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貧乏父さん、FIREを目指すも迷走中⑫ ~副業と投資で七転び八起き~

第2部:投資信託編

第6話:山頂まで3.5合目の現在地(2025年12月)

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序章:前回までのあらすじ

2025年2月、父の負動産がぼくの動産になった。
迷いながらも、2月下旬に「ここが買い時…!」とeMAXIS Slim S&P500とeMAXIS Slim 8資産均等型を一括購入した。

3月、トランプ関税発言で相場はズルズルと下がる。

そして4月2日、ついに大暴落。
ぼくは市場から「逃げる」でも含み損に「耐える」でもなく、「カウンターパンチ」を狙う。
下落の小さかった8資産均等型を損切りして、大きく沈んでいた野村世界業種別シリーズ/半導体を買った。

株価の回復は案外早かった。
4月9日、相互関税の停止報道で市場が反発し、半導体は特に力強く戻る。
まさにビギナーズラック。
「動かない勇気」と「動かす判断」を同時に求められるのが投資だ、と実感した。

さてここからが第6話。
投資信託編の最終話になる。
2025年の株高を追い風にしつつ、ぼくはFIREという登山行の「いまの標高」を確かめにいく。


安心の形を組み替える(7月→8月)

7月、60歳満期の全期前納払いの貯蓄型保険を解約した。
それまでは、保険に入っていたことすら忘れていたけれど、野村半導体のラッキーパンチに気を良くしたぼくは、とにかく投資信託に全振りしようと、現金化できるものはどんどんお金に換えていった。
目的は、投資信託の資金、特に来年以降のNISA口座の資金をつくるため。

保険に入ったのは、今をさかのぼること15年。
まだ結婚もしていなかった(というか、そんな選択肢を考えることもあまりなかった)ぼくは、近くの郵便局のおばちゃんの言いなりに契約を結んだ。
「いつか来る老後に向けて、先に安心を買っておく」
そんな言葉に何の疑問も持たず、当時の貯金のほぼ全てにあたる300万円を「タイムカプセル」に放り込んだ。
当時のぼくには、お金も保険も人生設計も、ただそれだけのことでしかなかった。

でもFIREを意識してから、価値観の重心が少し動いた。
「老後の安心」だけじゃなく、「今の自由」も同じくらい欲しい。
すると、安心の形を組み替える必要が出てきた。
固定された予定表みたいな安心から、設計し直せる安心へ。

解約手続き自体は、思ったより簡単だった。
でも、だからこそ「いざというときの保険」がこんなに容易く「投資のための資金」に変わってしまっていいのだろうかと、若干のためらいがあった。

窓口に書類を提出する前に、1秒だけ手が止まる。
家族の顔が浮かんだ。
もしこの先ぼくに何かあったら…
解約の目的をもういちど言葉にして確かめる。

「FIRE資金を加速させるために。」
「安心を捨てるのではなく、安心のあり方を変えるために。」

ぼくは、受付の女性に書類を差し出した。

そして数週間後。
返戻金の280万円(途中解約のせいで目減りしている)は、通帳の中で、ただの数字として眠っていた。
これを来年のNISA枠復活まで寝かせるだけ、というのはもったいない。
たたき起こして働かせてやろう、とブラック企業の経営者ばりにがめついことを考えた。

FIREを思い立つ前と比べたら、今のぼくは…
人間、変われば変わるものである。

8月上旬、まだまだ上がりそうだった日経平均連動のインデックスファンドを特定口座で買うことにした。
相場の神様が「そんなにうまくいく日ばかりではないぞ」と耳元でささやいた気がしたが、ぼくは聞こえないふりをした。


神無月に増え、霜月に降りる。

10月、相場の空気が明るかった。
特に国内株が賑わった時期で、日経平均も順調に伸びた。

当然、ぼくの保有しているインデックスファンドも、評価額が増えた。
こういうとき、株式だけでなく自分の評価額も上がった気がしてしまう。

毎晩、投信アプリを開いては、ぼくはヒーローインタビューを受けるスター選手のような顔つきになった。
「勝因は何ですか?」
インタビュアーも放送席もないのに。
「投資の才能があったのかもしれないですね」
なんて。

いや、分かっている。
評価額が増えたのは、単に相場が上がっているからだ。
ぼくの人格まで上がったわけじゃない。

でも、多少は浮ついた気持ちになるのも無理はない。
だってこれまで「労働の対価」以外の収入を考えたこともなかったおじさんが、「金の卵を産むめんどり」を手に入れてしまったのだから。

