台風の朝、消えゆく「グラデーション」を思う50代起業家。
今朝は薄曇り。
気温もかなり下がって、エアコンで温度管理をしている仕事部屋より、廊下に出たほうがひんやりと感じるほどです。
夕方からは台風の通り道となることが予想されているわが家。
今回の台風は、北から南に移動するという異例の動きをするそうですね。これも気候変動の一つなのでしょうか。
以前は「台風一過」という言葉があったように、台風が過ぎ去った後は青空が広がり、夏の日差しや澄み切った秋空が戻ってくる。
けれど最近は、台風が去った後も重い湿気がぐずぐずと居座っていたり、奇妙な寒気を連れてきたりと、「通り過ぎれば元に戻る」とはならないことが増えましたよね。
この先の週間天気予報を見ると、しばらく最高気温が30度に届かず、雨や曇りの予報。
このまま秋になってくれれば、それはそれで身体への負担は軽くなる。
それとも、また猛暑や酷暑が戻ってくるのか。
ここ近年のパターンを見ると、一時的な涼しさに身体が慣れたところに、晩夏の暑さが突然戻ってくることが多い印象です。
残暑といえば聞こえがよいのですが、そうした上品な響きでは誤魔化しきれないほどの、猛暑・酷暑であることがほとんど。
かつての「朝晩は涼しく、過ごしやすくなりましたね」という風情ある残暑ではなく、エアコンなしには命の危険を感じるレベルの熱気が、容赦なく巻き返してくるのが、悲しいかなここ数年の現実ですね。
お盆を過ぎると、強い日差しのなかにも、ふと秋の匂いや小さな景色を見つけたり、朝夕の涼やかな風に季節の足音を感じたりする。
そうした繊細な移り変わりが、暮らしの味わいだったように思います。
酷暑から一気に冷え込むような極端な変化に振り回されるたび、こんなことを考えます。
これは単に、私が好きな季節である秋や春が短くなってしまったことを憂いているだけではないのだと。
自然や季節が見せる「柔らかなグラデーション」というのは、人のカラダとココロに、調和するための時間を与えてくれる。
季節が緩やかに移り変わることで、心身共に少しずつ調子を整えながら、新しい季節へと無理なく、しなやかに馴染んでいくことができます。
こうした環境の「在り方」は、そこで生きる人々の思考や感情の「在り方」にも影響を及ぼすと、私は思うのです。
移ろいゆく境界線の曖昧さのある環境は、モノゴトを「白か黒か」「正解か不正解か」と極端に割り切らない、寛容さを育んでくれる。
曖昧なものを曖昧なまま受け取り、熟成させることができる余裕。
それこそが、他者や複雑なモノゴトに対して寛容でいられる強さではないかと。
外に見える景色は、心象風景と連動します。
外に見える景色がスイッチを切るように極端になれば、内なる心象風景もまた、余裕を失って二極化へと傾いてしまう。
景色と心は、いつも静かに響き合っているのだと感じます。
せめて、自分の心の中にある景色まで、白か黒かの二つに分けてしまわないように。
日々の小さな揺らぎや曖昧さを、見つけていきたいと思います。
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