大鬱社会人1年目。誰も悪くないのに、私だけが狂っていく。深夜書き溜め
1. 感情の死と、虚無のルーティン
朝起きて、息をして、電車に揺られ、適当に働いて、帰ってくる。
そこには強い悲しみもなければ、燃えるような怒りもない。あるのはただ、完全な「感情の死」だ。
新社会人1年目。外から見れば、私は毎日遅刻もせず社会のギアとして機能しているように見えるだろう。だが、内側はとっくに冷え切っている。食欲も、睡眠欲も、何かを欲しいと願う物欲すら消えた。食料を口に運ぶのは「生命活動を維持するための最低限の作業」に過ぎず、味などしない。
他人に興味がない。目の前で誰が笑っていようが泣いていようが、ガラス一枚隔てた向こう側の出来事のようにしか感じられない。脳の奥には常に鬱陶しいモヤが立ち込め、集中力は散漫なまま、ただ意識だけが自分の人生を映画館の客席から眺めている。人間としての本質など、どこかの街角に落として失くしてしまった。
2. 誰も悪くないという地獄
この苦しさの厄介なところは、責めるべき「悪者」がどこにも存在しない点だ。
会社が狂気的なブラック企業なわけでもない。先輩や上司が人格否定をしてくるわけでもない。むしろ、みんな優しい。誰も悪くない。誰のせいにもできない。
だからこそ、逃げ場が塞がれる。「周りはまともに社会を回している」「こんな恵まれた環境で適応できないのは、自分のバグだ」。そうやって他者と自分を無意識に比較し、消去法で刃を向け続けた結果、行き着く先は純度の高い「自己憎悪」だった。
鬱をどこまでも深く掘り起こしてみたら、そこにあったのは環境への不満ではなく、自分自身への吐き気だった。誰も傷つけたくない。誰かを悪者にして楽になりたくもない。そうやって勝手に誠実ぶった結果、自分を傷つけることでしかバランスを取れなくなっていた。
3. 救いのない暗闇のままで
世の中の「鬱から脱出した話」や「社会人1年目の乗り越え方」みたいな記事には、大抵最後に綺麗な希望やオチが用意されている。「前を向いて生きよう」だの、「自分を愛そう」だの。
そんな甘っちょろい言葉を吐くつもりは一切ない。
私の人間としての本質は失われたままだし、明日も変わらず脳内にモヤを抱えたまま、冷めた目で社会人を演じるだけだ。何も解決していないし、救いなんてどこにもない。
ただ、もしあなたも「誰も悪くないのに辛い」という無菌室のような地獄で息を潜めているなら。
綺麗事に殺されそうになっている夜に、この冷え切った文章を置いておく。
