32.坐禅の功徳-坐禅を始めた動機(若手弁護士の場合)

O:Bさんが坐禅を始めた動機は何だったのですか?

B:私の就職した法律事務所の弁護士に、ある日突然、今年のゴールデンウイークは何か予定があるか、ないのなら一生役に立つものを教えてあげよう、と言われて3泊4日の摂心会(接心会とも書く、朝から晩まで、食事と排泄、睡眠以外は坐禅のみ行う集中坐禅会のこと)に連れて行かれたからですよ。

O:それから3年間続けているのですか?
B:はい、縁あって始めたのですから、とにかく「石の上にも3年」と言いますので、3年は続けてみようと思っていました。

1年後、「禅の世界は、まだ、私にはわからないであるが、生老病死の問題に解答を与えることができる坐禅は素晴らしい。
すでに1年が過ぎたので3年経つのは早い。3年でやめてしまうのは勿体ない。そこで、現在は、坐禅を10年間継続しようと、当初の予定を変更してしまった。」と日記に書いていました。

何事も続けなければ結果が出ないということは、野球と同じことですから、今少し続けてみようと思っています。

G:スティーブ・ジョブスも坐禅に興味を持って研究したのですよね。
B:そう言われています。

O:Bさんは坐禅をやって何か良いことがありましたか?
B:皆さん、そういう風に聞くのですよ、最初は足が痛いだけで何も良いことなんかありませんよ。

O:良いことがなければつづかないのではありませんか?
B:Oさんは何か良いことがなければ何もしないのですか?

O:アッハッハ、そうだった。人生は理屈ではなかったね。
B:私は、老師から坐禅に出会えた幸せを次のように教わりました。
  
お釈迦様は右手でひとつかみの砂を取り、左手の親指の爪の上に零しながら、『アナン、よく聞け、生きとし生けるものは足元の砂のように沢山あるが、人間として生まれてきたのはこの左手の爪の上に残った砂のようにわずかだ。』

お釈迦様は右手で、また、ひとつかみ砂を握り左手の爪の上に零しながら、『アナン、よく聞け、人間として生まれた者はこの足元の砂のように数多くあるが、坐禅に出会える人は、左手の爪の上の砂のように数少ない。

お釈迦様の話にあるように、筆者が指導を受けた老師方は、皆このように、坐禅に巡り合うことがいかに難しく尊いことかを我々に、教えられた。

『人身得ること難し、仏法値ふこと希なり・・・』と正法現蔵にもある。
人生、たかだか100年弱だ。坐禅という、汲んでも汲みつくせない泉に出会った以上、こんな楽しいことはないではないか。」と。

G:坐禅というのは、そんなに魅力的なのですか?

B:私の参加した摂心会に熱心に参加するKさんという方がいました。われわれ新人達は、尋ねたものです。

「Kさん、そんなに休みのたびに、会社を休み、家庭を留守にしていて、奥さんは怒りませんかね……」。Kさん曰く、
「私が坐禅をしに来て、一番喜んでいるのは女房と部下ですよ……私は短気なものだから、毎日毎日、怒るまいと怒る前に3回は我慢をし、一日に3回は女房や部下を怒っていたね。

それが坐禅をするようになってから、気が付くと全く怒らなくなった自分を発見したんですよ。坐禅の効能あらかただね……」。

Gさんも、始めてから1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後、1年後というように自分の変わり具合を振り返ってみるとよいでしょう。私も自分の変わるのが少しわかりました。

O:坐禅は理屈ではないのですね、Bさん!「理屈を言ってないで、坐ってみろ、そうすれば分かる」、と言いたいのですね。

B:いいえ、滅相もない。そんなこと言ったら生意気だ、と言われかねません。でも、体験しなければ分からないことってありますよね。
                         (つづく)

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