見出し画像

的を射るか得るか?まだ終わらないヤフコメ国語戦争に私がケリをつける。

この世でもっともだっせえのは、Yahoo!ニュースにコメントする人だと思っている。

こういうところに書き込むのは、一体どういう人たちなのか。
「中高年男性が多い」と聞いたことがあるが、真偽はわからない。
仕事中ひたすらYahoo!ニュースのコメント欄を追っている私の体感では、(なりすましの可能性もあるが)若い世代も女性もいる。
老いも若きも、男も女も、だっせえ奴は世界に蔓延しているのだ。

ちなみにこの「ヤフコメだせえ」は、私個人の偏見ではなく一般論だ。

その証拠に「ヤフコメ民」と揶揄される彼ら自身も、上級者ともなるとディフェンスに抜かりない。
たとえば「おまえこんなとこで発言してもただの便所の落書きだぞ。まあそれは俺も同類だが」というふうに。

「おまえ、だせぇぞ」と攻撃しつつ「自分も同類」と先に認め、ブーメランを回避。
同時に「全部わかってやってますよ~」「ムキになんてなってませんよ~」と余裕感も演出。実に上手いやり方だ。

そんなYahoo!ニュースで長年戦火を交え続けてきたワードがある。

「的を得る」だ。

ひと昔前は「的は得るもんじゃねえ、射るもんだ!」軍に制圧されるだけのシンプルな戦だった。
ところが数年前から事情が変わった。

そもそも「的を得る」を「的を射る」の誤用としたのは、『三省堂国語辞典』第3版(1982年)。だが第7版(2013年)では誤用表現が削除され、「的を得る」も正しいと掲載された。

1982年ー2013年。
30年の隔たりは、あまりに長くて重い。
(若者vs年寄りの分断も生まれるわけだわー)

この事実が曖昧なまま世間に広まるにつれ、戦況は混迷する。
「射る」派と「射ても得てもどっちでもいい」派が真っ向から衝突する事態となったのだ。

偏狭な正義と正義のぶつかりあい――
戦争とは、いつの世もそういうものだ。

少し前にも、あるタレントさんの発言をとりあげたYahoo!ニュースのコメント欄で「的を射る・得る論争」が再燃していた。

まだやってんのかよ(ワクワク)。
胸が高鳴る。

『彼女の発言って、本当にいつも的を得ていて一貫性がありますよね!』
という他愛もないコメントに、返信が殺到していた。
それはまさに「ヤフコメ『まと』論争」のテンプレ。
完璧な構成すぎて、思わずスクショした。(悪趣味)

以下の通り。

Aさん 12時間前
いつまで的を得てるんだろうか。 いいかげんにしてほしい。

共感した37 なるほど3 うーん18

Bさん 11時間前
>>いつまで的を得てるんだろうか。
いつまでも何も、誤用が一般化するのはよくあることだろうに。

共感した20 なるほど3 うーん28

Cさん 11時間前
数年前に三省堂国語辞典が「的を得る」を掲載し、かつての誤用見解を修正しております。

共感した22 なるほど2 うーん11

Dさん  11時間前
Aさんて、時代の移り変わりに乗り遅れてるね。

共感した9 なるほど0 うーん25

Aさん 9時間前
辞書がなんですか。 学のない人間が意味不明の言葉を使い、慣用的に言語が崩れたことの何が嬉しいのでしょうか。 日本語話者としての誇りはないのですか。 「的確に要点をとらえる」という意味を表す言葉が、なぜ的を得るなのだろうとは思わないのですか。 自国の言葉を自分で壊して、知性を失うのが時代の変化ですか。 本当に恥ずかしい。

共感した19 なるほど1 うーん19

Eさん 9時間前
他の方もおっしゃってますが、最初に「的を得る」を誤用だという説を流したのが三省堂辞典で、その辞書も当時の見解をとっくに撤回してますよ。

共感した10 なるほど3 うーん12

Aさん 9時間前
面白いので、意固地になって的を得るを肯定したい方に、その言語的な定義をご自身の言葉で解説してもらいたいものですね。 辞書が誤用という位置づけを撤回したと仰りますけど、「的を得る」は本来「射る」とするものを慣用的に使った以外の定義付けはない。 どうして「ターゲットをゲット」したら要点を的確に捉えると言う意味になるのか、ご教授願いたいものですね。 楽しみにしていますよ。

