌詞のない詩を聞いているよう。音だけで語られる物語。
中でも印象的だったのは、メルドーが一瞬「息を止めた」ような間。
その刹那、空間が緊張し、会場全体が音に耳を澄ませる。
静けさの中に蠢くエネルギー。そこに私が感じた言葉は:
「静謐の中の嵐、嵐の中の静謐、ビジョンクエスト」
ギルモアのベースが重層的な深みを与え、マクブライドのドラムは柔らかいタッチでも明晰な存在感を放っていた。
三人が織りなす音は、まるでひとつの冒険譚。
それぞれの楽器が「語り手」となり、聴き手はその物語を心で追っていく。
「Miyako」—優しさに包まれた、四季の風景
ウェイン・ショーター作曲「Miyako」は、弓弾きのベースが静かに語りかけるような美しさ。ピアノは水面をなぞるように、そっと伴走し、ドラムは気配のようにそっと寄り添う。日本の四季のように、儚くも確かな優しさがあった。
「Days of Dilbert Delaney」—ぽろぽろとこぼれ、まとまってゆく音
この曲では、Dilbert Delaneyという架空の男性の物語がメルドーの中にあり、
それを私たちが聴かされているような感覚だった。
ぽろぽろとこぼれるような繊細な音たちが、散らばり、そしてまたゆっくりとまとまっていく。
その様子が、まるで心の中の感情が整理されていく過程のようにも思えた。
「Young and Foolish」—若き日の自分に宛てた手紙
円熟味のある演奏だった。「若く、愚かだった頃」というタイトルが示すように、かつての自分を静かに振り返るようなセレクト。
演奏の終わり方がどこか甘酸っぱく、拠り所のない不安を漂わせていて、それがとても心に残った。
ふと、メルドーの2002年のアルバム『LARGO』のジャケットを思い出す。
背中を向けた写真に、正面の顔が重ねられた違和感のある構図。彼の視線の先にある何かに、当時の不安や挑戦がにじみ出ていた。
この夜の演奏は、それとは対照的に、今のメルドーが地に足をつけ、自分の過去を静かに受け入れているように感じられた。

プリペアドピアノを使ったり、ピアノをパーカッション的に使ったり
かなり挑戦的なアルバムだった
アンコール:「Golden Lady」—今この場でしか生まれない温もり
2年前のソロ公演でも披露されていた「Golden Lady」
スティーヴィー・ワンダーの名曲への愛着が伝わるセレクト。
だが今回は、トリオでの演奏。
ソロよりもさらに豊かに、そして自由に発展していく「Golden Lady」は、まさにこの夜、この3人だからこそ生まれた音だった。
お互いの空気感、臨場感。
インプロビゼーションの喜び。
楽器の照り、指の動き、他のオーディエンスの息遣いさえ、音楽の一部だった。
終演後に残ったもの
コンサートが終わっても、心に残り続ける音がある。
黒くて小さなステージで紡がれた音たちは、
これからの日々の中で、ふと立ち返ることのできる「心の中の風景」になった。
吟遊詩人のような三人の奏者が、確かにそこにいた夜。
その記憶を、ここに残しておきたいと思う。

会場を後にする聴き手たち
