【書籍】「路上」ジャック・ケルアック
私も社会人になって久しく、今は人を管理指導する側の立場になって「秩序やルールの重要性」を痛感する毎日を過ごしています。が、若かりし頃は「人に管理される」とか「ルールの押し付け」を非常に嫌っていた時代がありました。単細胞な私なので、ロックミュージシャンや書籍の影響が多々あって、それを全面的に受け入れて影響されまくっていたのだろうと思います。「Don't trust over thirty」なんてワードにも物凄く共感してたりね。でも、実際大人になってみると「大人もそれなりに倫理観を持って、人の役に立つ、喜ばれるために仕事している」を感じる瞬間はめっちゃありますし、若い頃には見えなかった景色が見えてくる。これはこれで悪くない。
とは言え、大人が若者に絶対適わないもんがあります。衝動の強さ、向こう見ずでいられる強さ。これはもう取り戻すことが出来ない。そんな若い頃の私の人格形成に影響しまくった書籍が今回紹介する「路上」です。私がこれを知ったのは確か佐野元春氏だったかなー、昔やたらとこの本を推しておられた記憶があります。
時代背景
さて、この書籍の著者のケルアックはビートニク文学の代表として語られることが多いです。日本の文学的なムーヴメントではないので、聞きなれない方が多い言葉だとは思います。ビートニクとは何だったのか?当時のアメリカは、どういう時代だったのか?
「路上」を語る上で欠かせないのが、1950年代アメリカの背景。第二次世界大戦後のアメリカは、空前の経済繁栄を享受していた時代でしたが、しかし一方では「マッカーシズム(赤狩り)」や「強固な中流階級の道徳観」という息苦しい同調圧力が蔓延していました。冷戦初期だから、レッド・パージは、まあ時代的にはわからなくもないです。現在の保守思想に通じる潮流がこの辺だったのかなぁ、と思います。この保守的な社会に「No」を突きつけた若者たちがビート・ジェネレーションです。彼らはジャズ、東洋哲学、ドラッグ、そして「移動すること」を通じて、真の自由を模索。ヒッピー文化よりもちょっと前ですね。ビートニクの言葉の生みの親がケルアックらしいのですが、アメリカの社会的同町圧力に対抗するためにソ連のスプートニクをもじったって聞いた事あります。これ、本当かなぁ。眉唾な気もします。
ケルアックを取り巻く「狂った」仲間たちがいまして、これがまあ、なかなかの濃いメンツ。ちなみに本作の登場人物は、すべて実在の人物がモデルだったりします。
【路上の登場人物と、モデルとなった人物】
サル・パラダイス(著者:ジャック・ケルアック)
ディーン・モリアーティ(ニール・キャサディ)
オールド・ブル・リー(ウィリアム・バロウズ)
カルロ・マルクス(アレン・ギンズバーグ)
バロウズについてはいずれ取り上げたいなぁ。「裸のランチ」はめちゃくちゃ強烈だったし。
物語
とは言っても、物語らしい物語がないんですよね。紀行文みたいなイメージ、散文詩の書きなぐりのような文体です。今は新訳版「オン・ザ・ロード」が出ているらしいのですが、そっちは未読なんで知らん。私の解説は旧訳版なんでご了承を。
物語は、作家志望の青年サルが、出所したばかりの野性味あふれる青年ディーンと出会うところから始まります。サルはディーンに触発され、西海岸へのヒッチハイクを決意。トラックの荷台に揺られ、泥臭い労働を経験しながらカリフォルニアを目指しますが、金も底をつき、バスで東部へ戻ります。
東部に戻ったある日、ディーンが盗んだ車でサルの元へ現れ、狂乱のドライブが始まります。ジャズクラブでの陶酔、場当たり的な恋愛、そして絶え間ない旅。目的地に着くことよりも「旅をしている状態」そのものに彼らは熱狂します。根無し草の生活は「自由」を具現化したようなものですね。
物語の終盤、彼らはアメリカを飛び出し、メキシコへ向かいます。そこにあるのは、アメリカの文明社会とは切り離された、本能と剥き出しの生活。しかし、サルがここで病に倒れたとき、ディーンは彼を置いて一人で去ってしまいます。
