ライター歴20年がnoteで意識している「文章の品」
快晴の空に誘われて、久々に電車に乗って、数駅先にある氏神さまを参拝。新たな決意表明(笑)をしてまいりました。
電車に乗るとついつい観察してしまうのが、車内広告。以前は「中づり広告」なんて文化がありましたけれど、最近はほとんど見かけませんね。車内美化的にはよいのですが、中づり広告ファンとしては寂しい限り。
それでも、壁に掲示されている車内広告は残っています。
そして本日は、「とてもよいな~」と感じる文章に出逢いました。

父の日を狙ったサントリーさんの角瓶の広告です。
うちには、
年代物の角がある。
父の日に娘から
もらった角瓶を、
夫は大事に
眠らせていた。
その年代物を、
今年、ついにあける。
私と夫と、娘とその夫で。
味わい深い
父の日になりそうです。
最初に読んだときは、結婚を控えた若いお嬢さんが、かつて父の日に贈った角瓶のお話かなと思いました。
でも、「年代物」と言っているから、20年ぐらいは経っているだろう。仮に35歳で結婚するとしてもプレゼントしたのは中高生の時になってしまう。
さすがに、中高生が父の日にウィスキーの角瓶を贈ることはない。少なくとも社会人になった頃の娘さんが贈った角瓶と考えるのが妥当。
そして、気になるのが「今年、ついにあける」というフレーズ。
もしかして、もしかすると、この娘さん、かなりの晩婚? 娘を嫁に出す父親の心境というのは複雑とよく言うし、ずっと眠らせていた角瓶のように、手元に娘を置いていたのでは?
そして、その娘さんがついに結婚をした。となると、その心境やいかに。かなり味わい深いものでしょうね・・・。うん、納得。
目的の駅につくまでの15分間。こんな想像を繰り広げていました(笑)
20年間、文章に携わる仕事をしてきて、自分なりに文章や言葉に対する「美学」のようなものがあります。
その一つが、すべてを説明せずに、受け手に委ねること。
「わからない」を「わからないまま」にしておける余裕。それも一つの「文章の品」というものではないかと。
伝えきらず、想像力に託す「強さ」や「遊び」も、読者への信頼の形だと思っています。
もちろん、たとえば取り扱い説明書のような文章では、相手の想像力に任せるようでは困ります。
けれど特に、こうして日々書いているようなnoteでは、「書ききらない」ということを意識しているかもしれません。
書ききろうとすると、どうしても「こうしたほうがいいですよ」「こう考えましょう」と結びたくなるもの。
そういった文章は、ともすると、途端に心のシャッターが下りてしまうことがあります。
受け取り方は、読み手に任せる。書き手としては、少し物足りないくらいのほうが、キャッボールできる空き地ができるように思っています。
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