59歳、区切りをつけたのは⋯
その日は雨の日で、患者はわたしのほか、
もうお一人だけ、という状況でした。
かかりつけの医師に、
「先生、会社を辞めることにしました。ついてはふるさととの二拠点生活にしようと思います」
と申し上げますと、
先生はわたしの次の言葉を待ちました。
「こちらには引き続きお世話になりたいと思います が、今までのように毎月は来られないかもしれません」
先生の表情はいくらか和らぎました。
「そう。じゃあ、今後は多めに薬を出しておくから無くなる前に来てください」
「しかしもったいないねぇ。若いのに」
カルテでわたしの年齢をあらためて確認したようですが、そう言ったあと、
「でも、よく考えたらわたしも開業したのは59歳だったなぁ」
と珍しく身の上話を少しだけしてくれました。
先生はいまはいわゆる町医者ですが以前は脳外科の専門家だったそうです。
いまも小さなクリニックの奥にはその部屋の大きさに似つかわしくないCTスキャンの大きな機材が鎮座しています。大病院で脳外科医として活躍していた先生のプライドを示しているかのようです。
独立したのは気力、集中力が落ちてきたためだとはっきりおっしゃいました。
「手術は5時間も6時間もかかるんです。その手術は集中できるんだけどね、次、またその次って言うとね⋯」
人間だからそりゃそうでしょう、と思いました。
医師だからあの手術は集中できなかった、などと
間違っても言えないでしょうけど、
そんな手術もあったんでしょうね。むしろ無理して続けるのではなくきっぱり身を引いたことこそ誠実さの表れだと受け止めました。
わたしが再雇用、再就職を選ばなかったのは
やはりここ一、二年、自分でも年齢を意識するようになったことがあります。
妙に疲れやすいのです。
夜遅くまで仕事が出来なくなってきました。
帰宅すると疲れてすぐ寝てしまいます。
少なくともうちの会社で必要なスピード感では
仕事ができないな、と思い始めていました。
真面目に身体を鍛えた経験のないわたしは、
一度、心身ともにリフレッシュしないといけない、次に進めないと感じていました。
そうした時、YouTubeでJリーグを立ち上げた川淵三郎さん(初代チェアマン)のインタビューを見ることがありました。
川淵さんが、Jリーグを、立ち上げたのも
59歳だというのです。
いまのサッカー日本代表の強さの源流はJリーグの立ち上げにあります。あの一大事業を59歳のおじさんでも始められたんですね。すごいことです。
希望を持ちました。
そして
調子に乗って59歳から60歳で大きな仕事を成し遂げた人について生成AIに聞いてみました。
すると、
『徳川家康が関ケ原の戦いに勝利したのが59歳』
ひっくり返りそうになりました。
まだまだ、ですね。修行です。
