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それだけで、今日はいい

朝。

昨日と同じ、晴れた日だった。

けれど、昨日の朝とは、
違っていた。

────

私は会社へ向かう前に、
玄関で一度だけ深呼吸をした。


昨日の私と比べて、
今日の私が何か特別に変わったわけじゃない。

仕事が急にできるようになったわけでもないし、
強くなったわけでもない。

それでも、
昨日のヤマダさんの言葉を信じたかった。

「私は強い。」

鏡の中の私に向かって唱える。

────

会社へ向かう道は、相変わらず重かった。

足は震えていたし、
胃のあたりが気持ち悪くて、
吐きそうだった。

怖かった。

正直、逃げたかった。

「負けない」
「負けない」

歩きながら、頭の中で繰り返す。

「私は、負けない」

前を、見る。
上を、向く。


立ち止まる。


目の前には、いつものビル。

そこを一瞬見上げたあと、
いつものエレベーターへ向かう。

怖い。
負けない。


こわい。


事務所の扉の前で、一瞬立ち止まる。


ここで下を向き、
うなだれてしまったら
たぶん楽になる。

でも、それは昨日までの私だ。

前を向け。

下を、見るな。

ドアノブを掴み、
事務所の扉を開けた瞬間。

モチノさんと鉢合わせた。


消え入りそうな声で挨拶をして
目も合わせず、
すり抜けるように通り過ぎていた昨日までの私。


でも、その日は違った。

こちらを冷たい目で睨むモチノさんの顔。



ヤマダさんの顔が浮かんだ。

ヤマダさんのお母さんの顔も浮かんだ。


ひとりじゃない。


私は、胸を張って前を向いた。

「モチノさん、おはようございます!」


自分でも驚くほど、ハキハキした声だった。

そのまま、前を向いて通り過ぎる。


心臓が、耳の横で鳴っているみたいだった。


手も、足も、指先も震えていた。
口の中が一気に冷たくなっていくのが分かった。


言えた。


モチノさんは何も言わず、
しばらくこちらを睨むように見ていた。

私は、振り返らなかった。

私はちゃんと挨拶をした。
それだけでいい。

それだけで、今日はいい。

────

その日から、
私は大きな声で返事をした。

できないなりに、仕事にも向き合った。

元気を出し、笑顔を作った。

心はまだ腐っていた。
でも、外からは普通に振る舞った。


相変わらず、仕事はできなかった。
失敗も多かったし、
格好悪いままだった。

でも、

「私は負けない」

それだけを信じて、
できることを一つずつ、懸命にやった。

それが、一週間続いた。

──────────
🫧この形の私

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