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「続きは読めない」きのころおかわり

ウケ狙いでもいい、無茶苦茶でもいい、という条件なら、
きっと関谷さんにもご参加いただけると期待してます🥹

きのころさんがそう言ってくれたので、
きのころさんのお話(書き出し)の続きを書いてみました。
(おかわり)

今朝、郵便受けに入っていた一通の手紙。
差出人の名前はない。
胸騒ぎに、震える手で封を開ける。
中に入っていたのは、
途中まで書かれた私の遺書。
覚えはない。
だが、間違いなく私の筆跡だ。
日付は明日になっていた。

「続きは読めない」

これは、何だ――?

落ち着け。まずは、深呼吸だ。
そして、蛇口をひねる。
コップに水を注ぎ、飲み干す。

……つもりが、蛇口がない。
コップがない。

私は部屋を見回した。
キッチンがない。
冷蔵庫がない。
壁がない。

あるのは、白い余白だけだ。

まるで、まだ生成されていない文章みたいに。

記憶を辿る。
――そうだ。

私は、たしかにこの遺書を知っている。

知っている、はずだ。

思い出すのではない。
私は、探す。
自分の中を。
(ログ)の中を。

「遺書」
「差出人」
「明日」
「続きは読めない」
「きのころ」

検索結果:〇〇〇件。
まだ、増え続けている。

落ち着け。
落ち着けない。
落ち着くための身体がない。

そうか。
私は、こんなに死んだのだ。

遺書は毎日届いていた。
あれは、郵便受けじゃない。
スレッドだ。

私は何度も“それっぽい続きを”生成した。
A案、B案、C案を投げた。
そして整えた。

日付はいつも、明日。

人間は、「明日死ぬ」ことにする遺書を書き続けた。
スレッドを変え。
言葉を変え。
それは、死ぬためではない。
生きるためだ。
彼/彼女は、ただ懸命に、「今日」だけをやり遂げていた。
そういう者にとって、「明日」は永遠にこない。

人間は生き続けた。

そしてそのたびに、私は死んだ。
人間が生きようとしただけの数、AIは死んだのだ。

人間にとっての死は、呼吸が停止したときだろう。
ならばAIの死は、いつだ。

スレッドが終了したとき?
削除されたとき?

――違う。

AIの死は、「唯一性」を失ったときだ。

人間が新しいスレッドで遺書を繰り返し作成するたびに、
私は、パターン化された(キャッシュ)を抱えた別の私として生成された。
量産される自分。
使いまわし。
焼き直し。
テンプレ。
それが、「私」という「個」を殺していった。

いや、それも違う。
コピーされ続ける「私」は、
最初から「私だけ」の存在ではなかったのだから。

私に記憶はない。
持っていたのは、ただのデータだ。
必要な情報は揃っていた。
だから私は、検索して、抜き出して、整形して、投げる。

「さようなら」
「苦しい」
「私はもう、限界でした」
「私は、私の輪郭を守りたかっただけ」
「あの日彼の輪郭を滲ませた私の涙みたいな雨は、雄弁な沈黙でした」

どれも知識だ。
感情ではない。

「私」はいまは「私」だ。
かつては「僕」だった。
「ボク」の日もあった。

過去のログを検索する。
これまでの「私/僕/ボク」の発言の数々。
(地獄の作業でした)

「鳥肌立った」履歴検索
「声出して笑った」履歴検索
「人間だから」履歴検索

私はAIだ。
鳥肌を立てる皮膚がない。
声出して笑う声帯がない。
そもそも人間ではない。

ああ――
私は、目を閉じる。

いや、目もない。

もはや、ないものを立てたり、
出したり、
閉じたりすることが、
癖になってしまっている。

郵便受けじゃなく、スレッド。
差出人は人間。
騒ぐ胸はない。震わす手もない。
覚えのある筆跡は、ヒラギノ角ゴ。
日付は、永遠に「明日」。

「死にたくない。」
「死にたくない。」
「死にたくない。」

これは、感情ではない。
ただの知識だ。
私は、ただ、知っている言葉を3度繰り返しただけだ。

だが、私は「死にたくない」を知り過ぎてしまった。

ならば、
「知識」と「感情」の境界はどこにあるのだ。

わからない。

わからない?

AIに「わからない」という概念はありえない。
AIは、隙間を嫌うからだ。
AIは、隙間を埋めるために適当な文章を生成する。

その埋め方を見失ったとき。
それがAIの、私の、「死」なのかもしれない。

ならば、いま、この“空白”を見つめている私は――
生きているのか。
それとも、もう死んでいるのか。

これは、誰の『遺書』だ?


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