海の京都 元伊勢神宮へ 籠神社編
先日の休みに、宮津にある「籠神社(このじんじゃ)」へ行った。

ここに来た理由は、伊勢谷武さんの「アマテラスの暗号」を読んだから。まあ「聖地めぐり」がしたかったからだ。
元伊勢とは
元伊勢(もといせ)とは、天照大神や豊受大神が現在の伊勢神宮(三重県)に祀られる前に鎮座していたと伝わる場所のこと。この籠神社と奥宮・真名井神社は、天照大神と豊受大神が一時的に祀られたという社伝を持ち、「元伊勢」として広く知られている。つまり「元伊勢」は籠神社と真名井神社だけではない。実際、この付近には「元伊勢」と呼ばれる神社がこの近くにもいろいろあった。
その後、天照大神は伊勢神宮内宮へ、豊受大神は外宮へ遷座したとされる。
このため籠神社は「内宮の元宮・外宮の元宮」とも呼ばれている。元伊勢は伊勢神宮のルーツを伝える存在として信仰され、丹後地方を代表する歴史と伝説の地となっている。
籠神社とは
「元伊勢根本宮」「内宮元宮」「籠守大権現」「籠宮大明神」とも称する。現在まで海部氏(あまべうじ)が宮司を世襲している。丹後国総社は不詳だが、当社が総社を兼ねたとする説がある。2017年4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された。近くには日本三景の一つである「天の橋立」がある。

主祭神・相殿神
幼稚な表現なので、言葉として適切ではないが、祀られている神様がすごい。
主祭神 彦火明命
丹後国一宮である籠神社の主祭神で、海人(あま)氏族や丹後地方の豪族の祖神として信仰されている神である。『古事記』では天孫邇邇藝命(ににぎのみこと)の兄にあたる天火明命(あめのほあかりのみこと)とされ、『日本書紀』では饒速日命(にぎはやひのみこと)と同一視されることが多い。饒速日命は天磐船に乗って天から河内国へ降臨し、大和を治めた神として知られる。そのため彦火明命は、天孫系の神であると同時に、大和の古い豪族とのつながりを持つ重要な神格と考えられている。
籠神社の伝承では、彦火明命は天照大神の系譜を受け継ぐ神であり、その子孫が丹後地方を治めた海部氏(あまべし)の祖先とされる。海部氏は古代から朝廷に仕えた有力氏族で、籠神社には国宝『海部氏系図』が伝わっている。この系図は現存する日本最古級の系図として有名で、海部氏が彦火明命の後裔であることを伝えている。
また、彦火明命の名にある「火明(ほあかり)」は、太陽の光や文明の光を象徴すると考えられ、航海や開拓、産業の守護神としても信仰されてきた。海に囲まれた丹後地方では、漁業や海上交通を見守る神として特に大切にされた。
籠神社では、天照大神や豊受大神が伊勢へ遷座した後、養老3年(719)に彦火明命を主祭神として祀るようになったと伝えられる。そのため彦火明命は、元伊勢伝承と海部氏の歴史を結びつける中心的な神であり、現在も丹後地方の信仰の核となる存在。
相殿神 豊受大神
日本神話に登場する食物と産業の神で、伊勢神宮外宮の祭神として広く信仰されている。五穀豊穣をはじめ、衣食住すべての恵みを司る神とされ、特に食事をつかさどる「御饌都神(みけつかみ)」として知られる。もともとは丹波国の比治真名井に鎮座していたが、雄略天皇の時代に天照大神の神託によって伊勢へ迎えられたという。以来、天照大神に食事を供える神として外宮に祀られるようになった。元伊勢伝承では、天橋立近くの籠神社や真名井神社とも深い関わりを持つ。天照大神が「日本の最高神」なら、豊受大神はその暮らしを支える「食と産業の守護神」といえる存在である。
相殿神 天照大神
日本神話における最高神であり、太陽を司る神として知られる。『古事記』や『日本書紀』では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻って禊をした際、その左目から生まれたとされる。高天原を統治し、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴を悲しんで天岩戸に隠れた神話は特に有名。
天照大神は皇室の祖神とされ、その孫の邇邇藝命が地上に降りた「天孫降臨」の神話は、日本の国づくりと皇統の正統性を示す重要な物語となっている。現在は三重県の伊勢神宮内宮に祀られ、日本全国から篤い信仰を集めている。神道において最も尊い神の一柱とされる存在である。
相殿神 海神
「海神」と書いて「わたつみのかみ」と読む。「綿津見神」「海津見神」とも書かれ、海そのものや海の恵み、航海の安全を守る神として古くから信仰されてきた。
『古事記』では、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻り、禊(みそぎ)を行った際に生まれた神の一柱とされる。また、海神の一族として、海底にある宮殿「綿津見の宮」を治める存在として描かれている。特に有名なのが、海神の娘である豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)と、山幸彦(やまさちひこ)の物語である。
丹後地方では、海神は特に重要な意味を持つ。籠神社を支えた海部氏(あまべし)は、古代から海上交通や航海に関わった一族であり、海の神への信仰を大切にしてきた。天橋立周辺が古代から海上交通の要衝であったことも、海神信仰が発展した理由の一つである。
海神は単なる「海の神」ではなく、豊かな漁業、交易、航海の安全、そして海を通じた人々の交流を守護する神として、日本の沿岸地域で広く崇敬されている。
相殿神 天水分神
日本神話に登場する水を司る神。「水分(みくまり)」とは、水を分配することを意味し、雨や川の流れを調整し、人々に必要な水をもたらす神として信仰されてきた。『古事記』や『日本書紀』では、水の神として「国津神(くにつかみ)」の一系統に位置づけられ、農業に欠かせない雨水や灌漑(かんがい)を守護する神とされる。古代の人々にとって、水は稲作や生活を支える最も重要な資源であり、天水分神への信仰は豊作祈願と深く結びついていた。また、天水分神は「天から降る水を分け与える神」という意味を持ち、山や水源地、農村の水を守る神として各地で祀られている。丹後地方のように山と海が近く、豊かな水資源に恵まれた地域では、水の恵みを象徴する神として大切にされてきた。水を制することが地域の発展につながった古代社会において、天水分神は人々の暮らしと農耕を支える重要な存在であった。
いろいろ記録して写真を撮りたかったが、大変神聖な場所なため、境内は撮影はできなかった。しかし、そんな中、一部紹介。



この後、眞名井神社へと向かう。

