『ドールズ・ハイ』 第2章『境界の継承』第21話『記録されない境界』
―あらすじ―
前夜の解析室で確認された、
記録に残らない白い霧。
その存在を追うレイスは、
過去の記録にも同じような「空白」が潜んでいた
可能性を見つける。
一方、
教導院では通常訓練が続き、
アルト班とカイン班は合同訓練に臨む。
完璧な制御を見せるヴォルグにも
一瞬だけ不可解な揺らぎが生じ、
アルトとカインは同時に異変を察知する。
夜、
白い結晶片の容器に細い白線が浮かび、
眠っていた謎が静かに輪郭を持ち始める。

第21話『記録されない境界』
教導院の朝は、
昨日までと変わらなかった。
訓練場では金属の擦れる音が響き、
廊下には生徒たちの声が流れている。
異変など、
どこにもない。
少なくとも、
表面上は。
◇
解析室では、
レイスが一人で端末を見つめていた。
昨夜、
白い霧を目撃した容器は、
今も保管棚の中にある。
温度、
圧力、
同期反応。
すべて正常。
記録にも何も残っていない。
「……なのに、
見えた」
レイスは過去の記録へ検索範囲を広げた。
古いデータ。
現在とは規格も異なる、
何年も前の記録だった。
一つの波形が目に留まる。
通常なら連続しているはずの記録が、
ほんの僅かな時間だけ途切れていた。
欠損。
そう分類されている。
だが、
その前後に異常はない。
レイスは眉を寄せた。
別の記録を開く。
そこにも同じような空白があった。
発生条件は不明。
原因も不明。
そして、
空白そのものについての記述は、
残されていなかった。
「……偶然じゃないのか?」
答えは返らない。
ただ、
古い記録の中に残された空白だけが、
現在の現象と静かに重なっていた。
◇
同じ頃、
訓練場。
「同期、開始」
教官の声に合わせ、
ゲゼールたちが一斉に動き出す。
ルナとミレイの精神が重なり、
滑らかな動きを生み出す。
フェルも安定して追従していた。
そしてヴォルグ。
カインの制御は隙がなかった。
無駄な動きがない。
力を抑えるべきところでは抑え、
必要な瞬間だけ正確に出力を引き上げる。
「やっぱり綺麗だな」
リオが呟く。
アルトは答えず、
ノアを見ていた。
黒い装甲は、
静かにヴォルグの動きを追っている。
やがて合同訓練の終盤に入った。
その瞬間だった。
ヴォルグの同期波形が、
ほんの僅かに揺れた。
「止める」
カインの声が飛ぶ。
即座にヴォルグが停止した。
ミレイもルナとの同期を解除する。
「今の……」
「見た」
アルトが答えた。
カインがアルトを見る。
二人の視線が重なる。
「機体の問題じゃない」
カインが言った。
「俺もそう思う」
それ以上は続かなかった。
数値は正常。
ヴォルグにも異常はない。
それでも、
確かに何かが波形を横切った。
ほんの一瞬だけ。
存在したはずなのに、
掴めない。
◇
訓練が終わった後、
ミレイはアルトの隣に立った。
「ノア、
反応してたよね」
「……ああ」
「何か感じてるんじゃない?」
アルトはノアを見る。
黒い装甲には、
細い白い亀裂が走っている。
以前より、
ほんの少しだけ増えていた。
「俺にも分からない」
「アルトにも?」
「分からないから、
気になってる」
ミレイはしばらく黙っていた。
その横でリオが言う。
「でも、
ノアだけじゃない」
「え?」
「ルナもフェルも、
ほんの少しだけ変だった」
アルトは頷いた。
「だから余計に分からない」
そのとき、
ノアの白い亀裂が一瞬だけ明滅した。
誰も気付かなかった。
アルトを除いて。
◇
夜。
解析室の照明だけが、
静かな床を照らしていた。
レイスは、
昼間から続けていた古い記録の比較を終えた。
現在の白い霧。
過去の記録に残された空白。
完全な一致ではない。
それでも、
似ている。
あまりにも似すぎていた。
レイスは保存容器へ目を向ける。
その中で白い結晶片は動かない。
静止している。
何も起きていない。
そう見えた。
次の瞬間。
容器の内側に、
細い白い線が浮かんだ。
糸のように細い。
光とも亀裂とも判別できない。
ゆっくりと伸びて、途中で途切れる。
レイスは立ち上がった。
「……」
端末を見る。
記録されていない。
センサーも反応していない。
それでも、
目の前には確かに存在している。
レイスは白い線を見つめた。
そして、
古い記録へ視線を戻す。
同じ空白。
同じ説明不能な沈黙。
胸の奥に、
ひとつの考えが浮かんだ。
「……今回が初めてじゃない」
誰もいない解析室で、
その言葉だけが静かに落ちた。
容器の中の白い線は、
しばらく消えなかった。