ニューヨークに戻ったサルは、再会したディーンが以前のような輝きを失い、社会の片隅でボロボロになっている姿を目にします。夕暮れの空を見つめながら、サルはディーンのこと、そしてかつて共に駆け抜けた旅の事を想うのです。
感想
日本は同調圧力が強い国だってのは割といろんな方が仰ってます。これは功罪両方の側面があると思ってて、社会の秩序を維持する上では「一定の同調圧力が、円滑な社会を形成するためにうまく機能している」といういい面もありますが、この書籍を読んだ当時の私(多分、19-20歳くらい)には逆に「自分の言いたい事を言えない重圧」と息苦しく感じていたりもしました。まあ、小市民の自分にはこういう破天荒な生き方が出来ないからこそ、逆にケルアックの「路上」は刺さりまくったんだと思います。本書で、主人公のサルはこんな事を言っていました。
「僕にとっての人間とは、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、救われたいと熱望し、すべてを同時に欲しがる、そんな狂った奴らだけなんだ」
ミスチルの歌詞にあったけど「所詮は僕らアニマルなんです」であって、文明を築いて、科学を発展させ、医療を高度にした人類も生物学的に言うと「ヒト科」の生き物。根源には本能があって、秩序の中で生きていても「自由」を渇望する側面はあると思います。自分でも「青い事言ってんなぁ」とは思うけど、おっさんになった今もこれは残ってるんですよ。ディーンは、客観的に見れば無責任な犯罪者でしかないです。当時の私の未熟な感性ですら、そこをに「美化するのは間違ってるのかもしれない」とは思っていましたが、これは「生物としての必然」みたいなもんを感じてたりもしました。野生の動物が狩りをして、他の生き物を食べる事に「善悪」ってないじゃないですか。生きていく上での、生物学的な「必然」で、こっちに近いイメージを抱いたんですよね。
この本は、文学というよりは「ヒトという生物の熱の記憶」そのものでした。で、大人になった今、これは「読み返してはいけない本」だと思ってます。今読むと多分イライラするんじゃないかなと思う。無軌道な、違法な、人の迷惑を顧みない主人公たち。これを読み返してしまうと、当時の自分のあの衝撃を否定してしまいそうな気がする。でも、あの時代に、あの頃の感性で感じた「自由への渇望、羨望」は否定したくないんですよね。だからこそ、キラキラした感情を抱かせた本だからこそ、二度と読まない。そんな本もあってもいいですよね。
ビートニクの余波
自由で享楽的な生活を送ってたビートニクも長くは続きませんでした。これはドラッグで体をボロボロにするから、とかルールがない生活の維持が難しいからって事と別の「続かない理由」があったのですね。
当時のアメリカで一世を風靡したビートニクですが、いろんな若者に影響を与え過ぎ「カウンター・カルチャーだったはずなのに、いつしかメジャー・カルチャーに変化」してしまいました。Xで「ロックは反体制」みたいな発言が出ると、違和感を感じるのはここなんですよね。ポジションで判断するのは、社会が変わると「主張がブレる」というか。で、ビート・ジェネレーションはカウンター的な側面を失ってしまい、衰退しました。
が、彼らは「既存の価値観の枠を押し広げた」という事実があって、ボブ・ディランは「路上」から多大な影響を受けたと言っておられます。The Beatlesの「Beat」はビートニクから取られたという説もあります。真偽は知らんw あと、David BowieやPatti Smithもケルアックのカットアップ手法を取り入れてたり、産業界だとAppleのジョブズはビートニクに傾倒した過去を語ってたりします。今でいう「ノマドワーカー」もここが源流だったりするんじゃない?
若者は読め。おっさんは読むな。(どういう締めくくりやねん)