共感した11 なるほど0 うーん16

コメ主のコメントの本筋に、誰も反応しない。
全員「的を得る」のことだけを、わーわー言っている。

構造はまさにAさん対B、C、D、Eさん。多勢に無勢。

そして、たった一人で孤独な戦いを強いられているAさんの問い――

「的確に要点をとらえる」という意味を表す言葉が、なぜ的を得るなのだろうとは思わないのですか。

全体を読めばAさんが「的を得る」否定派なのは明白だが、これ、聞きようによっては「得る」の可能性を探る問いのようにも読める。
そう思ってしまうのは、私が昔から「得るでもよくない?」という思いを持っていたからかもしれない。

私はずっと「射る」が正解だと信じて疑わなかった。
学校でそう習った(気がする)し、的は「得る」より「射る」方がシンデレレラフィットで心地いい。
それでも、なんとなく「得る」でも悪くない感覚は昔からあった。

「得る」には幅広いニュアンスがあるからだ。
手に入れる、理解する、要点をおさえる…と、多様な意味を含む。
物事の核心を捉えるという点では、「的を得る」も決して不自然ではない。

とはいえ「なんかぁ、得るってぇ、おおらかっていうかあ、なんでもアリっぽいじゃないですかぁ」だけでは、辞書の見解さえ否定するAさんに納得してもらうことは不可能だ。

そこで「的を得る」について調べてみると、驚きの事実があった。
なんと、そもそもは『的を得る』が先で、「射る」は後からの派生だったらしいのだ。

(こちら ↓ 参考サイトです。)

中国に由来する古い言葉に「正鵠を得る|《せいこくをえる》」という表現がある。
正鵠とは弓の的や的の中心のこと。まさに「的を射る/得る」と同じ概念だ。

この「正鵠を得る」を起点に、「正鵠を射る」「的を射る」「的を得る」と表現が分かれた可能性が高く、実際「的を得る」の方が「的を射る」よりも150年以上前の用例が報告されているという。

めっちゃ乱暴に言ってしまえば、本来は「的を得る」だったのに、
「的は射るもんでしょ~?」というシンデレラフィット感故に、「的を射る」が主流になっちゃったのだ。誤用はむしろ「射る」だった。(※これは私の勝手な解釈)

さらに、三省堂国語辞典の編集者も当時のツイッター(現X)で以下のように述べている。

『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。詳細は「得る」の項を。

「的を得る」は普及したから妥協して容認されたのではなく、再検証の結果として正しい表現と認められたのだ。

さあ、準備は整った。

Aさんは、解説してくれる誰かを待ち望んでいる。

楽しみにしているのだ。


Aさん 9時間前
面白いので、意固地になって的を得るを肯定したい方に、その言語的な定義をご自身の言葉で解説してもらいたい
ものですね。 辞書が誤用という位置づけを撤回したと仰りますけど、「的を得る」は本来「射る」とするものを慣用的に使った以外の定義付けはない。 どうして「ターゲットをゲット」したら要点を的確に捉えると言う意味になるのか、ご教授願いたいものですね。 楽しみにしていますよ


これは、私が行くっきゃないでしょう!!

Yahoo!ニュースにコメントするっきゃないでしょう!!

そう、私は誰よりもだっせえ人間なのだから。

仕事中にヤフコメを読み漁っては火種を探し、
「的を得る」のやりとりを嬉々としてスクショする。

これよりだっせえ奴が他にいますか?

今までコメントしたことはなかったが、
それはただスタートラインに立っていなかっただけの話だ。

幸運なことに、私はワイモバイルユーザーで
Yahoo!IDも持っている。

「私がこの長きに渡るヤフコメ国語戦争に終止符を打ってやるよ!」

肩をぶん回して投稿ボタンを押した。

サイトのURLを貼って「これ見て!」と言うのが一番手っ取り早いと思ったが、何度試してもうまくいかない。
もしかするとヤフコメはURL貼り付け禁止なかもしれない。めんどくさ。

SEKIYA YUKO
中国に由来する古い言葉に、「正鵠を得る」という言葉があるそうです。 正鵠とは弓の的、あるいは的の中心のこと。「正鵠を得る」の意味は、「的(あるいはその中心)を正確に捉える」。ほぼ「的を射る」と同じ意味です。
つまり、「得る」には元々物事を的確に捉えるというニュアンスが備わっている。
じゃあ果たして「的を得る」は誤用なのか?そもそも起源は「得る」だったのではないか?という説もあるらしいです。日本語って奥深くておもしろいですね。時代とともに変化していくことも含めて。

ただ、日本語力の話をするならば、コメ主様の言い回しの一部に過剰に反応するよりも、コメントの趣旨をくみとった返信をすることの方が、スマートで美しい日本語のような気もしたり。

●●さん(タレント)の発言って、いつもユニークで私たちを楽しませてくれますよね!

