見出し画像

『Renaissance』文化論 ①なぜBeyoncéは“Renaissance”を作ったのか

1. はじめに

コロナ禍の数年間、多くの人が「身体」を失っていました。

人と会うこと。踊ること。叫ぶこと。汗をかくこと。

ただ外に出るだけでも、どこか緊張していた時代でした。

私たちは長いあいだ、「触れないこと」「距離を取ること」を求められていました。

そして気づかないうちに、身体そのものよりも、“正しく振る舞うこと”に意識を向け続けていたのかもしれません。

そんな空気の中で、2022年に登場したのが『ルネッサンス(Renaissance)』でした。

それは単なる“ダンスアルバム”ではありませんでした。

むしろ、「もう一度、自由に身体を動かしていい」と世界に語りかけるような作品でした。


2. 『ルネッサンス』とは何だったのか

『ルネッサンス(Renaissance)』は、2022年7月にリリースされたビヨンセ(Beyoncé)の7枚目のスタジオアルバムであり、3部作構想「Act I」にあたる作品です。

アルバムには、ハウス、ディスコ、ボールルーム・カルチャー(Ballroom culture)、90年代クラブミュージックなど、さまざまなダンスミュージックの要素が詰め込まれています。

先行シングル「ブレイク・マイ・ソウル(Break My Soul)」は大ヒットを記録し、「仕事を辞めて魂を解放しよう」というメッセージは、多くの人々の共感を呼びました。

しかし、このアルバムで本当に重要なのは、「踊れること」そのものではありません。

なぜビヨンセが、“クラブ”という空間をテーマにしたのか。

そこに、この作品の核心があります。


3. 「判断されない場所」を作ろうとしたアルバム

アルバム発表時、ビヨンセは『ルネッサンス』についてこう語っています。

「このアルバムを作ることで、怖い時期の世界の中で夢を見たり、逃避したりする場所を作ることができた。判断のない安全な場所、完璧主義や過度な考えから解放される場所。」

この言葉は、とても象徴的でした。

SNSの時代、私たちは常に“見られている”状態にあります。

正しい言葉を使わなければいけません。

ちゃんとしていなければいけません。

失敗してはいけません。

そんな緊張感の中で、多くの人が疲れ切っていました。

だからこそ『ルネッサンス』は、「完璧になれ」とは言いません。

むしろ、

「少しくらい崩れてもいい」「踊ってしまえ」「叫んでしまえ」

と語りかけてきます。

このアルバムにおけるクラブとは、単なる遊び場ではありません。

そこは、“判断されない場所”として描かれています。


4. なぜ“クラブ文化”だったのか

『ルネッサンス』が深く参照しているのは、ハウスミュージックやボールルーム・カルチャー(Ballroom culture)と呼ばれる文化です。

そしてそれらは、単なるパーティー文化ではありません。

1970〜90年代、黒人やラテン系、LGBTQ+コミュニティの人々は、社会の中で居場所を持てないことが多くありました。

だから彼らは、地下クラブに「安全な空間」を作りました。

そこでは、現実の社会で否定されてきた人々が、自分の名前を名乗り、自分の身体を誇り、自分らしく踊ることができました。

クラブは、“逃避”の場所であると同時に、“生き延びるための場所”でもありました。

『ルネッサンス』は、その歴史への深い敬意の上に作られています。

だからこの作品には、単なる懐古趣味ではない温度があります。


5. アンクル・ジョニーという存在

『ルネッサンス』を語る上で欠かせないのが、“アンクル・ジョニー(Uncle Johnny)”という存在です。

彼はビヨンセの母・ティナ・ノウルズ(Tina Knowles)の甥であり、ビヨンセにとっては幼少期から大きな影響を与えた存在でした。

ジョニーはゲイで、ハウスミュージックやファッションを愛していました。

そして1998年、AIDSの合併症によって亡くなっています。

アルバム収録曲「ヒーテッド(Heated)」には、こんな印象的な一節があります。

“Uncle Johnny made my dress”

「ジョニーおじさんが私のドレスを作ってくれた」

これは単なる思い出話ではありません。

『ルネッサンス』全体が、彼を通して触れたブラック・クィア文化へのラブレターとして機能しています。

つまりこのアルバムは、巨大なポップ作品でありながら、とても個人的な追悼でもあります。


6. 『ルネッサンス』は“身体を取り戻す”アルバムだった

『ルネッサンス』は、「完璧な自分になる」ためのアルバムではありません。

むしろ、疲れ切った身体を、もう一度“生きている感覚”へ戻していく作品でした。

踊ること。汗をかくこと。叫ぶこと。派手な服を着ること。

それらは単なる娯楽ではなく、「私はここにいる」と確認する行為だったのかもしれません。

ビヨンセは『ルネッサンス』で、世界に“解放”を提案しました。

そしてその解放は、ブラック・クィア文化への深い敬意の上に成り立っています。

だからこのアルバムは、ただの「ダンスアルバム」では終わりません。

そこには、身体、文化、喪失、そして生存の記憶が刻まれています。


次回予告

次回は、『ルネッサンス』がなぜ「ブラック・クィア文化へのラブレター」と呼ばれたのかを、ボールルーム・カルチャー、ハウスミュージック、ヴォーギング(voguing)の歴史から深掘りしていきます。

『ルネッサンス』文化論②
「ルネッサンスは“ブラック・クィア文化史”である」へ続きます。


※この記事にはアフィリエイトリンクを含みます。


ここから先は

0字

『Renaissance』を起点に、Beyoncéの作品を文化史・社会史の視点から読み解くシリーズです。 本シリーズでは、アルバム『Re…

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が参加している募集

ありがとうございます!