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気付いたら地獄から抜けていた

私に生きる力をくれたのは、
母ではなく、ヤマダお母さんだった。


「みのりさんやったら大丈夫や」


それは、
今まで聞いた事のない種類の言葉だった。

あの時ヤマダお母さんが、
なぜ私にあの言葉を私にかけてくれたのか。

どんな気持ちで言ったのかは、
正直わからない。


ただひとつ言えるのは、
ヤマダお母さんは、裏表のない人だった。

人の機嫌をとって、
思ってもないようなことを言う人ではなかった。


お母さんは、
本当に私のことを「大丈夫だ」と思っている。

電車の窓から見える景色は、
右から左へ流れていく。

過ぎていく景色を眺めながら
なせが、自然にそう思えた。

────

自宅に着いた。

玄関を開け、誰もいない暗い部屋に入る。


涙が頬を伝った。

それは、
今までのような涙ではなかった。

心が熱くなるような、温かくなるような涙だった。

「みのりさんやったら大丈夫や」

この言葉を思い出すたびに、涙が溢れた。

────

暗い部屋を出て、ベランダで空を見上げる。

黒い空。


私は、何もできない。

すぐにできるようにもならない。

でも。


なにか、したい。

空はスモッグで星は見えなかったけど、
昨日とは違う空に見えた。

────

私は、そのままドラッグストアへ行き、
今いちばん入りたい香りの入浴剤を買った。

そして、今いちばん聴きたい曲のCDを買った。

家に帰り、
ユニットバスだったけれど湯船を張る。

自分がいちばん心地いい温度にした。

森林の香りの入浴剤を入れ、
体を洗うついでにトイレも掃除した。

浴槽に入る。
CDはあらかじめ聴きたい曲にセットしておき、
リモコンで再生する。
自分の聴きたい音量で、聴きたい音楽を流す。

それからは、毎日1日3時間でも4時間でも、
気が済むまで続けた。

仕事が終わってから準備をしてお風呂に入り、
寝る頃にはとっくに深夜を過ぎていたけれど、気にならなかった。

とにかく、自分の好きなことをしたかった。
好きなことは、実はあまり多くなかった。

体を動かすことや買い物は
疲れてしまうのでできなかった。

できたのは、
長い時間お風呂に入って、ぼーっとすること。
音楽を大きめに流しながら、ただぼーっとすること。

深夜だったので音量には気をつけなければならなかったけれど、
それでも幸せな時間だった。
ユニットバスに湯気があふれ、視界が白くなる。
熱いお湯に浸かり、浴槽に顎をのせて、何も考えない。

その時間が、ただただ幸せだった。

そうして1か月、2か月、3か月と過ぎる頃、
私は少しずつ元気になっていた。
お風呂に入る前に、スクワットができるくらいには回復していた。

─────

ある日、ふとラーメンが食べたくなった。
一人暮らしを始めた頃によく食べていた、あのラーメンだ。
以前はあれほどハマっていたのに、なぜかずっと食べたいと思わなかった。

その週末、私は一人でラーメン屋に行った。
誰かを誘うのも、予定を合わせるのも面倒だった。
少し勇気は要ったけれど、席に座ってしまえば気にならなかった。
周りはおじさんばかりだったけれど、とにかくラーメンが食べたかった。

運ばれてきたラーメンに、いつも通りニラをたっぷり入れる。
一口食べて、思った。
「こんなに美味しかったっけ」

ハマっていた頃から、もう3年が経っていた。

ラーメンをしっかり食べたあと、
そのまま一人でカラオケに行った。

当時、一人カラオケはかなり珍しかったと思う。
受付では正直、かなり恥ずかしかった。
でも部屋に入ってしまえば関係なかった。

私は一人で、3時間歌い続けた。

近所にフリータイムが安いカラオケ屋があったので、
昼間はそこに通うようになった。
ただ大きな声で歌うだけで、心がワクワクした。

そして半年が経つ頃、私はすっかり元気になっていた。
「自分はダメだ」と思う癖や、ミスを引きずるところは残っていたけれど、
「つらい」という感覚は、もうなくなっていた。

─────

会社では、相変わらずモチノさんに色々言われていた。
でも、苦しくても「あぁ、はいはい」と流した。

そうしたら、いつか本当に「あぁ、はいはい」と流せる自分になれる気がした。
衝撃も、前ほどではなかった。

モチノさんのことは、相変わらず好きではなかったし、嫌だった。
でも、物事の“重さ”の度合いが、少し変わったような気がしていた。

こうして私は、
なぜ抜けられたのかははっきりわからないまま、
いつの間にか、この地獄を抜けていた。

──────────
🫧この形の私

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