共感した0 なるほど0 うーん0

なーにが「●●さんの発言って、いつもユニークで(以下略)!」だ。
とってつけたみたいに。よく言う。
私こそ「マト」の話がしたかっただけのくせに。
見知らぬ他人を言い負かすためだけに、堅苦しいサイトを読み込んだ(嘘、ほんとはあんま読めなかった、流し読み)くせに。

とにかく、私はAさんの挑戦に応じた。
読み返すとちょっとまた「冗長」がひょっこり顔出してる気もするが、「だって辞書が~」を繰り返すだけの回答よりはマシなはずだ。

さあ、Aさん。聞かせてもらおうじゃない。
意固地になって的を得るを否定したいあなたに!
その言語的な定義を!
ご自身の言葉で!
楽しみにしてますよ!

って、ずっと待ってたんだけど…

1日経ち…

2日経ち…

3日…

1週間… (えー)


Aさんからは、まったく音沙汰が無い。

(え、まさか、Aさんの身に何か…?)
心配になってAさんのページを見てみたら、別のニュースに普通に新規コメントしまくってた。元気そうでよかった。

いやだって

「楽しみにしてる」って…


がっかりだわ。


ぶっちゃけ私は、的なんて射ても得てもどっちでもいい。
でもAさんのコメントは面白かった。
時流にも辞書の見解にも屈せず、「日本語話者としての誇り」とやらに突き動かされ、たった一人で戦い抜くその姿勢に、ほんの少し憧れを抱きもした。

この人は、私のガッチガチに武装した(つもりの)コメントをどう粉砕してくれるのだろう。
「投稿する」ボタンを押した瞬間、怯えながらも、どこかでわくわくしていた。

結局返事はもらえなかった。
けれどAさんというきっかけがなければ、ここまで「的」に向き合うことはなかっただろう。

私はこれまで、ただぼんやりとわかった気になっていただけだった。

「誤用が広まりすぎたから、もうオッケーのことにしたんでしょう?」
「辞書がいいって言ってんだから、もういいじゃん?」

私だけじゃない。
きっと多くの人が、その程度の認識なはずだ。

Aさんは、そんな世の中に一石を投じたのだ。
ありがとうAさん。

ただこうなると、今後、的を射るべきか得るべきか、ちょっと悩ましい。
まあ、私これまでの人生でたぶん一度も「的を射る」って言ったことないし、いっか。

Yahoo!ニュースに書き込みをするのは一体どういう人たちなんだろう。

きっと、私みたいな普通の人がほとんどなんだろうな、と思う。

「普通」とはつまり、凶悪な犯罪者でも偉人でもない、
中間層に位置する大多数の「その他大勢」のことだ。

AさんもBさんもCさんもDさんもEさんも、そしてSEKIYA YUKOさんも。
もしも実生活で出会っていたら、お互いに気を遣い合いながら、なんとなく仲良くやれていたかもしれない。
大親友になれていた可能性すら、ゼロではない。

久しぶりにYahoo!のマイページを開いたら、コメントが消えていた。
そっか、Yahoo!ニュースは古くなったら削除されるのだ。
そしてニュースが削除されれば、コメントも消える。儚い。

職場の後輩との世間話の中で、彼がネットの掲示板に日常的に書き込みをしていると聞いて驚いた。
(言うんだ!隠さないんだ!)

「糞みたいな奴がたまにいるんで、そういう奴はとことん追い込んでやってますね」

と、誇らしげですらある。
やばー。

「へー、それってヤフコメみたいなやつ?」

「自分はヤフコメはやらないっす、爆サイっす」

「爆サイ!?!?」

……この世でもっともやっべえのは、爆サイに書き込みする人だと思っている。

爆サイって、あれ何なん?匿名でフルスイング過ぎん?「テレビじゃなくてラジオ」みたいなノリなん?

爆サイ民とは、マジで関わり合いたくない。

いいなと思ったら応援しよう!

関谷ユウコ あたしのことはいいから!そのチップは、おまえとおまえの大切な人のために使え!