「ありがた迷惑」な私
リハビリの待ち時間。
いつもの場所に、カートを押して来られる方がいます。
カートの音って、わりと静かなはずなのに、
その方が来ると、空気が少しだけ引き締まる気がします。
動きはゆっくりなのに、迷いが少ない。
その方は、お手伝いされるのが苦手だそうです。
身の回りのことも、できる限り、全部自分で。
正直、見ているだけで「大変そうだな…」と思ってしまいます。
私はすぐ、手を出したくなるので。
でも、ある日、その方がぽつっと言いました。
「優しさに甘えちゃうと、だめなんですよ」
その言葉が、胸に残りました。
というより、刺さった、の方が近いかもしれません。
さらに、続けてこうも言われました。
「スタッフさんたちはね、私たちのお世話をするためにいるんじゃなくて、
リハビリに来てるみんなをフォローするためにいるんですからね」
私は、その瞬間、うつむきたくなりました。
私は毎回、助けてもらってばかりです。
スタッフさんにも。
通っている方にも。
「すみません」って言いながら、
気づけば当たり前みたいに手が伸びていることもあって。
恥ずかしい、という気持ちと、
情けない、という気持ちが、いっぺんに来ました。
どうして私は、こうなんだろう。
この人は、私より体が動かないように見えるのに。
私は、お節介の癖があるみたいで、
その方にも、つい手伝おうとしてしまったことがあります。
荷物を取ろうとしたり、椅子を引こうとしたり。
「危ないかも」と思うと、反射的に体が動いてしまう。
でも、最初の頃、はっきり言われました。
「自分でやりますので、大丈夫です」
やさしい口調だったのに、
その時の私は、胸のあたりがきゅっとして、
申し訳なさで一杯になりました。
最近は、少し距離感が分かってきて、
その方に対しては、手を出さなくなりました。
代わりに、
「見守る」っていうのを、やってみるようになりました。
…でも、見守るって、意外と難しいです。
じっと待つのは、私にはまだ落ち着かなくて。
それでも、
手を出してしまう前に、一回だけ息を吸ってみる。
その一回の間に、
「これは私の優しさじゃなくて、ただの自己満足かも」
って思うことがあります。
ありがた迷惑。
そう言葉にしてみると、痛い。
私は優しいふりをして、
“役に立ってる自分”を確かめたかっただけなのかもしれない。
そう思うと、猛省、って言葉しか出てきません。
でも、その方の姿を見ていると、
強さって、声を張らなくても伝わるんだなと思います。
誰かに頼らない、ということじゃなくて、
頼り方を、自分で選んでいる感じ。
私にはまだ、その感覚がうまく掴めません。
甘えてしまう自分も、すぐには変わらないと思います。
ただ、次に手が伸びそうになったら、
少しだけ、待ってみたい。
相手のペースを、相手との距離・・・
私の都合で崩さないように。
それができたら、ほんの少しだけ、
私の「優しさ」も、ちゃんとした形に近づくのかもしれないな…って。
そんなことを思いながら、
今日もあのカートの音を、静かに聞いています。