さて、かように調子に乗っていたぼくだけれど、11月に入って別の現実が見えてきた。
翌年のNISA資金をどうするか問題の第2問だ。
せっかく上がった日経インデックスファンドが年末に大きく崩れたら、翌年のNISAの種銭が作れなくなる。
心配していたのは一時的な含み損ではなくて、選択肢の自由がなくなることだ。

ちょうど8~10月のアメリカのハイテク株に引っ張られた狂乱の株高傾向が一服した感があった。
動画でもニュース記事でも、「暴落の危機」を予想する声が高まってきていた。

ぼくの脳内で株主総会が始まった。
「まだ伸びるかもしれない」
「でも年末に崩れたら、NISA資金が足りない」
「どうせ寝かせていたら、280万のままだった」
「だいぶ増えたんだから、もうこれで満足としておこう」
「ここは伸ばすより守るほうを選ぶ」

そこで日経を全額売却して、翌年NISAへ回すと決めた。
特定口座で増えた分は課税されるが、NISAに移せば将来の課税を減らせる。これは「儲かったから売る」ではなく、「非課税の土俵を確保するための引っ越し」。

これこそが、保険を解約して得た「設計し直せる安心」だ。

ちなみに特定口座は、儲かると20.315%のお祝い金を国に納めるシステムでもある。
お祝いされてるのはぼくじゃなくて国。
何となく釈然としないけど、悪制も制度だ。


一一・一八、GPS事件。そして3.5合目。

そうこうするうちに11月も半ばを過ぎた。
18日、事件が起きる。
後に日本史の教科書に載るかもしれない、その事件とは…

脳内株主総会で出た結論、日経連動ファンドの全額売却。
利確しようとしたその当日に限って、日経平均インデックスファンドが4%近く下がったのだ。

相場の神様は、ぼくの「売却」ボタンにGPSでも付けていたのだろうか?

売る判断を固めた時点では、含み益は+18%くらいだった。
280万円の種が「お、芽が出てふくらんできたぞ」といったところか。
ところが大幅な下落のせいで含み益は+14%くらいまで縮んだ。
たかが数パー、されど数パー。

売り時ひとつ間違えただけで、10万円以上を取り損ねた…
その感覚は、おにぎりを口に入れようとした瞬間に具がポロポロとこぼれる、あの感じに近い。

しかも、目減りした利益からさらに20.315%の税金が引かれる。
「ひと口もらうね」
新総理が大きな口を開けて、ぼくの利益を脇から奪い取る。
人のおにぎりを勝手に食べるな、と文句を言いたくなった。

そして、踏んだり蹴ったりの目に遭ったぼくの肩を、
相場の神様が、とん、と小突く。

「ほれ見ぃ。うまくいく日ばかりではないじゃろ」

悔しいけれど、その通りだった。
どんなに考えたって、投資に絶対はない。
ましてぼくのような素人には。

「頭と尻尾はくれてやれ」

よく言われる投資格言の意味を痛感した。

でも、
もし君にひとつだけ強がりを言えるのなら、
ぼくは相場に勝ちに行ったんじゃない。
翌年のNISA資金を守りに行った。
安心の設計を崩さないために動いた。
だから、あの日の下落は悔しいけれど、判断の幹そのものは折れていない。
折れたのは含み益の枝葉だけだった。

そういうことにしておこう。

さて2025年12月。
ぼくはFIREの3.5合目にいる。
10月3日に第1部第1話を公開したときは「FIREの3合目」だった。
今はそこから少しだけ進んだ。
資産が積み上がったからというより、多くの経験を得たからだ。

不動産投資ではほぼ門前払いだった。
みんなで大家さんではぎりぎり致命傷を避けられた。
投資信託では世間の波に乗ったり転覆しかけたりした。

そんな中でぼくは以前より、
当たるまで数を打ってみることにした。
負け方がちょっと上手くなった。
自分で判断すれば後悔は少ないと学んだ。

3.5合目に到達したのは、資産じゃなく、ぼくの姿勢そのものだ。

…以上が、ぼくの約2年の道のりだ。
ここから先の地図はまだ手に入っていない。
ただ「55歳でのFIRE」という山頂だけはわかっている。
あと5年半で残り6.5合。
そんなに無理な目標ではない気もするし、もう体力の限界まで登ってきてしまった気もする。
果たしてどうなるか。

それはそうと。
12話まで書き進めてみて、つくづく思う。

noteを始めてよかった、と。

もしこんな風に言語化する機会がなければ、せっかくの経験を学びに変えることはできなかっただろう。
夢は実現することなく、うたかたのように消えていたかもしれない。

第3部は、2025年9月から12月までに試みたさまざまな挑戦と、その結果ぼくに起きたとんでもない変化について、あれこれ綴っていこうと思う。

(第2部:投資信託編 完)

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