奇跡中の奇跡!こんなことってある??8代将軍・吉宗就任の真実
これってコナン案件?
かの有名な暴れん坊将軍こと
8代将軍・徳川吉宗。紀州和歌山から出た将軍です。
でも調べれば調べるほど、これがおかしい。
将軍に就く前に、関係者が次々と死んでいく。
しかも全員が、絶妙なタイミングで。
これ、コナン案件じゃないですか?
(もちろん史実に暗殺の証拠はありません。でも「偶然」と片づけるには、できすぎている、、、)
今日は、この「奇跡中の奇跡」を全部まとめてお伝えします。
まず、将軍になるための「壁」を理解してください
江戸幕府には「御三家」という制度があります。将軍の血筋が絶えたとき、将軍を出す資格を持つ3つの家柄です。
尾張(名古屋・62万石)→
紀州(和歌山・55万石)→
水戸(35万石)
この順番で候補が選ばれます。
つまり紀州から将軍が出るには、
まず将軍家・尾張に後継者が一人もいないことが条件。(これだけでもハードルがきつい!)
そのうえで紀州から選ばれる必要がある。
そして吉宗は、紀州藩主の四男でした。
将軍になれる確率は、理論上ほぼゼロです。
しかーーし、
その成り上がりぶりをお伝えします。
「奇跡」をお亡くなりになるところは鬼籍に変えています。
【第一の鬼籍】1705年——たった1年で3人が亡くなった
吉宗の父・光貞には息子が4人いました。
順番 名前 享年 何が起きたか
長男 綱教(つなのり)41歳藩主3代目。
次男 頼純(よりずみ)幼少で早世
三男 頼職(よりもと)
→四男 吉宗
問題はここからです。
1705年。このたった1年の間に——
5月:長男・綱教(41歳)が病死
8月:父・光貞(73歳)が死亡(長男の死に心を痛め、後を追うように)
9月:三男・頼職(25歳)が病死
父と兄2人が、同じ年に全員死んだ。(お父さん以外まだまだ若いよ)
しかも頼職は、父の葬儀を出した直後に亡くなっています。
紀州藩は新旧3人の主の葬儀を立て続けに出すという、戦国時代でも聞いたことのない事態に陥りました。(コナンの出番ですよ)
22歳の吉宗は、急にお鉢が回ってきます。紀州藩主。
そして兄2人には子供がいなかった。(ここもすごい!)
吉宗しかいなかったんです。
(これ、本人の気持ちを想像すると複雑ですよね。喜べるわけがない。でも「やるしかない」わけで、、、)
【第二の奇跡】借金40万両の藩を立て直した
藩主になった吉宗を待っていたのは、借金でした。
約40万両。いまの感覚で数百億円規模の負債です。
吉宗がやったことは、地味でした。
自分の食事を一汁一菜に。衣服は木綿。大奥の人員を大幅削減。
口で「倹約しろ」と言うだけでなく、自分の食卓・衣服で示した。
これが効きました。紀州藩はじわじわと財政を立て直していきます。
この「実績」が、後に将軍を選ぶ幕閣の目に留まることになります。
【第三の鬼籍】将軍・家継が8歳で死んだ
1716年、7代将軍・徳川家継が亡くなります。
享年8歳。
子供がいるはずはありません。直系の血筋がここで途絶えました。
御三家から将軍を選ぶことになります。
【第四の奇跡】なぜ1番手の継友ではなく吉宗が選ばれたのか
候補はこの3人でした。
順位 人物 藩 年齢 結果
1番手 継友(つぐとも)
尾張・筆頭御三家 26歳
落選 子供なし
2番手 吉宗
紀州 33歳
将軍就任長男あり
3番手 綱條(つなえだ)
水戸 61歳 論外扱い
順番どおりなら継友が将軍になるはず。
なぜ吉宗が選ばれたのか。理由は4つあります。
理由内容
①継友に子供がいなかった(吉宗は5歳の長男あり)
②大奥最大の権力者が吉宗を推した
6代将軍家宣の正室・天英院が吉宗を強烈に支持
③継友を推した側が幕臣に嫌われていた
継友を推していた新井白石・間部詮房への反発が大きかった
④吉宗が根回ししていた
老中ら譜代大名に事前に働きかけていた。継友は「当然うちでしょ」と油断していた
決定的だったのは天英院でした。
吉宗を大奥に招き、直接「次の将軍になれ」と告げた。吉宗が辞退すると、さらに強く押し切った。
プロ野球選手で例えるなら——
優勝かけた試合に臨んで
プロ野球2軍の4番手ピッチャーが、
1番・2番・3番が試合前にケガして、
さらに1軍ピッチャー全員使い、
最後にいた1軍のピッチャーも調子悪くて、
残った4番手が
「お前しかおらんけど、?でれる?」
と優勝のかかった試合に出る。
そのまま出場して優勝してしまう。
その後1軍先発ピッチャーとして30年活躍した。
それが徳川吉宗という人物でした。
でも、これが本質だと思うんです
吉宗は運だけで将軍になったわけじゃない。
借金を返した実績があった。根回しをしていた。身体を鍛えていた。現場を知っていた。
のちに幕府の大量の借金も返して、中興の祖とよばれる。
「どうせ継がない四男坊」だったからこそ、誰より城下を歩いた。誰より庶民の暮らしを見た。誰より武芸を磨いた。
本流じゃなかったことが、いちばんの武器になった。
将軍になってからも木綿を着て、自分で投書を読み、サツマイモを広めた。
トップに立っても「現場の人」であり続けた。
和歌山城は今日も静かに建っています。
この城の四男坊が、日本の歴史を変えた。
コナン案件かどうかはわかりません。
でも一つだけ確かなことがある。
チャンスが来たとき、受け取れる自分を作っていたのは——吉宗でした。
お財布事情が悪い日本で、吉宗が総理になったら、何をするでしょうか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 参考になったと感じていただけたら、ぜひ**スキ❤**をお願いします。
※歴史的事実については諸説あります。暗殺説については証拠はなく、あくまで「そう読める」という一つの見方です。
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