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【R】something like that. -1

目立たないように、嫌われないように、細心の注意を払って生きてきた。
そのはずだった。
でも私の半分はきっと、バファリンの“やさしさじゃない方”でできているのだろう。
気づかぬうちに、苦みを撒き散らしているんだ。
残りの半分?そんなもん、効能も副作用もやさしさも何もない。ただの、からっぽ。

塗装の剥げた木のベンチに腰を下ろす。
スマホにつないだイヤホンから、英会話のリスニング音声が流れてくる。
〈What did you do?〉
女の声が問いかける。
何があった?
――私の失敗は、どこから始まった?


ロッカーの鍵を返せと言われたのは、去年の暮だった。
総務の男が「きみたちは更衣室を使っていないようだから、別部署の女性に譲ってほしい」と頭を下げに来たのだ。
実際、私たちは誰もロッカーを使っていなかった。
そのことに不便を感じてもいなかった。
先月まで勤めていた化成品メーカーは、だだっ広い敷地内にそびえ立つ幾つかの工場とそれを取り囲むように点在する建屋から成る。
私たちの部署から更衣室がある建屋まではやたら遠かった。

けれど同じ部署の女たち――私が心の中で“群れ”と呼んでいた一団――は、すぐに声を荒らげた。
「はあ?」
「後から来たやつに、なんで私らがロッカー譲らなきゃなんないの」
「能無しの〇〇に高い給料払うくらいなら、その金でロッカー買えっての」

ねえそう思うよね、共犯を迫るような視線に
「でも私ら、更衣室なんて一度も使ったことないしね」
と、思ったまんまを返してしまった。

すっと、世界が引いた。
私だけが取り残されたみたいに。
――ああ、またやってしまった。

あれが最初の綻びだったのだろうか。
いや、女子トイレ増設事件が先だったかもしれない。
あるいは、OneDriveどこにもない事件か、コピー用紙真っ白すぎ事件だったか。
どれが最初だったのか、もはや曖昧だ。けれどどれもくだらなくて、そして致命的だった。

私は、群れから完全に弾き飛ばされた。


「オー・リアリィ?」
イヤホンの中で女がすっとんきょうな声を上げた。
すぐに男の声が応じる。
男女の会話の中には、聞き覚えのある単語が時折まぎれ込む。
けれど彼らが何を話しているのか、私にはさっぱり理解できない。
こんなものに何十万円も費やすなんて。あほちゃうか。
思わず溜息が漏れた。

アプリを閉じ、時間を確認する。
16:27。
着信履歴からイトチンの名を選んで発信する。
数度のコール音のあと、留守電に切り替わった。当然だ。
彼がいるはずの職場を、私は勝手に思い描く。
キーボードの打鍵音、女子社員の他愛ないお喋り、ひっきりなしに鳴る外線とFAX、エアコンの稼働音。
まだ一度も見たことのない喧騒が、頭の中に広がっていった。

ほぼ毎日、公園で時間を潰している。
とりたてて特技も資格も経験もない36歳にとって、再就職は厳しいものだった。
けれど母はなぜか楽しそうだった。クロスワードでも解くみたいに求人誌を広げ、パソコンの求人サイトとにらめっこしては「これいいんじゃない?」「ここ受けなさいよ」と押し付けてきた。
そのたびに私は「そこ契約だし」「休日数が少ない」「経験者優遇じゃん」と理由をつけ、のらりくらりとかわした。

ある日、母は堰を切ったように喚き散らした。
あんたはそんなふうだから駄目なんだ。贅沢言える立場か。できない理由ばかり並べてないで、人事担当者に掛け合うくらいの気概はないのか。両親がいつまでも生きていると思うな。甘えるな。働く気がないなら今すぐこの家を出ていけ――。

実際に家を追い出されはしなかった。
けれど、昼過ぎにはパートから帰ってくる母と顔を突き合わせる時間が息苦しくて、毎日、逃げるようにハローワークへ向かった。

求人票の紙面に整然と並ぶ雇用条件。
日商簿記2級。宅地建物取引士。TOEIC600点以上。
どれも私には縁のない文字列ばかりだった。
得られるのは、仕事ではなく、私が社会のどこにも必要とされていないのだという確信だけ。

――あいつらのせいだ。

不意に思う。
あいつらのせいで、私の人生めちゃくちゃだ。
あいつらさえいなければ、今頃は、きっと。

自嘲の笑いが漏れる。

私の思考はすぐにあいつらへと引き戻される。
徹底的に打ちのめされた今日みたいな日は、特に。
決まってあいつらがひょっこり姿を現すのだ。

湿った風が頭上の常緑樹を揺らす。
私はスマホをバッグにしまい、立ち上がった。
彼女らはこれからも、剥がれないかさぶたみたいに疼き続けるんだろう。
いやになるくらい。



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